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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ23 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2015.10.30 墨田区吾妻橋「恒」飯村恒敏さんの「二色もり」 ヒトトヒトサラ23 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2015.10.30 墨田区吾妻橋「恒」飯村恒敏さんの「二色もり」

浅草駅前の吾妻橋を渡り、多叉路をすぎてすぐ、この界隈の蕎麦通を唸らせる名店がある。オープンは震災直後にしてスカイツリー建立直前という、まだまだ若い店。店頭のひき臼には、大きな目玉が取りつけられ、店主はニットタイを締め蕎麦を打つ。
こう書けば型破りな「ニューウェーヴ蕎麦屋」を思わせるかもしれないが、店主・飯村恒敏さんの仕事は真摯そのもの。蕎麦はもちろんのこと、刺身、天婦羅、燻製などの一品料理すべてにきめ細やかな配慮と創意を感じさせ、そこに合わせられる日本酒にも、洒落や熟成が効いている。
「飲食にはこうしたギャップも大切なんです」と語る恒敏さん。まずはそのポリシーから話していただいた。

人と同じことをやっていたのでは駄目。うちは「ネクタイ蕎麦屋」で通っています 人と同じことをやっていたのでは駄目。うちは「ネクタイ蕎麦屋」で通っています

恒の目印は、大きなギョロ目が接着されたひき臼。 暖簾を揺らす風に、瞬きまでしてみせる(←ウソです。自動です)。 酒は和歌山県「黒牛」の純米吟醸からスタート! 小田原の高級店「鈴廣(すずひろ)」の板わさ。この厚切りが正直店の証! 飯村恒敏さん。「あの頃は確かにやんちゃでしたけど、喧嘩に明け暮れるというよりは、遊ぶことが好きすぎたんです。バイクもスケボーも血だらけになるまでやるし、なんでも流行る前までにうまくなってたい。そうしていたら、少し人よりも目立ってしまったということです。日雇いの仕事はたくさんやってましたね。ロングボードが欲しければ、土木、解体。自分は極真(空手)も剣道もやっていたので、根性だけはあるんですよ」 飯村ヒデ子さん。「詐欺師だなんてとんでもない(笑)。まぁ、この子が事件を起こしても大丈夫なように、ちょっとした保険をかけたりはしてましたけどね(笑)」

 ひき臼に目玉をつけたのは、ただ置いておくのもつまらないと思ったからですね。さすがに手足までつけたらやりすぎですけど、お陰でこのへんの子どもたちにも「あの目玉んとこ!」と覚えてもらってますね(笑)。もちろん僕がワイシャツで接客していることにも意味があります。一般的な蕎麦屋の店主というのは、作務衣だとか割烹着を着てらっしゃると思うんですけど、こまめに洗濯できないのか、それが汚れていることがとても多い。つまりはワイシャツほど毎日清潔でいられるユニフォームもないと思ったんですね。
 これからの蕎麦屋にはこうしたギャップも必要だと思いますし、過去の風習に囚われて、人と同じことをやっていたのでは成功はないと思います。この髪型だって、蕎麦粉とつなぎの割合を意識して9対1にしているんですよ(笑)。毎回右だけを刈り上げてるので、だんだんとてっぺんの「もり」がよくなっていくんですけどね(笑)。

 なんと豊かな蕎麦屋ジョーク。なるべく客のひとりひとりとコミュニケーションし、めいめいの嗜好までを覚えておきたいという恒敏さんの舌は滑らかだ。それに加えて、笑顔を絶やすことのない看板お母さん、ヒデ子さんの存在が心地よい。遊びなく研ぎ澄まされた味に対しての、とことんアットホームな親子経営というのも、うれしいギャップのひとつだ。恒敏さんが続ける。

 親子喧嘩も絶えませんけどね(笑)。僕もやんちゃをやっていた時期は過ぎたので、親子仲はいいほうだと思うんですけど、仲がいいからこそ、なんでも言い合って衝突するんです。うちの母はそのたびに逃亡するんですよ(笑)。サッと外に出て、5分ぐらい空気を吸って戻ってくる。それで何事もなかったようになることもあるし、お互い険悪なまま仕事を続けて、ひとりの常連さんに助けられることもあります。ふたりがそれぞれ話しかけ始めて、だんだんと3人で喋るようになって、元に戻る。常連さんを仲介人にしているんですね(笑)。

「余計なこと喋るなよ~!」という恒敏さんを振り切り、すかさず「やんちゃ時代」の恒敏さんを回想するヒデ子さん。

 この子はとにかく勉強が好きじゃなかったので、「そんなに嫌ならしなくていいから、そのかわり手に職をつけなさい!」と全寮制のお寿司屋さんに無理やり叩き込んだんですよ。ことあるごとに「なんでもいいから社長になりたい!」とうるさかったこの子を、本当に社長にするためには、小さな店でも自分の店を持たせるしかないと思ったんです。でも、2年ほどしてからそのお店で指を大怪我して、仕事ができなくなってしまったんですね。その後は洋服の道に進もうとしていたみたいなんですけど、負けず嫌いだし意地っぱりだから、営業の仕事が向いていなかったみたいで、だったら今度は蕎麦をやらせようと思って(笑)。

「蕎麦屋だったら独立するのは早いよ。すぐにビルが建つよ」とそそのかされちゃったんですね……、と恒敏さん。

 寿司屋時代に担当させてもらえた巻物に対して、「美味しかったよ」とか、「ボウズ、いいお茶出してくれたな」というのがすごくうれしかったので、もう一度飲食で頑張ってみようと思い直したというのもありますし、あの頃は寝る時間もなかったし、しょっちゅう包丁の柄で殴らたりしていたので、確かに蕎麦のほうが楽かもしれないなぁ、なんて勘違いしちゃったんですよね。でも、そんなのとんでもない! 完全に騙されました。(ヒデ子さんを指差して)この人ずっと詐欺師なんですよ(笑)。考えが浅くて悪意のない詐欺師なんです(笑)。

鶏ごぼう、豆腐、秋刀魚、鶏なんこつなど、多種多様な香ばしさが楽しめる「くんせい盛合せ」。「野菜はいろんなものを試したんですけど、ごぼうがいちばん納得できました。燻製にするにはカピカピになるまで水分を切らなくちゃいけないので、根菜が向いているんです。とにかく手間がかかるんですけど、このメニューも人気なのでやめるにやめられないんですよ(笑)」

先輩も後輩も、全員がライバル。新橋「本陣房」での修行が味の基盤をつくった 先輩も後輩も、全員がライバル。新橋「本陣房」での修行が味の基盤をつくった

 しかしこの時期に修行に飛び込んだある名店が、恒敏さんの進む道を決定づけた。

 新橋の「本陣房」で修行させてもらうことにしたんです。蕎麦業界だとかなり有名な店ですよね。「うちで働くからには必ず独立しろ」という姿勢のお店で、有名な板さんや職人さんが再修行の場にしているぐらいの店なんです。僕の後輩でミシュランに載るような店をつくった人もいますね。
 本陣房はいつも和食の有名な職人とか天婦羅の達人を抱えていて、「天婦羅職人には蕎麦を、蕎麦職人には刺身の切り方を教えるから、かわりに下の子たちにも自分の技を教えてやってくれ」というようなやり方で、総合的な和食を洗練させていった店でもあるんです。「人の5倍努力しろ」というのが社訓のようなもので、特別に給料がいいわけじゃないんですけど、勉強のためにはどんな食材も使わせてもらえたし、先輩も後輩もみんながライバルという空気が張り詰めていました。今から考えてみると寿司屋以上にシビアな職場でしたね。修行の初日に坊主にさせられましたし、いくら真面目に働いても、実際に蕎麦を打てる人間というのは限られているので、自分なりに考えてそのポジションまで辿りつかなくちゃいけない。そのためにすすんで雑用をこなしたり、パシリになったり、同僚を追い抜くための努力というのは惜しみませんでした。
 あ、話ばかりでもなんですから、そろそろお刺身を食べてください。これはうちの定番「三点盛合せ」です。「〆さば」と「たい昆布〆」というのは人気のメニューなので年中置くようにしていて、あとのひとつは、季節ごとの美味しいものをつけるようにしています。

三点盛合せ。取材時の旬味はキラキラに輝くシマアジ(写真右)であった。

 色とりどりのツマから自家製のガリに至るまで、皿のどこに箸を伸ばしても素晴らしい、洗練の盛り合わせ。もっとも印象的なのは鯛の昆布〆で、熟成を進めることで、その身も旨味もしっかりと濃縮されたものになっている。

 うちで提供しているものは3~5日目のものが多いんですけど、本当に美味しいのは6日目という話もあって、ただ、そこまでになると数時間の誤差で美味しいんだか(味が)ダレているのかわからなくなってしまうんです。蓋を開けてみるまではわからない、すごく微妙な分岐点があるので、今後もじっくり研究していきたいと思ってますね。

 続いて出されたのは、「小えびかきあげ」。店内中にサクッ!という音が跳ね返る、驚きの軽やかさ。素材それぞれの甘みがピンと立ったその味は、専門店さながらのものだ。

 天婦羅をすごく有名な職人さんに習えたのは助かりました。かき揚げは男性も女性も大好きですからね。一般的な蕎麦屋さんの天婦羅は、そのほうがお腹が膨らむからか、とにかく衣(ころも)が厚くて重たいと思うんですけど、そこをうちは卵液を氷水といっしょにホイッパーで泡立てる「起泡」という技法をつかうことで、なるべくカリッと仕上げるようにしています。気泡すれば衣の量は半分以下になりますし、揚げ時間も短くて済むんです。……それでも天婦羅は毎日が勉強ですけどね。いつも「今日は70点、今日は80点」と自己採点しながらやってます。

小えびかきあげ。沖縄の四角豆など、隣に添えられた季節ごとの野菜揚げも楽しみのひとつ。
 牛すじを使った料理もうちの定番です。たまたま自分の地元の大田区のほうに、幼少の頃からお世話になっていたおじさんがいるんですけど、その人が精肉業のすごい人で、松坂牛や大田原牛など、その時々でいちばんいいものを回してもらえるんです。これはたっぷりの牛すじを生姜と葱と酒といっしょに炊いて、最後にかえし(蕎麦つゆの原液となるもの。一般的には醤油、砂糖、みりんをベースに各店が趣向を凝らすが、恒のつゆに砂糖は入っていない)を加えてもう1度煮たものです。牛すじをつけ汁に加えた温かな蕎麦、「とろ牛つけそば」もよく出ますね。

牛すじ煮込。細かく裂けてくたくたヒタヒタになった葱が、ぷるんとした脂に絡みつく。濃密な味だが不思議とご飯は欲しくならない。これぞ蕎麦屋ならではの妙味だろう。

カウンターごしに直接日本酒をオススメできる。それも狭さの利点ですね カウンターごしに直接日本酒をオススメできる。それも狭さの利点ですね

カラスミのように薄切りの大根と共に供される自家製「へしこ」の炙り焼き。恒では「鯖のぬかづけ」と親切表記されている。「うちは若いお客さんも多いので、こういう郷土料理にも気軽に挑戦してもらえるようにしているんです。かなりしょっぱいと思いますけど、このぐらいじゃないとへしこじゃないと思いますし、若いお客さんにあまりアレンジしたものを出してもしょうがないと思うので」

 本陣房での修行を積み、いつのまにか「教える立場」になっていたという恒敏さんは、「このまま偉くなっていくよりは現場に立ちたい」と、いよいよ独立。2011年の5月に、自らの名(めい)の一字を取り、吾妻橋のほど近くに「恒」の名を刻む。しかし……

 いろんなことに裏切られたスタートでした。震災の関係で建築資材や空調の設備が在庫切れになってしまって、業者さんとのトラブルもすごかったですし、しかもこの通りはスカイツリー観光のためのウォーキング・コースになる予定だったんですけど、それも逸れてしまって。たった1本違うだけなのに誰も通らない道になってしまったんです。つくづく運が悪いなと思いましたね。だから最初の半年ぐらいは母が一生懸命呼び込みをしてくれて、厨房まで「寒いから入りな、食べてやるから」なんていうお客さんの声が聞こえてくるということもありました。

 ヒデ子さんが話を受け取る。

 最初は散々でしたけど、この界隈のお客さんの舌は正直ですよ。美味しいものはきちんと評価してくださる。1度きたお客さんが、すぐに同僚とかお友だちを連れてきれるということが頻発して、なんとかやっていけるようになったんですよ。
 最初はこの場所を薦めてしまった自分に対して罪悪感を感じたりもしましたね。もともとこの子が狙っていたのはもっと広い店だったんです。ただ、わたしはこの子の腕がどれだけのものかというのを知らなかったので、兄が住んでいたこの家の1階を推してしまった。最初からこの子の料理を食べていれば、確かに広い店でもやっていけるとわかったでしょうね。家族が集まってのお正月なんかは、わたしが立派なお重をつくりますから、この子に料理を披露してもらう機会というのは、この店が開店してからのことだったんですよ(笑)。

左右逆さに印刷されたラベルも粋な「裏もの」。 「〈玉川〉は最後の砦ですね。こういうお酒に慣れてしまうと、どうしても普通の純米酒は物足りなく感じてしまいますから」と恒敏さん。 恒の気配りはビールにも。鮮度と温度、そして衛生管理。「あるお客さまが〈ここの生はこれまでに飲んだ中でも1、2を競う!〉と喜んでくださいましたね」とヒデ子さん。

「ひどいですよね~!」と笑いながら、恒敏さんはフォローする。

 今から振り返ると、もし大きな店だったらお客さんとは喋れませんでしたし、売上だけを目的にするようになっていたかもしれませんね。小さい店だからこそ、常連さん同士の「じゃあまたここで」みたいなやりとりも生まれるわけですし、この店でカップルになって結婚した方も何組もいらっしゃいますよ。自分に会いにきたつもりのお客さんが、いつのまにか母のファンになっていたりするのもおもしろいですね(笑)。
 カウンターごしに直接日本酒をオススメできるというのも狭さの利点ですね。ちょっとずつアルコール度数を上げていったり、ときおりクセのあるものを挟んでみたり。自分はとにかく日本酒が好きなので、おのずとマニアになっていったんですよ。この広さだとストックにも限りがあるので、なるべく他では頼めないもの中心の品揃えを心がけていますね。「裏死神」や「裏上喜元」などの「裏もの」は蔵元がお米の最後の部分を使ってつくったものなので、本数は少ないんですけど、味がいいので頑張って確保しています。「ここにきたらレアな日本酒がプレミア価格じゃなく飲める。必ず新しいお酒で出会える」と好評ですね。たとえばこの「玉川」。これは木下酒造の杜氏であるフィリップ・ハーパーさんが出しているお酒の無濾過生原酒で、度数は21度あります。チョコレートとかチーズなんかにも合わせられる重さがあるので、ちびちびと食後酒みたいにして飲んでもらうのがいいですね。

 お店のブログに「新しいお酒が入りました」と載せると、いきなりお客さんが詰めかけたりもするんですよ。「告知は自分が飲んでからにしてくれ」なんていう常連さんもいましたね(笑)。

いつか昔話を交わす仲間たち全員が、うちの社員や元社員になったら…… いつか昔話を交わす仲間たち全員が、うちの社員や元社員になったら……

 それではそろそろ蕎麦を出しましょう。うちがメインで出しているのは外一蕎麦(そといちそば)です。一般的には二八蕎麦(にはちそば/蕎麦粉8に対し、蕎麦専用のつなぎ粉が2の割合でつくられたもの)が好まれると思うんですけど、蕎麦好きの中には、外一(蕎麦粉10に対しつなぎ粉が1の割合でつくられたもの。合計で11割となるため〈外一〉と呼ばれる)が究極だという人も多くて、うちはその配合を徹底しています。正直コストはかかりますけど、自分の労働をお金に換算しなければ、必ずお客さんはきてくれる。これが僕の持論です。蕎麦業界には、挽きたて・打ちたて・茹でたての「三たて」という言葉があるんですけど、こういう手間を値段に乗せていくと、ものすごく高い商品になってしまうんですね。舌の肥えている人に「他の蕎麦屋とは違う」と気づいてもらうには、自分の身はどんどん削っていきたいと思っています。

外一蕎麦(写真奥)と田舎蕎麦(写真手前)による「二色もり」。
この日の蕎麦粉は北海道雨竜郡の「キタワセ」を使用。 うっかり頼み忘れた「さんま刺」。「肝付」の文字に頭を抱える。これもまた、取材時だけの旬味。また来年……。

 同時に、そういう人の舌を飽きさせないというのも大切です。うちは「これだ!」と思う味ができても、あえて2~3ヶ月に1回は蕎麦粉を変えているんです。そこでの違いまでを楽しんでもらうのが蕎麦の醍醐味だと思いますし、若い人の興味も惹けると思ってます。蕎麦なんてそこまで差の出るものじゃないと思っていた人が、「蕎麦粉の品種や産地によってこんなにも味が違うんだ」「蕎麦ってこんなにも深いんだ」ということに気づいてくれるというのが楽しいんですね。

 しっとりと濡れた白磁の蕎麦をたぐりよせ、ずるずると音を立て喉ごす快感。そこに対照的なのは、隣に盛られた存在感たっぷりの田舎蕎麦。恒敏さんも「やっぱり蕎麦は音といっしょに味わってほしいですね」と語るが、しかしこの太さに対抗できる唇の持ち主というのはまずいないだろう。

 これはさすがに無理ですよね(笑)。うちの田舎蕎麦はお酒のつまみとして半人前を頼まれる方もいらっしゃるぐらいで、蕎麦を1本ずつ持ち上げて、お塩をつけてつまみにするんですね。蕎麦つゆで食べるのであれば、外一よりも多めにつけてもらうのがいいと思います。うちのつゆはかなり濃いので、田舎蕎麦の素朴な風味ともよく合うと思います。
 蕎麦つゆは注ぎ足しつぎたしでやってます。時間をかけないと太い味が出ないんですね。自分の好みはもう少し薄めのものなんですけど、毎日のように薄い薄いと指摘され続けて、ここまで濃くなりました。そのぶん蕎麦が浸かりすぎないよう少なく提供して、なくなったら言ってくださいというやり方にしています。本当にこのあたりは蕎麦好きの方が多いので、いっさい気を抜けないですね。
 気が抜けないといえば、うちは同業のお客さんも多いんですよ。「あ、この人蕎麦屋だな」という人は食べ方が違うんです。まずつゆだけ飲んで、鼻で蕎麦を香って、食べて、あとはジーッとメニューを見てる。なにより目が違うんですよね。人が何かを覚えようとしている目って違うじゃないですか。自分が長くそうだったから、すぐにわかるんですよ。

 蕎麦っ食いの大きな愉しみである蕎麦湯もまた、恒の名物。開店と同時に甘酒のような濃度を誇る、専用に割られた「最後の1杯」だ。

 ここまでこだわらないと勝ち抜いていけない世界だと思いますし、うちはいい肴でいいお酒を飲んでもらって、最後は美味しい蕎麦湯が待っているという、昔ながらの蕎麦屋をめざしてるんですね。いつも「人ひとり喜んでもらえれば」という気持ちでやっていますし、今後の展望としては、自分のそういう想いを共有してくれる社員を雇いたいとも思ってます。うちで料理やホールを体験してもらって、その人がお店を出す夢を手助けしたいという気持ちもあります。たまに昔の先輩や後輩がうちに食べにきて、和気あいあいと意見交換しながら、「あの頃は厳しかったよなぁ」みたいな話をするんですけど、いつかそういう昔話を交わす仲間たちが、全員うちの社員や元社員になったとしたら、どれだけ最高だろうなって思うんです。

 そんな話をする恒敏さんは、次の遊び場を探す子どものような目をしている。まるで同窓会の前日のような期待感をもって……。

 まさにそれなんですよ! 結局は同窓会をやりたいんです!……結局自分はまだまだ遊びたいんでしょうね(笑)。料理人って、たとえ休みの日でも、先輩に「梅干し取り込んでこい!」と言われたら従わなくちゃいけなくて、そうやって忙しくしてたら、いつのまにか同窓会の通知はこなくなっていたし、自分の人生は料理一色になっていた。だから今後はこの道を極めながら、もういちど青春を引き寄せられればなって思ってるんですよ(笑)。いつのことになるかわかりませんけど、このまま正直にやっていれば、必ずその日はくると思っていますよ。

東京都墨田区吾妻橋1-17-1
03-3626-2122
営業時間:11:30~15:00/17:30~22:00
定休日:月曜日/第2日曜日

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