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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ02 / TEXT:樋口毅宏 PHOTO:嗜好品LAB / 2014.06.11 失われた馬場を求めて─樋口毅宏

 久し振りに高田馬場の駅を降りたらショックなことがあった。「花」が失くなっていたのだ。生まれてこの方いちばん食べてきた、大好きな和菓子屋さん。
 いつの間にか「花」は潰れて、見知らぬ居酒屋が営業していた。目の前の光景が受け入れがたくて、僕はしばらく店の前で立ち尽くしてしまった。

 1995年から2008年までの14年間、僕はほぼ毎日、高田馬場に通った。大学を卒業してから馬場の出版社で働いたが、実家が池袋だったため、高校生の頃から顔なじみの町になった。
 馬場は池袋と新宿の間にある中継地点のような場所で、予備校や専門学校が多いせいか、土日よりも平日のほうが、人が多かった。
 いつだって世の中に取り残された感じで、移り変わりの少ない町だと思っていたが、僕が会社を辞める前後から、装いが変わりつつあった。
 まず、馬場のシンボルであるビッグボックスがリニューアルした。黒川紀章がデザインした、走る人が描かれた赤いボードはもうない。いまでは小ざっぱりしたブルーの外装のアミューズメント施設に生まれ変わった。
 駅前の映画館、東映パレスが無くなり、館内の階段を活かした居酒屋になって久しい。
 馬場はもともと映画と相性が良かった。日本映画の父、マキノ省三の息子で映画監督のマキノ正博がメガホンをとった、阪東妻三郎(若い人に説明すると、田村正和のお父さん)出演の名作『血煙高田の馬場』が有名だ。
映画館が無くなると、その町から文化が消えることになる。ここは都内でも数少ない二番館の早稲田松竹に頑張ってもらうしかない。
 早稲田通りを早稲田方面に歩いて2、3分、いまではスターバックスの場所にマクドナルドがあった。ここのマックは変わっていて、店内の壁に、ビートルズが来日したときの新聞記事や、『クリムゾン・キングの宮殿』のLPといったロックの名盤が飾られていた。BGMは決まってビートルズ。さすがに店員は長髪やマッシュルームヘアではなかったが、僕はこっそり、「ビートルマック」、もしくは「ロックマック」と呼んでいた。
 同じ通りにあったインドカレーの老舗、「マラバール」が無くなったのも痛かった。ここには学生の頃から足繁く通った。ランチだとカレーが2種類選べて、ハーフナンとハーフライスの取り合わせも可能のため、食いしん坊には嬉しかった。ショーウインドウではインド人がナンを焼き、店主のご婦人はいつもニコニコしていた。僕にインドカレーの美味しさを教えてくれた店だったのに。

 馬場が近年すっかりラーメン激戦区になったことにも触れておくべきだろう。
 神田川沿いの古ぼけた建物の角に、つけ麺屋の「べんてん」ができたのは20年ぐらい前か。旨いのと量が多いので、若かった我が身にはありがたかった。会社の同僚と連れ立っては、大盛りの麺と分厚いチャーシューで腹いっぱいになった。
 いつしか雑誌に紹介されたページが店内に貼られるようになり、「あんな店が載るんだ」(失礼!)と苦笑していたのも束の間、あっという間に人気の行列店に成長した。
 ほぼ同じ頃か、点字図書館の坂を登ったところに「やすべえ」ができた。おそらく1号店だと思う。現在では池袋、新宿、渋谷、下北沢などに支店ができて、僕はほとんどのお店を行脚した。あの時代に馬場の空気を吸っていた者としては、この2店の功績により、馬場がラーメン屋の名所になったと思っている。
 毎年5月頃になると、新歓コンパの学生たちで通りが溢れるため、駅前のロータリーに屯(たむろ)できるスペースが作られたのは何年前のことか。除幕式には手塚治虫先生の奥様がいらしていたのを覚えている。
 馬場と手塚には縁がある。マンガの神様の仕事場が馬場にあったことと、鉄腕アトムが誕生したのは高田馬場という設定だ。そのため、JRの高田馬場駅の発車メロディーは鉄腕アトムで、ガード下には火の鳥、リボンの騎士、ブラックジャック、三つ目がとおる、ジャングル大帝レオといった、手塚キャラが勢揃いした壁画がある。永久に残してほしいと思う。
 思い出は尽きない。いつ行っても汚かった24時間喫茶の「白ゆり」、K-1で有名な正道会館のそばにあった、アンディ・フグが生前行きつけにしていたオープンテラスのカフェ(名前を失念してしまった)、アジア出身のおじさんが親子丼や天ぷら蕎麦を作ってくれた「山田うどん」(あの山田うどんではない)、気のいいおばちゃんがいた居酒屋「海乃家」(味もいいけど、この店のお座敷の気の置けなさと言ったら!)……数え上げたらきりがない。
 しかしすべて姿を消してしまった。あれほどあった小さな本屋も、いまはもうない。
 僕の青春は馬場とともにあった。その日々のことは、『ルック・バック・イン・アンガー』という本にまとめた。
 こんなことは言いたくないけど、もし芳林堂ビルの地下1階にある、僕にとってとんかつナンバーワン店の「とん久」が無くなったら、馬場駅に下車する理由がなくなってしまう。それだけは勘弁してほしい。

 音楽の場合、たとえバンドが解散しようと、メンバーが亡くなろうと、音源があれば追体験できる。しかし味は帰らない。レシピ通りに料理を作っても決して再現できない。ましてやお店の雰囲気など、一度消えたらもう戻らない。
「無い、無い」と嘆いてばかりいても仕方がない。すべては移ろい、消えてゆく。
 そんな感傷を噛み締めつつ、僕はきょうも一期一会の美味しさと出会いたい。

SIDE ORDERS :
・樋口毅宏『ルック・バック・イン・アンガー』(2012)

樋口毅宏Takehiro Higuchi
1971年東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。コアマガジンや白夜書房にて編集を務めたのち、取材で出会った白石一文の紹介により2009年『さらば雑司ヶ谷』で小説家デビュー。2011年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補と第2回山田風太郎賞候補に、2012年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補になるほか、鮮烈な暴力/性描写と膨大なオマージュを散りばめた作風にて熱狂的なファンを獲得。2013年には『タモリ論』がベストセラーに。

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