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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ29 / TEXT:須永辰緒 PHOTO:嗜好品LAB / 2016.11.02 すべての「酒〈呑〉み」のために(音楽編)──須永辰緒

 もう30年も酒を飲んでいると、ある結論に至るようになった。実は「もう」じゃなく「やっと」その域に達したのかもしれないけれど、その結論とは、「酒場に音楽は不要」というものである。日本の酒呑みが「酒と音楽のマリアージュ」といったテーゼを身につけることは、ことのほか難しいことだと思うようになったのだ。

 いっぽう海外の酒場では、音楽と酒が密接に結びついているように思う。突発的に常連たちが歌い出したり、隅のほうでバンジョーを演奏する客が現れたり、たとえ酒場で音楽が流れていなくても、外から聞こえてくる嬌声や喧騒というのが、実に音楽的に感じる場面というのをたくさん経験している。もっと言えば、音楽は酒場だけではなく街にも溢れ出している。そして、そんな「音楽」こそが、旅のアルバムの一部として深く心に刻み込まれるものだったりもする。
 そういう意味でも、日本の「酒と音楽」の関係は、世界のそれには到底達してはいないと思う。

 出張で訪れた13年前のNY、イタリア人街のとあるオステリアでの昼食中に、その一報が入った。それは入院していた妻からのもので、「わたしたちの子どもがさっき産まれた」というもの。同行していた友人は、さっそくボッテガのワインを空けお祝いをしてくれた。それを聞きつけたバーテンダーは、彼の友人ギタリストに電話をしてくれたようで、そのギタリストはものの10分ほど駆けつけてくるなり、古いイタリア民謡のバースデーソングを何曲も歌ってくれた。店内にいたスタッフやお客さん誰もがお祝いをしてくれた。なんというサプライズ。いや、サプライズではなく、それが本当に自然なことのように感じられたため、自分はそれまでの生涯に味わったことのないような心地よさと多幸感に包まれたのだ。
 あの時間のことは一生忘れないし、あのときに友人がご馳走してくれたスプマンテの味も忘れない。そして、あの瞬間に音楽があったからこそ、その至福の時間は達成されたという実感も、いまだに残っている。

 また、ジャズ喫茶で飲む酒も非常に美味いと感じる。ジャズ喫茶はハイエンド・オーディオに相対しながら真剣にジャズを聴くことができる場所。提供されるのはコーヒーだけで私語禁止という時代もあったけれど、今はほとんどのジャズ喫茶でお酒も出しているし、簡単な食事もできるという店が増えている。少数のグループで酒の〆にそこを選ぶなんて使い方もOK。しかしあくまでジャズ喫茶の酒は、ジャズを聴く楽しさの脇役。酔って大声で会話なんてことはマナー違反。ジャズの奥深さに身を委ねながら、グレーンやモルトなどのウィスキーをちびちび飲る時間というのは、大人ならではの嗜みなんじゃないでしょうか。
 ジャズクラブも然り。またはバールも味わい深い。ほどよい音量で流れてくる無国籍な音楽にワインをあわせ、そこでの喧騒も相まって心地よい酔いを演出してくれる。

 なので「酒場に音楽は不要」という結論は、正確には間違いなのである。
 しかしいっぽうで、それを撤回する気持ちもなく、相反するものとして持ち続けている。
 よくわからなくなってきたと思うので、少し長くなるけど説明させてもらいますね(つうか、この原稿はいくら長くなってもいいのか)

 たとえば、ちょいと照度を落とした今どきの洒落た居酒屋。品書きは手書きによるもので、若いスタッフは揃いの作務衣。品のよい個室に通され、さらに照度も落ちる。そこには小さな音でジャズが流れている。
 もしくは、カクテルやクラフトビールも揃う無国籍料理店。デートにちょうどよさそうな距離感で相席できるが、終始エスニックなUSENチャンネルが流れている。
 また、駅前のチェーン店には、J-POPや80年代の歌謡曲が大音量で……

 ……薄い。薄すぎる! 演出の一貫として空気に馴染ませるためだけの音楽は、ヒマラヤ山脈よりも空気が薄いように感じてしまうのですよ。日本の酒呑みはいつからこんなマニュアリーな空間に閉じ込められてしまったのですか。「おしゃれ~」なんて語彙は酒場にとって、もっとも不要な要素です。そんな要素が少しでも入るだけで、私は酒宴が飼いならされてしまっているようにも感じるのです。

 そんな私の求める酒場の音楽は、活気ある店の雰囲気と酔客の声。これだけで充分。店主やスタッフが醸し出す雰囲気が、酔客のそれに混じって心地よければ、それだけでいいじゃない? と思うのですね。せいぜいテレビが置いてあって、プロ野球のナイター中継がうっすら聞こえてくるとか、NHKの「ラジオ深夜便」が古ぼけたスピーカーから流れてくるなんていうのは、逆にすごーく正しい。あのJ-POPや小さく流れる瀟洒なジャズに、どれだけの酒吞みが骨抜きにされてきたことか。つまり、私が言うところの「酒場に音楽は不要」論は、日本発祥の、それも近年の居酒屋文化についてだけということになります(完全にオジサンの愚痴みたいになってきていますがご勘弁を……)。日本はそろそろ「酒と音楽のマリアージュ」について真剣に考える時期にきているのではないでしょうか。

 さて、こんなにも酒と音楽をこよなく愛する私の本業のひとつに、「選曲」があります。ここでいう「選曲」とは、DJによるリアルタイムでの選曲とは異なり、企業ブランディングやファッション・ショーの演出、ホテルのためのサウンドトラックの編集や、商業施設の館内BGM、商品に付随する特典CDなどがそれに当たります。
 そんな選曲に関して、先日、あるお仕事を拝領した。とある居酒屋のシーズンごとのBGM制作及び、お店のサウンドトラックCD、その名も『酒ジャズ』の制作です。ようやく「酒と音楽のマリアージュ」について、真剣に向き合える仕事がきたというわけです。文句を言うだけなら九官鳥でも言える。日本の居酒屋文化継承のため、音楽という仕事で貢献し、初めてみなさんにジャッジして頂こうじゃないかと、よい機会を頂いた次第。

 そのお店は「ぬる燗 佐藤」といいます。日本全国の酒蔵から取り寄せた日本酒をメインに和食を提供するというお店。ここのグループ数店舗で流すBGMに関してはシーズンごとのものなので、それは単純に自分がその空間でお酒を呑みながら聞いていたい音楽を選曲した。今、「聞いて」と書きましたが、「ぬる燗 佐藤」はやはり居酒屋なので、「聴く」というイメージではないのですね。むしろ「聞き流す」ことで酵母が発酵するような、脳内酒ホルモン(造語)が活性化するような、そんなイメージで取り組みました。さらには自分に「企業イメージの啓発」という足枷を嵌めつつ、極力選曲を絞っていく。今どきの居酒屋で経験したBGMのつまらなさや過剰な部分を意識的に削除していく。お酒を楽しんでもらえる雰囲気づくりのお手伝いというのを、お店のスタッフと同じような目線にて臨むのです。
 これはあっという間にできました。客観的であり主観的であるそれは、経験と感覚だけで乗り切れたのです。

 困難だったのは『酒ジャズ』の制作です。それは、逆に今までの経験が仇になってしまいました。雰囲気とブランディングを重視するあまり、逆にステレオタイプでありきたりな選曲になってしまっていた。案の定、ダメ出しを受ける。改めて「日本酒をもっと若い世代に広げたい」という命題を与えられ、今度は考えていた路線とは真逆の選曲で探りを入れてみた。すると、それがまさに先方の考える「酒場のジャズ」だったのです。
 それらはすべて名門ブルーノート音源からのチョイスによるもの。このレーベルのアーカイブは無限に近いのですが、中でも亜流に近いファンクな要素を核に配した。
 とくに本稿にオリジナル・ジャケットを紹介した3枚は、DJに人気のあるグルーヴィーな曲を多数収録した名盤でありながら、ミュージシャンのキャリアの中では比較的評価が分かれるアルバムでもあり、スリリング。酒場に限らず街で流れてきたら思わずニヤっとするような意外さもあるし、何よりも現在進行形ジャズの根底に流れるブラックネスを体現していて、まったく古さを感じない。
 こういった選曲が「ぬる燗 佐藤」に受け入れられたことは、「『酒場のジャズ』はこういうものである」という権威主義的概念が一気に覆された瞬間でもあり、期せずしてこのサウンドトラックは、DJなどという職業を選んだ自分、パンク精神の塊だった頃の自分を再発見する仕事となったのでした。

 今日はこのサウンドトラックを部屋のサウンド・システムで全身に浴びながら、友人からプレゼントしてもらった古酒をちびちびと飲むつもりです。肴は福岡土産の乾燥明太子やブルーチーズがいい。そして「聴く」。決して聞き流さない。日本の「酒と音楽」にとっても、自分の音楽人生にとっても、大切な仕事を終えた夜だから。

SIDE ORDERS :
・Jimmy Smith『At The Organ, Volume 3』(1956)
・Reuben Wilson『Set Us Free』(1971)
・Horace Silver『Total Response(The United States Of Mind / Phase 2)』(1970)
・V.A.『酒ジャズ ~ぬる燗 佐藤 × ブルーノート』(2016)

須永辰緒Tatsuo Sunaga
ソロ・ユニット「Sunaga t experience」としての活動でも知られるDJ/プロデューサー。 DJプレイでは国内47都道府県をすべて踏破。また北欧↔︎日本の音楽交流に尽力。世界各国での海外公演も多数。自身のオリジナル・アルバム5作に加え、全12作を数えるMIX CDシリーズ『World Standard』、ライフワークともいうべきJAZZコンピレーション・アルバム 『須永辰緒の夜ジャズ』も20作以上を継続。関連する作品は延べ200作を超えた。最新作は『クレイジーケンバンドのィ夜ジャズ』(UNIVERSAL SIGMA)、Sunaga t experiencec『STE』(BLUE NOTE)、V.A.『酒ジャズ ~ぬる燗 佐藤 × ブルーノート』(UNIVERSAL JAZZ)など。企業ブランディングや商品開発、音楽や料理などの著作も多数手がけている。www.sunaga-t.com

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