Copyright (C) ASAHI GROUP HOLDINGS, LTD. All rights reserved.

ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ24 / TEXT:小林のびる PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2015.10.30 杉並区高円寺「大陸バー 彦六」織田島高俊さんの「まくわうりの偽メロンアイス」

多種多様な人々が雑踏を行き交い、日本でも指折りのアジア的活気を感じさせる街、高円寺。駅から伸びる商店街の横道を入り、小さな看板を頼りに古い木造アパートを2階へと上がると、「大陸バー 彦六」は現れる。靴を下駄箱に預け、畳の感触を踏みしめる「秘密基地」感。暖かな照明に包まれた店内には、常に幸せな煮炊きの香りとエキゾチックな音楽が満ちている……。
街の空気にあまりにも馴染んでいるので、これまで尋ねてみることもしなかったのだが、そもそも「大陸バー」とはなんなのか。「話せば長くなるんだけどね」と穏やかに笑うマスターの織田島高俊さんから、じっくりとお話を伺った。

畳敷きにちゃぶ台のあるBARが日本にいくつあるだろう? さらに冬場はここがコタツ席に。

東南アジアでの放浪。インドでの闘病。さまざまな経験に導かれた、彦六の現在

織田島高俊さん。

 始まりは音楽でした。小学生の頃、ラジオから流れてくる洋楽……キッス、クイーン、ベイ・シティ・ローラーズ、ABBA……彼らのヒット曲を自分でも歌ってみたいと思うようになって、ちょうどその頃中学に上がったばかりの兄が聞いていたラジオの英語講座をいっしょに聞いたりしてたんです。以来、英語は得意科目になりました。それを原点に僕は明治学院大学の英文科へ進むことになるんですけど、そこで学ぶうち、自分は英語が好きなんじゃなく、「メロディがついている英語」が好きなんだと気づいてしまうんですね(笑)。だから自分がどんな道に進みたいのかもわからないまま、相も変わらず音楽漬けの毎日。そんな中、江戸アケミ率いる「じゃがたら」との出会いに衝撃を受けるんです。彼らは土着的なワールド・ミュージックの要素を取り入れた、言ってみれば「国境なきダンス・ミュー ジック」をやっていたバンド。それまで聴いていたロックとは違って、横ノリだし、踊れたし、パーカッションがいたりホーン・セクションがいたりするのも新鮮で、必然的にアフリカや東南アジアに興味を持ち始めたんですね。自分は彼らとの出会いをきっかけに、インドをめざしてみようと決めるんです。

「日本のインド」とも呼ばれる高円寺にとっては、しっくりときすぎるほどのエピソードにて幕を開けたマスターの物語。多くの人が、一度はそんな「放浪欲」に駆られるも、実際に行動に起こせる人はごくわずか。織田島さんは、なぜ迷いなく飛び込めたのだろうか?

 それをしないと生きていけないような気がしたんですよ。流されるままに就職活動をして、魅力のない仕事に就いて、生き甲斐を感じることもない毎日を食い潰している自分を想像してみたら、それは死んでいるのも同然だなって。ならば一度、本当に死ぬような思いのひとつでもして、それまでの自分を断ち切ってみようと思ったんです。

 話の続きも気になるが、ここで目の前に運ばれた冷奴、そしてその上に盛られた大量のみょうがのことも無視できない。その標高は、豆腐の厚みを超えたてんこ盛り状態だ。すみませんマスター! これはいったいどうしたことで?

(笑)うちの料理の最大のポイントは、野菜。すべて自家栽培のもので、実家の畑で採れたものです。うちの両親は国分寺にそこそこの規模の畑を持っていて、僕が小さな頃から、家で食べる野菜はほとんどそこでつくっていたんですね。本業は酒屋なんですけど、食べきれない野菜は店頭に並べて売ったりもしてました。農薬に頼らない自然農法で丁寧につくってあるし、とても力のある野菜なので、これを使わない手はないだろうと。最近は僕の息子も収穫を手伝ってくれていますね。……あ、ちなみにうちの妻の母親もお酒に関わっていて、長野で個人経営の居酒屋をやっているんです。だからうちは酒屋の息子と居酒屋の娘の夫婦(笑)。お義母さんが野草や山菜に詳しくて、道を歩いてると「これは食べられる、あれも美味しい」と教えてくれたりもします。だから毎年5月になると長野へ行って、そこから1週間くらいはこの店も山菜祭り! コシアブラ、たらの芽、こごみ、天然のクレソン。運よくその週にこられた方には喜ばれますよ。

エグみというものがまったくなく、香味野菜の特別なごちそう感が楽しめる「みょうがのせ冷奴」。大陸の風に敬意を表し、タイの「シンハービール」とともに。「みょうがは畑の藪に生えていて、そこに分け入って掘り起こしてくるんですけど、本当にたくさん採れてしまうので、どんどん食べてもらわないと困るぐらい(笑)。この力強い生命力をそのままに味わってもらいたいですね」と織田島さん。
ゴーヤのつくだ煮。どこか懐かしいのに圧倒的に新しい、矛盾の美味!

 次なる「ゴーヤのつくだ煮」も、やはり自家栽培の恵み。夏の終わり、最後に収穫したものすべてを佃煮にし、保存しているのだそう。日本人ならどうしたってご飯が欲しくなってしまう佃煮の甘辛さに、ほんのりとした苦味、爽やな青みが追いかけてくる。

 ほかにも野菜料理はたくさんあります。秋はかぼちゃ、茄子、ししとう、里芋。冬になると、大根、白菜、青菜だとターサイやチンゲンサイ。春や夏は数え切れないな。キャベツにパクチー……あ、うちのルッコラはものすごく葉っぱが大ぶりで、歯ごたえもあるので、それだけを山盛りにしたサラダを出したりもします。こういう季節ごとの野菜をどんどん畑から運んできて、モリモリ食べてもらえるというのがうちの売りです。

 そんな彦六畑の野菜たちをとことん味わい尽くしたいのなら、天婦羅の盛り合わせもオススメだ。茄子やオクラは八百屋で見るものに比べて小ぶりだが、そのぶんギュッと締まった身の食感が心地よく、味も濃い。

 お店を始めた頃は自分の得意なエスニック料理1本でやっていこうと思っていたんですけど、野菜そのものがここまで美味しいので、あまりゴテゴテ手を加えないほうがいいんじゃないかと思うようになって、だんだんと和食的なメニューも増えてきましたね。その結果、より無国籍になってしまったのは皮肉ですけどね(笑)。

「秋野菜の天プラ」
かぼちゃは南アメリカ原産の「バターナッツかぼちゃ」が使われている。前歯でサクッと衣を崩した瞬間にとろけてしまい、その食感は「裏ごしされたパンプキン・ペースト」だと言われても信じてしまいそう。

 次から次へと供される驚きの野菜料理に、こちらはただただ心酔するばかり。織田島さんの放浪の旅は、まだ滑走路から飛び立ってもいなかった。話を再開してもらうことにしよう。

 出発は1989年の10月、22歳の頃でした。アルバイトで貯めた資金を、小さなバックパックに詰めて、香港から、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、インド。地元の人たちと同じように安い飯を食べて、安宿に泊まってね。序盤はあてもなくフラフラとしてましたが、最終目的地だけはインドに決めてました。「死ぬような目に遭いそうな国ってどこだろう?」と考えたとき、イメージだけで 「あそこかな」と(笑)。だけど待望のインドに入ったあと、ちょっとネパールまで遠征して高地でトレッキングをしたりしていたら、免疫力が弱ってしまったんでしょうね。インドに戻ってすぐ、肝炎で入院してしまったんです。バラナシという街で、1ヶ月間寝たきりの闘病生活(笑)。しかも入院したのが「貧民病院」といって、薬代だけを支払うようなところで、大病棟にベッドが並んでいて、隣で寝ているのはそのへんの道端にいるホームレスと変わらないような人たちばかり。インドでの拠点が貧民街の安宿だったので、そこしか紹介してもらえなかったんですよ。ただ、あまり恐怖はなかったですね。これも旅に出なければ体験できなかったことだと思って楽しむことにしました。……もちろん今思い返すと恐ろしいですよ(笑)。いくら死ぬような目に遭うつもりだったとはいえ、本当に死んでも全然おかしくない状況でした。

「空芯菜と豚バラ肉いため」。空芯菜は香港で食べて気に入り、種を譲り受け日本で栽培を始めたものだとか。味の濃さはもちろん、バリバリと小気味よい歯ごたえに驚く。ほんの少し効かせたナンプラーがオリエンタルな味わいをプラスしている。

ウクレレから生まれた出会いや想い。それを交差させるための場所をつくりたかった

 肝炎のため、1年を予定していた旅は、7ヶ月ほどで強制帰国となってしまった。当初の目的はしっかりと果たされたにせよ(笑)つくづく壮絶な通過儀礼だったと想像する。

 あの旅で気持ちが変わったのは事実です。日本に帰ってから、こんな自分にもやれることがあるはずだと信じられるようになりました。ずっと音楽をやりたいと思っていた自分にとって、ウクレレという楽器との出会いというのも大きかったですね。弾いていたら、自然と歌が出てきたんです。リベンジでインドネシアを廻ったときも、やっぱり海辺でウクレレを弾いていて、「人間には人それぞれにいろんな才能があるはず。このまま時間を無駄にはできない」と思いました。
 以来、ウクレレはずっと続けています。「ウクレレアフタヌーン」というグループにも出会って、自分もそこに参加するようになって、今ではリーダーの座を引き継いでやってます。そのグループは20人ぐらいの大所帯で、メンバーの趣味趣向もバラバラだったりするんですけど、楽器は全員ウクレレ(笑)。その活動が面白くてね。もちろんそれで飯が食えるわけじゃないんですけど、そこで生まれた出会いや想いというのはなにより大切で、いつしかそれを交差させられるような場所をつくることが自分の仕事なんじゃないかな、と思うようになったんです。それというのがつまり、この店なんですよ。

カエル好きの奥さまとの出会いも、ウクレレがきっかけだったそう。最近は常連からのお土産もあり、グッズの増殖が止まらないのだとか。

 そうして「彦六」はオープンする。築50年の木造アパートが店舗貸しを始めるという情報を得て、晴れて織田島さんは「マスター」となった。

「彦六」というのは僕の曾祖父の名前です。曾祖父は「祭文語り」という門付芸能を生業に、謡い語りながら日本全国を巡業していたそうで、そのことは僕が旅に出たいと両親に打ち明けたときに初めて教えてもらった話なんです。のちに自分も人前で演奏して歌う、つまり芸事をするようになったので、ことさらに曾祖父との血の繋がりを感じるようになって、店名に使わせてもらうことにしました。
 この店の内装も仲間が手伝ってくれて、壁なんかも自分たちで塗ったんですよ。素人の仕事だから余計に古びて見えるのかもしれません。みんな、喜んで手伝ってくれましたね。だから、この店が生まれた瞬間に、すでにたくさんの人の気持ちがここに詰まっていた。そんな店を1年や2年で潰すようなことだけは絶対にできないと思ったので、どんなに辛くてもまずは10年やろうと決めていたんですけど、なんとか今年で目標を達成することができて、少しだけホッとしてます。まぁ、全然儲かったことはないんだけどね(笑)。

10周年を記念して常連がしたためた「祝彦十」の書。巨匠ちばてつや先生もご来店!

 店をやるなら高円寺というのは最初から決めてました。ラフィン・ノーズやブルーハーツといったパンクを聴くようになった18歳の頃、初めてレコードを買いにきて以来、この街にはワクワクさせられ続けています。ただ、ここで働き始めて驚いたのは、意外と若者だけの街ではなかったということ。おじいちゃんおばあちゃんもすごく元気で、みんなが仲よく共存していて、下町風情のようなものも残っている。誰もが個性を許容しているから、チェーン店より個人商店のほうが元気ですし、空気が合う人にとっては過ごしやすい。だから、僕がこういう場所さえ用意しておけば、いろんなタイプのお客さんが集まってくれて、またその人たち同士が繋がって、新しいことが始まったりするんです。そういう意味で、ここはきちんと理想の場所になっているなと思いますね。

写真左は清酒をベースにライムを漬け込んだ「酒ライム」。右はアルザス地方特産の砂糖大根と名水で仕込まれたフランス産の焼酎「パリ野郎」。織田島さんが「うまい」そして「おもしろい」と思った酒は、ジャンルを問わずラインナップに加わる。だからこそ、彦六にはさまざまな酔客が集まる。

だし巻き玉子は自分の原点。そう簡単にメニューから外すことはできません

 ふたたび料理の話をお訊きしたい。たとえどんなに新鮮な野菜、食材があったとしても、それを引き立てるのは厨房の技だろう。話は織田島さんの包丁遍歴に。

 基本はやっぱり海外ですよ。いろんな国の美味しいものを食べては興味をもって、つくり方を覚えては家で試すというのを繰り返してきたので。ただね、お店を始める前にはやっぱり日本で修行しました。ベトナムの「フォー」を出すスタンド店で1年くらい店長をやっていたこともあります。今でも感謝しているのは、最初に入った市ヶ谷の居酒屋。女将さんと僕だけの小さなお店で、いろいろ教えてもらいましたね。たとえばこの「だし巻き玉子」。以前、うちをただのロックBARだと思って入ってきたお客さんが、「こういう店でこんなに本格的なものに出会えるとは思わなかった!」と驚いて、以来、毎回のように頼んでもらってます。ただこれ、すごく手間がかかるんですよ。1人前は玉子3個ぶんなんですけど、6個を使わないとこの食感は出ない。生地がゆるいので、簡単に巻けるものでもなくて、僕はその女将さんから1年かけて教えてもらいました。前に「そんな面倒なメニューやめたほうがいいんじゃないですか?」なんていうバイトの子がいたりもしたんですけど、これは自分の原点のような料理なので、そう簡単に(メニューから)外すことはできないんですよね。

「だし巻き玉子」。「すべては注文を受けてからなので、20分ぐらいかかるんですよ」の言葉通り、丁寧に蒸し上げられた茶碗蒸しのような印象の逸品。美しい切り口を保ちながらもふるふると危うく、上品な出汁の味、玉子本来の自然な芳香が広がる。

 彦六はいわゆる「ご飯もの」も充実している。深夜、駅前の牛丼屋やラーメン店には脇目も振らず「あそこなら本物が食べられる!」とこの店を重宝する常連客も多いという。とくに本場の味を再現したタイの屋台めし「パッ・ガパオ・ガイ」や、自家栽培のバジルをたっぷりと使った「ジェノベーゼ・パスタ」は人気のヒトサラだ。
 そんなメニューの最下部に見つけたのが、「パクチーノパスタ」。そんなパスタ、イタリアンにありましたっけ?!

「パクチーノパスタ」
パスタはアルデンテのさらに手前、シコシコとした歯ごたえを残している。

 これは単純に、パクチー「の」パスタですね(笑)。春夏にいっぱい採れたものを、ソースにして保存しておくんです。ジェノベーゼと同じ方法で、バジルのかわりにパクチーをどっさり。今日、上に乗っているパクチーは残念ながらうちのものじゃないけど、春夏は自家栽培のをたっぷりと使いますよ。オリーブオイルでコーティングしたぶん、クセは抑えられてるでしょ? これならパクチー嫌いの人でも食べられるんじゃないかと思うんだけど。

 パクチー嫌いの気持ちまではわからないが、僕らが最初のひと口でこれを大好物と判断したことだけは間違いない。食べ進めるにつれ、パクチーの爽やかさだけが際立ち、独特のクセは感じられなくなってゆく。ただし、間に酒をひと口挟めば、また鮮烈な風味が復活する。つまりは、酒のつまみとしては最高のヒトサラということだ。

 僕自身、お酒が大好きだからね。なおかつ音楽も同じぐらい好きなもんで、昔から下北沢や高円寺のロックBARなんかに出入りしてたんですけど、唯一不満だったのが「食べ物にろくなものがない」ということ。だから自分がやるなら、こういうきちんとした食事も摂ってもらえる店にしたかったんですよ。

彦六の優しさを氷点下に託した、舌にほどけるヒトサラ

 その言葉の通り、彦六は定期的に音楽イベントも開催している。ただでさえ居心地のよいこの空間に、生楽器と生歌の「とろみ」が加わるのだ。

 月に4~5本は企画してますね。僕のつながりでウクレレ関係のライブは多いですけど、アイルランドの民族楽器とか、インドのシタール、カリブのスティールパンみたいに、珍しい楽器の演奏会を開くこともあります。早川義夫さんや遠藤ミチロウさん、元「たま」のメンバーなんかが演奏してくれたこともあります。終わったらここがそのまま打ち上げ会場になるので、演者さんもファンのお客さんも同じテーブルで楽しく飲まれてますよ。あがた森魚さんなんかは初めてのライブのその日に、「この店、なんか懐かしい感じがする。毎月ここで歌いたいな~」なんて言ってくださって、感激しましたね。実際ものすごく馴染んでましたよ(笑)。

 さて、パクチーノパスタで身も心も満足したことだし、そろそろ締めのデザートを頂くことにしよう。そしてこれこそが、彦六という店の魅力を象徴する本日のヒトサラでもある。その名も「まくわうりの偽メロンアイス」。

「まくわうり」というのは、日本で古くから食べられている黄色くて小ぶりな瓜の一種でね、一般的なメロンの原種でもあるんだけど、あれと違って簡単に栽培できて、田舎の家の庭で採れたりもするんです。これだけ食べると、そこまで甘いわけでもなくて、昔の子どもがおばあちゃんに 「これがメロンだよ」と騙されて食べさせられていたような味です(笑)。うちではそこに蜂蜜と生クリーム、卵黄を加えてデザートにしているんです。一瞬でも「メロンっぽい!」と驚いてもらえたらそれでいいかな。僕の性格上、常に「ちょっと笑えるものがほしいな」と思ってしまうんですよね(笑)。

「まくわうりの偽メロンアイス」
ふわりとほどける、愛らしい風味。素朴極まりない瓜の香りが、ノスタルジーを誘う。酒飲みにとっては合成甘味料や着色料の添加された本物の(?)メロンアイスなんかよりもずっといい。心に沁みるヒトサラだ。

「ちょっと笑えるものがほしいな」。これこそが彦六のスタンスであり、優しさである。この、触れ難い新雪をそのまま掬い上げてきたかのような姿はどうだ。それでいて、このネーミング。まごうことなき本物に「偽」とつけてしまうマスターの笑顔は、すべての飲み助の心を癒してくれる。
 彦六の入り口は薄暗く、決して入りやすい店ではないとは思う。しかし、ぜひ気軽に尋ねてみてほしい。ここには「BAR」という響きを軽快に裏切る絶品料理の数々、未知の音楽、そしてなによりの、心踊る出会いがある。料理、酒、音楽、人。そのすべてが極上のちゃんぽんになっているのだ。


 隠れ家っぽいってよく言われるんだけど、こっちは隠すつもりは全然ないので(笑)、お酒の人でも、食事だけの人でも大歓迎。これからライブをしてみたいという若いミュージシャンの人なんかも、どんどん見にきてほしいですね。僕自身、そういう人たちの熱い眼差しというのは、すごく刺激になるんです。ヘタクソでもいい、「音楽を始めたばかりです」でも「初めて人前で演奏します」でもいい。そういう若い人たちの「初めて」に立ち会えるのって、すごく感動的なんですよ。まるで昔の自分を見ているみたいでね。

大陸バー 彦六 東京都杉並区高円寺北2-22-11 2F
03-3336-5153
営業時間:18:00~26:00(水~土曜日)/18:00~24:00(日~月曜日)
定休日:火曜日

前の記事
墨田区吾妻橋「恒」
飯村恒敏さんの「二色もり」
次の記事
横浜市港北区日吉「欧風家庭料理 VON」
中崎由幸さんの「アイスバイン」