あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。
ヒトトヒトサラ48 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2017.2.28 【ヒトトヒトサラと道府県:小樽(後編)】寒いから旨い! 旨いけど寒い!冬の小樽を飲み尽くす、よだれも凍る強行軍
極寒の荒野には極寒の季節に! 針のような向かい風に耐えてこそ、その土地本来の味に出会える! うまい熱酒が飲める!……という若干の強がりと怖いもの見たさを胸に、「ヒトトヒトサラと道府県(=地方編)」第2弾は、北海道へとフライト。
そこには2015年6月のバックナンバー「ヒトトヒトサラ18」にてチーズの世界の奥深さ紹介してくださった銀座の名店「チーズ&ワインカフェ ブーケ」の森田満太郎さんが、故郷である小樽へと一時帰省し、老舗居酒屋「かすべ」を大胆リニューアル、我々のアテンダーとしても獅子奮迅! という後押しもあった。
容赦のない冷気の洗礼と怒り狂う日本海。しかしそこには、目深にかぶったフードを外した瞬間の、大きく開ける視界にも似た、驚きの味覚が待っていた。
小樽人のソウルフードを食らった前編に続いての後編は、余市へと遠征。ニッカウヰスキー蒸溜所、吹雪に埋もれたワイナリー、そしてついに辿り着いた「かすべ」での一夜をお届けします。
6軒目:余市郡余市町黒川町「柿崎商店 海鮮工房」
小樽に雪だるまはない。ひとつも見ていない。金無垢の宮殿に暮らす石油王が硬貨を持たないのと同じく、遊びに恵まれすぎた子どもたちは、雪になど触らないのだろう。そんな思い込みとともにスタートした2日目は、バスに乗り込み30分、余市の街へ。向かったのはこの界隈を代表する海鮮市場であり満腹スポット「柿崎商店」。夏には超満員になるという広々とした食堂で、代表の柿崎幸司さんにお話を聞きました。
この店は魚や野菜を売る小さな商店として始まったところで、80年ぐらいの歴史がありますね。食堂を始めたのは20年ぐらい前。そろそろお客さんもちらほらくるだろうけど、今はオフシーズンなので、こんなもん。まぁ、田舎なんでね。
余市の魚の魅力? それはやっぱり新鮮さだね。晩に獲れたものをその日の朝に売る。ほかと違って少しも寝かせるということをしないので、やっぱり美味いですよ。食べてもらいたいのはホッケ。これに比べると、東京のホッケは干物って感覚でしょう? 小さいから脂も乗っていないし、それを焼くとまた縮んでしまう。酒のつまみにはそれでいいのかもしれないけど、こっちのホッケはあくまでおかずなんでね。うちはごはんも多めだから、俺でもホッケ定食に味噌汁をつけたらしばらく動けないぐらいになりますよ。
そうして運ばれたのは、空母のようなホッケ焼き。全長もさることながら、その肉厚なこと。パリっと焼かれた骨ぎしに箸を入れればブルン!と身が離れ、潮の味が舌に広がる。これを朝ジョッキ、そして大ぶりのカニ爪が浮かんだ「てっぽう汁」で流し込めば、あぁ、毎朝これでも全然OK! 日本人バンザイ! と、冷えた身体が歓喜に震える。
自分もいつもは仕入れのほうばかりやっていて、ずっと市場にいることが多いので、お客さんの並んじゃう夏場しかここは手伝ってないんですよ。今日ここにいるのは市場に魚に1匹もいないから(笑)。波が荒くて誰も漁ができなかったんですね。いつもはうちの4トン車のアクセルを踏みっぱなしでね、魚はこのあたりの寿司屋さんなんかにも納めるし、東京や名古屋なんかにも卸して。
今はシーズンじゃないけど余市の「赤ウニ」っていうのは有名な高級品なんですよ。ひと舟7000円ぐらいする。ここは昆布を採っちゃいけない土地なんですよ。それはウニの餌がなくなるからだと思うんだけど、冬場は除雪した雪を海に大量に捨てるものだから、磯焼けしちゃって海藻が生えにくくなってるみたいで、アワビなんかも年々高騰してますね。やっぱり自然に溶ける雪ってのと人間が捨てる雪ってのは違うんだね。
市場の入札は8時半と1時の2回。ここの競りは手のサインじゃなくて声を張り上げてやるので、昔はドキドキ緊張しちゃってね、なかなか声が出なかった。慣れた今でもときには自分の給料ひと月ぶんぐらいの損を出しちゃって青くなったりね。まぁ、そこでいちいち落ち込んでいたらこの商売はできないです。海ってのは人間がコントロールできないものだし、だからこそ、「本物の味」というのを提供できるわけですよ。
柿崎商店 海鮮工房北海道余市郡余市町黒川町7-25 柿崎商店2F
電話番号:0135-22-3354 営業時間:10:00~19:00 定休日:不定休
7軒目:余市郡余市町黒川町「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」
柿崎商店を離れ、徒歩5分。続いては、我らがニッカウヰスキーの蒸溜所へ。創業者・竹鶴政孝とその妻リタをモデルにした人情悲喜劇『マッサン』のブームは落ち着いたものの、ジャパニーズ・ウイスキーの世界的評価は依然加熱中。広大な敷地内の新雪をザクザクと踏み鳴らしながらのアクティヴな見学コースも根強い人気を誇っている。
総務部長の古屋野義一さんには一般公開されることのない「当時の夫婦生活」、また、竹鶴政孝ならではの酒の飲み方までを教わった。
……と、ちょっと駆け足で見てきましたが、次は創立時に建てられた1号貯蔵庫にご案内しますね。ここはウイスキーづくりの最後の工程「熟成」が行われてきた場所で、蒸溜によりアルコール度数70%ほどになった液体に水を加え、63%程度に落ち着かせたものを樽に詰めて寝かせるんです。
樽の中の原酒は木目を通して呼吸することで、少しずつ熟成していきます。床が土のままなのは適度な湿度のため。外壁は石づくりなので、夏でも涼しさを保つんです。余市の年間平均気温はスコットランドとほぼ同じの8℃。冷涼な気候なほど、モルト・ウイスキーの豊かな香りを逃さず、ゆっくり熟成させられるんです。樽の積み方も重要で、2段、せいぜい3段まで。高く積みすぎると温度が上がってしまいますし、乾燥も避けられません。ウイスキーというのは本当にデリケートなものなんですよ。
現在は見学用に空樽を展示していますが、今後は奥の樽に原酒を入れて、熟成とともに少しずつ蒸発していく香りも楽しんでもらおうと思ってますね。ここはお子さまも見学するので、すべての樽を満たすと問題があるかもしれませんが(笑)。
じゃあ、そろそろ旧竹鶴邸のほうに移動しましょう。通常は玄関ホールと庭園しかお見せしていないので、今日は勝手口から入ります。
ミントグリーンの外観が美しい旧竹鶴邸は、平成14年に余市市内から蒸溜所内に移築されたもの。いよいよ伝説の夫婦の生活を追体験だ。
ここがリビングルームです。手前の窓に向かった椅子が政孝の指定席でしたね。玄関からその席までは土足で入ってきて、腰かけてから靴を脱いだといわれています。
隣は和室になっていまして、窓辺で碁を打ち、畳の上で晩酌をしてから眠るというのが常だったようです。夕飯のときは日本酒でしたが、ここに座ってからはいよいよウイスキーです。毎晩飲んでいたのは「ハイニッカ」を1:2で割ったもので、氷はなし。ハイニッカは主力の商品だったので、味を確かめるという目的もあったようですが、ひと晩で1本を空けてしまうことも珍しくなかったようです(笑)。家にいる多くの時間をここで過ごしたようで、パッと見は押し入れのように見えるこの扉を開けると、男性用の便器が現れる。いちいちトイレにいくのが面倒だったみたいなんですね(笑)。
象牙の鍵盤も麗しいピアノ(ロゴが初代社長・河合小市氏のイニシャル「K.KAWAI」となっている貴重なモデル)と畳縁(たたみべり)にまであしらわれた竹と鶴の刺繍からは、和・洋それぞれのパーソナリティを併せ持ちながら、生涯に渡り究極の嗜好品を追求し続けた政孝の美意識が感じられる。
和室の本棚には日本語の読み書きが困難なリタのための洋書が並び、そのページには政孝からのメッセージが。流れるような筆記体にて、「my own loving wife Rita from your hasband」と、そして「Massan」と綴られていた。
それにしてもここは寒いですね。さきほどからストーブを入れていますが、まったく効きません(笑)。最後は試飲会場にご案内しますので、そこで温まっていってください。今日はわざわざありがとうございました。
こちらこそ貴重な体験に大感謝です! 琥珀色の神秘に触れ、夫婦の体温にまでを感じることができた白昼夢の締めは、やはりウイスキー。あくまで試飲につき「もう1杯ください」の声は届かないが、竹鶴、スーパーニッカ、アップルワインの3種3杯は、昼酒にはたっぷりすぎるほどの量。水や氷、ソーダ水も用意され、思い思いのスタイルで楽しむことができる。
取材班が明日の寝酒を買い込んでいる間、束の間の太陽がニッカのジャンパーに降り注ぐ。政孝の智慮や探究心はもとより、それを受け継ぐスタッフの尽力に胸が熱くなる、贅沢なひとときであった。
ニッカウヰスキー余市蒸溜所北海道余市郡余市町黒川町7-6
電話番号:0135-23-3131 営業時間:9:00~17:00(見学ご案内受付時間:9:00~15:30) 休館日:年末年始
8軒目:余市郡余市町登町「リタファーム&ワイナリー」
余市の駅前から、タクシーに乗り込む取材班。険しい山道でのスリップに肝を冷やしながら、今度は登町の最南部へと突き進む。眼前に姿を現したのは、白銀の表土から無数に伸びた葡萄棚。ここで苗木を育て、収穫し、野生酵母による自然発酵にこだわることで国産ワインの新たな可能性に挑み続けているのが、リタファーム&ワイナリーの菅原夫妻だ。
「すみません! ちょっと銀行まで出ていたもので遅れました! え? わたしたちの写真も撮るんですか? それはちょっと……」とご夫婦。それもそのはず、厚手のコートはこれでもかと雪まみれ。由利子さんは「化粧だってこの雪のせいで……」と照れ笑う。すぐさま頭に浮かぶのは、「なぜこの過酷な土地で? しかも御夫婦ふたりきりで?」という疑問。しかしそこには、美味しいワインのための歴然たる理由がありました。
この土地でワイナリーを始めたのは、いくつかの理由があるんです。まずひとつは、わたしが余市の出身ということです。それまではワインの輸入の仕事を続けていて、フランスにも視察に出ていたんですが、そこで自然派ワインの美味しさに魅せられていくうちに、販売よりも醸造のほうにハマってしまって、ついにここで葡萄畑を始めたのが8年前。ワイナリーとして稼働し始めたのは6年ほど前のことなんですね。
もうひとつは(窓の外に視線を移して)まさにこの雪に惹かれてのことなんです。これだけ寒さが厳しいと、原料となる葡萄の果樹が枯れてしまうのではないかと思われるお客さまもいらっしゃるんですが、実はその逆で、この雪がないと北海道の葡萄というのは育たないんです。そこは「かまくら」を連想していただくのがわかりやすいかもしれません。あの中はそこまで寒くないですし、なんとか眠れるほどには暖かい。それと同じ仕組みで、雪の下の土というのは常に4~5℃を保っていますから、葡萄の苗はそこに枝を降ろして、いわば「雪のお布団」をかぶりながら眠っているという状態なんですね。もし雪がなくなって、土が外気にさらされてしまいますと、気温は一気にマイナスになりますから、果樹は凍って死んでしまうんです。雪が多いというのは重要なポイントなんですね。
こんなお話を聞くまでは「ここに生命(いのち)はない」とすら思っていた。なにせ眼を開けるのも難しいほどのハードな雪の国。漫画『北斗の拳』や、その原案のひとつとなった映画『マッドマックス』には、ひと袋の種子を地球の未来として持ち歩く老人たちが登場するが、どこかにそんな終末観すらを感じていた。そんな不勉強に恥じ入る取材班に、旦那さまの誠人さんが続けてくれた。
たとえば比較的雪の少ない十勝のワイナリーさんは、果樹を凍らせないために、人力で土をかぶせているんです。そこまでの労力をかけてあげたとしても、死んでしまう果樹もあるようですね。その点、ここは空が雪をかけてくれる。もちろんそのぶん人間は過ごしにくくなりますけどね(笑)。
もちろん僕らもここに住んでいるわけではありません。ここは70年前ほど前に建てられた農業用の倉庫だったんですね。最初はヘビの抜け殻はあるしスズメの首だけが転がっていたりもして(笑)恐怖と不安ばかりでしたけど、なんとかふたりでここまで改装してきました。
この2階は、寝袋を持参してもらってのワイン会をやることもありますし、葡萄の収穫はお客さんやボランティアの人たちといっしょに行うんですが、ワインを飲みながらバーベキューをやることなんかもあって、今後は安く泊まっていただけるようにもしていこうと思っています。最近はわざわざ東京や大阪から手伝いにきてくださる方も増えているんですよ。
余市のワイナリーといえば「ドメーヌ タカヒコ」さんが有名ですが、妻はそれ以前からこの土地に戻って試行錯誤していたんです。なかなかお金が貯まらなくて、酒造免許を取れなかったりの理由もありましたが、去年からはアメリカへの輸出も決まりましたし、僕も手伝ってきた甲斐がありましたね。
そんな御夫婦の手がけたワインは、南傾斜の立地を活かした「ある意味北海道らしくない個性的な味わい」が特徴なのだという。醸造家はまず葡萄の種を食べ、その渋みや糖の乗り具合、クルミのニュアンスなどを感じ取ることで、理想のワインを思い描いてゆくとのことで、カウンターには、その繊細な舌と決して楽ではない畑仕事の積み重ねからなる旺然たる新製品が並んだ。
引き続き、誠人さんに解説していただいた。
右の「十六夜(いざよい)」は野生酵母による低温発酵の「オレンジ・ワイン」で、どこか溌剌とした酸が特徴です。オレンジ・ワインというのは白ワインを赤ワイン仕込み、つまりはいっしょに葡萄の皮を漬け込むことで色をつけたもので、現在は世界的なブームになっているものですね。この色はロゼとは違い、果皮や種の色素が滲み出したものです。
真ん中のものは小樽の野生で見つけられた「旅路」という品種でつくったものです。もともとは「紅塩谷(べにしおや)」という、ちょっとおどろおどろしい名前の葡萄だったところ、67年に塩谷の土地を舞台にしたNHKの朝ドラ『旅路』が放映されたことで、名前が変わったそうです。このネーミングが新幹線向きということで東京駅構内のショップにも卸していますが、これは自然の重力だけで瓶詰めした無濾過の限定品です。
左の「農家のポワレ」は瓶の中でに二発酵させた洋梨のスパークリングです。もちろんここにも酸化防止剤はまったく使用していませんので、澄んだ優しい甘さが特徴です。
タクシーを横づけしての突貫取材だっため、ここではお土産の購入に終始したが、後日味わったワインは、どれも驚嘆すべき香りと飲み口の優しさ。取材時には完売してしまっていた「メルロー」は葡萄の収穫時に爆弾低気圧に見舞われたことで急遽「ロゼ」でのリリースとなったというが、そんな自家畑ならではのエピソードにも象徴されるよう、瓶の中には御夫婦の起居や息遣いのようなものがしっかりと感じ取れた。これぞ自然派ワインの醍醐味である。
ところで由利子さん、「リタファーム」という名の由来というのはもしかして? ついさきほどまで竹鶴リタの漬けた梅干しに驚いていた取材班には、大変気になるところでして……。
まさにリタさんの名前をいただいたものですね。イメージ的にウイスキーとワインというのはなかなか結びつきにくいと思いますが、同じ北海道でお酒に携わっている女性としては、リタさんはとてもシンパシーを感じられる人なんです。
そもそもうちのは隣にニッカさんのOBの畑があって、その方が『マッサン』の製作に関わっていたんですね。現在竹鶴夫妻のことを語れる唯一の高齢者の方で、フィクションでは描かれなかった厳しい生活があったということを教えてくださったんです。今でも余市に海外の人というのはほとんど見かけません。にも関わらず、戦時中のあの時代に、白人の移住者として暮らすこと、酒づくりを支えることがどれだけ過酷だったか。そんな苦労を忘れないためにも、どうしても彼女の名前でやりたかったんですね。
北海道でのワインづくりというのは本当に大変な部分がありますけど、リタさんの名前をお借りする限りは、中途半端なことはできません。えぇ、わたしたち夫婦もこれからなんですよ。
リタファーム&ワイナリー北海道余市郡余市町登町1824番
電話番号:0135-23-8805 定休日:不定休
- 1
- 2
前の記事 【ヒトトヒトサラと道府県:小樽 (前編)】寒いから旨い! 旨いけど寒い! 冬の小樽を飲み尽くす、よだれも凍る強行軍 |
次の記事 大田区蒲田「スズコウ」 鈴木登志正さんの「いわし料理」 |