

サイドオーダーズ24 / TEXT+PHOTO / 2016.5.27 街を映す鏡──塩見なゆ
酒場めぐりを職業としています。1年間で飲みにいくお店の数は約2000軒。日々たくさんの飲食店を梯子(はしご)し、酒場の楽しさや魅力を発信しています。飲み歩きを仕事にしている人はあまりいないと思いますので、わたしが梯子にハマったきっかけや、酒場めぐりの楽しさについてご紹介したいと思います。
わたしが酒場に目覚めたのはまだ幼少の頃。両親がともに作家で、新宿のゴールデン街で知りあったという根っからのお酒飲み夫婦の間に生まれました。ですので、外食といえば酒場にいくことが多く、幼い頃から焼き鳥やちくわの磯辺揚げ、しめ鯖などが好物というちょっと変わった子どもでした。両親の仕事柄、周辺にはいつも「お酒好き」の作家や出版関係者がいて、知らない大人のなかに混ざって食事をすることが当たり前になっていました。これが、わたしの酒場へのハードルをぐんと下げた大きな理由です。
学生になり、成人を迎えたとき、アルバイトで稼いだお金を持って、ひとり大衆酒場の暖簾をくぐったときは、「ついに仲間入りできるんだ」とワクワクしながらも、初めてのひとり酒場にかなりの緊張もしていました。しかし今から考えてみれば、この緊張感こそが初めての酒場にいくことの大きな楽しみになっているのだと実感できます。
背筋をぴんと伸ばし、暖簾をくぐり、人差し指で「ひとり」であることを店員さんに見せて、「どうぞ」と言われるまでの間や、席につくまでの流れの中、周囲のお客さんがなにを食べているかをこっそり見渡しながら、最初の注文を考える。おしぼりやお通しを受け取ると同時にビールを頼むまでの1分程度で店内を観察し、「すぐ出るもの」と「時間がかかるもの」を素早く2品見つける。こんなお店と自分とのキャッチボールが楽しい。ドキドキするとともに、どこか癖になるものがあります。最初は、「誰だろう、知らないのがきた」と、店の方を含め店内にいる全員に注目される中、いかに最初のオーダーをスマートに済ませられるか。こんな駆け引きがたまらないのです。
馴染みのお店で、「いつもの」と頼み、常連さんや店主と世間話をしながらくつろぐのもいいのですが、どこか酒場には緊張感を持っていたいと思います。
知らないお店を知りたい、まだ見ぬ楽園を探したい。わたしは店の方や常連さんと仲よくなり、「次の酒場」を紹介してもらうことも多く、これもまた、梯子酒の大きな魅力のひとつとなっています(写真は先日の大阪遠征で訪れた「岡室酒店直売所」という立ち飲み屋さん。牛すじのおでんが美味しかった!)。
わたしが酒場めぐりに魅了されたのは、たんに両親の影響だけではありません。酒場にはその街の歴史や文化、社会がぎゅっと凝縮しているように思えるからです。もともと、街歩きや歴史が好きで全国を旅するのも趣味でした。たとえば、「東京・赤羽の酒場はなぜ朝7時からやっているのだろう」、こんなことを考えてみるのもおもしろいんです。
赤羽はもともと北区の工業地帯で、荒川の河川敷という背景があります。工場があり、24時間稼働しているということは、夜勤明けで朝から飲みたい人がいる。だから早朝からやっている酒場が多い。その後、宅地化が進み、酒場の客層は変わっていきつつも、今度はタクシーやバス会社、鉄道、医療の関係者などが集まることで、やはり朝酒のニーズは高かった。いまでこそ赤羽はテレビや雑誌でもたびたび紹介される飲み屋街となりましたが、そこに至るまでには歴史があり、産業が関わっている。そんなことを考えながら飲めば、この酒場が70年続いているのはそういうことなんだろうな、と、ひとり納得する楽しさも見つかります。
酒場は街を映す鏡。そしてどの酒場にも常連さんがいて、その街のことをよく知っています。常連さんは、職場と自宅の間に、第3の居場所としてその酒場を利用しているのです。酒場にはいろいろな人の人生があり、みんなが笑顔に戻る場所なんだと思います。酒場から酒場へ移動するということは、たんに河岸を変えて新たな気持ちで飲み直すというだけでなく、次の店で飲んでいる、これまで会ったことのない人たちの人生の一瞬を垣間見ることでもあるのです。
下北沢の酒場には演劇関係やミュージシャンが想いを語り合っているし、中央線沿線にはイデオロギーをぶつけあう作家が飲んでいる。土曜お昼の神田の酒場には、近隣の会社を定年退職されたOB・OGが「あの時代」についての思い出に浸りながらボトルの焼酎を囲んでいる。
お店が変われば、新しい世界が見える。それが実に楽しいのです。
もちろん酒場には闇もあります。わたしにもいくつかの失敗があります。上野や新橋の某店では、常連さんの輪の中で楽しく乾杯させてもらっていたはずが、最後は喧嘩の仲裁に回るはめになったこともあります。
しかしこんなことでひるんではいけません。酒場を嫌いになってはいけません。酒場が街の横顔を投射している以上、その懐(ふところ)は途方もなく広く、街にも気分や機嫌というものがあると考えれば、1軒や10軒の失敗など、あって当然のことなのです。
老舗のお店には、いまもどこかに昭和の空気が残っているように感じますし、千円札1枚で楽しめる立ち飲みや角打ちには人々の活気があふれています。新しく酒場を始めた若い店主には、「いい店をつくるぞ」という熱量のようなものがあり、これもまた素晴らしい。
家で飲むことと酒場で飲むことの違いは、未知の空間そのものが持つ味がつまみになるということなのではないでしょうか。
今日も仲のよい老舗からできたてほやほやの居酒屋まで、時間いっぱいの酒場めぐりを楽しみたいと思います。梯子っていいですよ。
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