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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ13 / TEXT:江森丈晃 PHOTO:嗜好品LAB / 2015.06.30 はしごは天へと続く(出禁のマナー番外編として)──江森丈晃

「ヒトトヒトサラ」の編集長兼雑務全般を担当しています、江森といいます。雑誌や書籍の仕事を続けるうち、グラフィック・デザイナーやフォトグラファーといった肩書きが増えていき、現在に至るエディターです。
 僕がこのサイトを担当することになったのは、お酒の縁によるものです。
 ある夜、あるBARで、Sさんと隣り合わせになりました。その女性はアサヒビールに勤務していました。いくつかの世間話ののち、僕は(酒の席の自嘲的な冗談として)「スーパードライ2のパッケージ・デザインをぜひうちに!」とかましたところ、「編集ができるなら、嗜好品のサイトをやってみませんか?」と声をかけていただき、その翌週には、年間予算の話に飛んでいたのです。毎晩のようにお酒を飲んでいると、まれにこういうことがあるものです。
 自分にはまったく酒の飲めない友だちがいますが、たとえば居酒屋のテーブルに彼が混ざっていると、誰からともなく放たれる質問があります。
「そういやどうやって今の彼女とつきあったの? 最初のキスもシラフなわけでしょう?」
 つまり、それだけに酒飲みたちの人生は、カウンターやお座敷での人間関係=夜の社会に助けられている。また、許されている、ということなのでしょう。

 もう少し前置きを。

 自分はひとりで飲むのも大好きです。ひとり酒、そしてひとりの「はしご」には、また違った愉しみがあります。
 夕飯はすでに済ませていることが多いので、選ぶのはBARやスナック。選択基準は、個人経営であること、財布に優しい店であるということ、それでいて何が起こるかわからない、うっすらとした緊張感とギャンブル性が感じられることでしょうか。
「はずれ」の店は10分で席を立ち、心の「嫌い箱」に分別します。「あたり」の店にはその後もポツポツと通うことになります。その店には名物店主がいて、名物店主に集う常連たちがいて、自分はだんだんと彼らに受け入れられることで、つかず離れずの距離感を保ったまま、その外周に浮かび続ける人工衛星のような客になれるのです。
 決してお互いを詮索するわけでもなく、電話番号を交換するわけでもなく、「じゃあまたここで」と別れる諸先輩の語り口には無理がなく、煙草の煙とともに、いくら入れてもお腹が膨れることのない、つまりは長く飲み続けるためのいい肴なるものです。
 たとえば……会社へと急ぐ夏の朝、薄手のスーツの内股をガードレールに引っかけてしまい、太ももが露出、通りの向こうに「お直し屋」があったため飛び込むと、やけに艶かしい熟女がミシンから顔をあげ、「ひとまず脱いで」と奥の部屋へと通され、そのまま会社を辞めてしまったというお父さん。隣にいた女性がその人だと紹介されたときは驚きました。
 こういった「すべらない話」は年間数本ですが、そこには至らない「雑な話」というのもまた好物。そのふやけるような湯加減に、心底リラックスできている自分を感じるのです。幽霊が幽霊の話を聞いているようなものですから、力が入るわけもないのですが。

 前置き終了。
 今回は、そんな自分が、そんなはしご酒で出会ったある店の話です。

 冬の夜、目黒区の住宅街を歩いていると、古い木造アパートにオレンジ色の明かりが灯っていることに気がつきました。ゆっくりと近づいてみると、そこには5~6軒の小さなスナックや居酒屋が集まっていました。奥には共同トイレがあり、アパート全体が映画のセットのようでもあり、集落というか、コロニーというか、とにかくその闇は近隣の闇よりもこってりと深いように感じられました。
 これはおもしろそうだと端の店からチェックしていくと、引き戸の向こうにテレビの明かりが光る居酒屋がありました。自分は「もしつまらない店だったとしても、視線の逃げ場がある店」だと判断し、「こんばんわー」と入店しました。

 そこはゴミ屋敷でした。
 広さは3坪ほど。4人がけのカウンターにはお菓子の包み紙やクシャクシャに丸められた薬の処方箋が散乱しています。椅子にもチラシや古雑誌が重ねられ、まずは自分の陣地の確保から、という状態です。天井からは洗濯物が吊るされ、おそらくここで寝泊まりする人がいるのでしょう、畳1枚ぶんの小上がりには、飴色になった万年床が敷かれています。テレビのリモコンにはサランラップ(のようなもの)が巻かれており、そんなところに気を遣うのであればもっと気を遣わなくてはいけないゾーンが無限に見つかります。

 シラフの自分であれば尻込みしていたでしょうが、その夜は違いました。鼓膜の奥には「ここで飲めたらどこでも飲めるぞ!」という前向きな警報が鳴り響いています。
 そうこうするうちに、「いらっしゃいなんにする?」というしゃがれ声が聞こえました。声の方向に目をやると、一升瓶の隙間にママさんを発見。歳は60代後半でしょうか。その笑顔はどこか穏やかで、不思議な包容力に満ちていました。自分は、自分の肩幅ぶんのゴミを隣の席へとスライドすることに決め、なんとか着席しました。
 しかし油断はできません。シンクにはものすごい量の洗いものが見えます。いつからそこにあるのかわからない貫禄で、地層を形成しています。建設中のデススターのようです。僕は真冬のナチュラル・デオドラントに感謝しながら、瓶ビールを頼みました。ここでは栓のしてある飲み物しか頼めないと判断したためです。
 なぜかビールは真っ白に凍っていました。冷凍庫に保管されていたようです。ママさんにそれを伝えると、「外にケースが置いてあるからそこから取って」と言われました。しかしそのすべては空き瓶でした。しかたがないのでビールは諦め、ほかに何があるかと訊ねたところ、マッコリがあるというので、それをボトルでもらうことにし、ゆっくりと飲み始めました。

 酒の力というのは恐ろしいものです。ペコペコとした感触のプラスチック・ボトルが軽くなるうち、だんだんと居心地がよくなり、ママさんもそんな自分の緩和を察してくれたのか、万年床をゆら~りと迂回。隣に座ってくれました。
 食べかけのカステラを薦められたときはさすがに断りましたが、昔の写真は見せてもらうことにしました。手渡されたクリア(でない)ファイルには、手札版のスナップや色褪せたポラロイドがぎっしり。そのどれにも美しい女性が写っています。
 これまでに幾度となく披露したのであろう昔話や、水商売での苦労が、とつとつと語られ始めました。

「これがあたし。これがあたしののお母さん。筋金入りの水商売人生を送っていた人でね、あたしがハタチになったとき、このお店をプレゼントしてくれたのよ。あの頃は景気もよかったわね。毎晩のように飲んで遊んで過ごしてね。それが今ではこんな身体になってしまってね」

 ママさんは、左半身が思うように動かないとのこと。その理由が、また壮絶でした。

「ある夜、あたしがお店を出ると、ふたりのお客さんが待っていてね、飲みにいこうと誘われたのよ。ただ、そのふたりの仲がとても悪くてね、俺が先に誘ったんだ! いや俺だ!ってやってるうちに、とっくみあいの喧嘩になってね、あたしは彼らの仲裁に入ったんだけど、ふたりともすごく力が強いもんだから、あたしは跳ね飛ばされてしまってね、道路に倒れたところを、タクシーが轢いていったのよ。あはははは(笑)」

 笑えない。
 正直なところ、話の序盤までは、「このままママさんに取材できたらいいな。だったら〈出禁のマナー〉がいいな。長い長い水商売の記憶には、さぞかしひどい酔客が登場するのだろうな」などと狙いすまし、自分の仕事も説明。撮影許可ももらっていました。しかし、ここまで人の人生をねじ曲げてしまう暴力というのは、いけない。
 ママさんを跳ね飛ばした常連客のひとりは、幾度となく病室までお見舞いにきたといいますが、もうひとりはリンゴすらもってこず、しかし後年、ひょっこりと店に現れ、ツケをせがんだといいます。そんな暗い話を書けるか! というものです。

 しかしこの夜の話は、思わぬ明るみを帯びることになります。
 引き戸がガラリと開けられ、初老の男性が入ってきました。浅黒い肌をグレーのスーツに包んだ長身です。ママさんは、それまでとはうってかわった機敏な動きでカウンターを片づけ始めます。
 長身は、いつもの席らしき席にゆっくりとした動作で腰かけ、日本酒をオーダーしました。ママさんは、それをグラスに注ぎ、コトリとカウンターに置きます。長身はグラスに手を伸ばしますが、恐ろしく酔っているようで、目が開いていません。ママさんは、「もうちょっと左よ」とグラスの位置をガイドします。
 僕はそのとき、長身が壁ぎわに立てかけている白い杖に気づきました。酔っぱらっているのではありませんでした。目が不自由な方でした。
 ママさんの、「今日は唐揚げを買っておいたわよ~!」という声が、店内に響きます。その声はさっきよりも1オクターブほど高いようで、自分への対応とは明らかに違います。僕はそのギャップに小さく笑ってしまいました。
 自分の気配を察した長身が、「お、おれ以外に誰かいるなんて珍しいな」と顔を上げます。僕はその横顔に、嫉妬の感情が走ったのを見逃しませんでした。
 そうです。このふたりは恋をしているのでした。
 自分は財布を探し始めます。もうこの場所にいることはできません。

 ここからは自分の想像です。

 長身は、ママさんを道路に跳ね飛ばしてしまった男のひとりでしょう。もちろんお見舞いにきたほうです。その頃の長身は、鶴田浩二似のいい男。まだ見えていたその目には、ピカピカの着物を夜風になびかせながら、ネオン街を泳ぐママさんを映していたはずです。
 しかしあの夜、事件が起き、客は減り、バブルも弾け、長身は目の病気にかかり、ふたりがそれぞれ、ひと晩やふた晩では語り尽くすことのできない苦労を重ねるうちに、この店は、「見えない客」と「片づけなくていいママ」だけの場所になったのです。
 ママさんが日本酒を注ぐたび、長身の目には、チリひとつ落ちていない、かつてのカウンターが浮かぶのでしょう。そしてまた、あの夜の暴力を後悔するのでしょう。
 ママさんはママさんで、自分の人生を振り返りながら、彼を許し続けるのでしょう。
 そしてまた、この店の不衛生も、そんなふたりのバランスのもと、確かに許されていたのです。

 自分が財布を開けると同時に、長身が、上着のポケットから黄色い物体を取り出しました。

「これ、またつくってきたから」

 それはたまごサンドでした。目が不自由なのですから、しかたがありません。それは自分の長い自炊経験においても初対面の食べ物でした。薄切りの食パンに、潰した半熟卵と大量のマヨネーズが塗りたくられ、外側にハミ出た部分をラップで抑え込むことで、かろうじて四角形を保っています。プロレスや柔道に詳しい人であれば、◯◯固めという表現を使えるのでしょうが、あいにく自分には「ビチョビチョ」という擬音しか浮かびません。パンの中心は濡れに濡れ、今にも決壊しそうになっています。
 しかしママさんは動じることなく、「いつもありがとう、すぐいただくわ」と甘い声を出すのです。
 会計を済ませる自分に、長身は余裕を取り戻し、「なんだもう帰るのか。気をつけてな」と紳士です。
 ママさんも「おやすみなさい」と挨拶してくれました。しかしその直後、自分の目を強く見つめ、しかし声は発することなく、唇をこうも動かしました。

「これ持ってっちゃって!」

 かくして自分はビチョビチョのたまごサンドを手に入れることになりました。
 女性というのは、いつもいつでも残酷なものです。

 このサイトのお仕事をいただいて以来、いろんな飲食店のオーナーさまとお知り合いになりました。そのたびにフリーランスの自分は、「城」があるのは羨ましい、という気持ちになっていました。しかしこの店は究極でしょう。ひとりのためにオープンし、ひとりだけをを楽しませる、城。いや、シンデレラ城。
 こんな名店に出会うたび、夜は心地よく、明日はどの街のはしごを昇ろうかと、天にも昇る、それでいてちょっと切ない気持ちになるのでした。

 快く取材に応じていただいた「ママさん」に感謝いたします。

江森丈晃Takeaki Emori
1972年東京生まれ。グラフィック・デザイナー/フォトグラファー/ライター/エディター(順不同・日替わり)。出版社数社での見習い時代を経て、98年、デザイン事務所=tone twilightをスタート。CDジャケットのデザインや音楽書籍の装丁/編集を中心に手がけ現在に至る。好物は牡蠣とセロリと納豆です。

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