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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ45 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2016.12.29 品川区東大井「和柚庵」石川裕久さんの「真鯛と牡蠣と豆腐の煮物」

大井町。飲み歩きのメッカである東小路飲食店街の誘惑を振り切り、立ち呑みならではの活気に誘われる「肉のまえかわ」や「臚雷亭」を見なかったことにし、住宅街の小道を突き進むこと数分の場所に、「和柚庵」は現れる。
店主の石川裕久さんは、包丁にその人生を捧げた者であれば誰もが驚くキャリアを誇る、しかし気取らず飾らない、和の鉄人。素材ひとつひとつの地力や真価を見極め、スポーツ・コーチさながらに「お前はまだいける! まだ飛べる!」と優しきムチを振るい続けるからこその逸品を武器に、あらゆる舌を満足させてきた。
「今日はとくに寒かったでしょう~、どんどん呑んで身体を温めてくださいよ~」という店主の言葉に宿酔を覚悟しつつ、取材は「料理人への第一歩」から。それは意外にも、小学校の卒業文集に綴られていて──

「和柚庵」の外観。飲み助の五感を刺激し、期待値をグンと上げる佇まい。
暖簾の外からも1枚。この位置からして全身は温かな出汁の香りに包まれ、寒空の晩酌欲を鷲掴みに。

卒業文集に殴り書いた「こういう店をやりたい」それが児童劇の原作になって、ついには現実になってしまった

 料理人になるきっかけですか? 最初の最初は小学校の卒業文集なんですよ。先生から「将来なりたいものを書きなさい」と言われたんだけど、頭から湯気が出るほどに考えても、なんにも浮かばない(笑)。宇宙飛行士は高所恐怖症だからダメ。プロ野球選手は運動しなきゃいけない。どうしても嘘は書けない性格なので、お父さんに相談したら、「お前は食うことが好きなんだからラーメン屋か寿司屋か鰻屋にしろ」と。僕も「あ、確かにぜんぶ好きだ!」と納得してね(笑)。でも、それをそのまま書いたんじゃ作文用紙は埋まらないから、これこれこういうお店にしたいと細かいことを殴り書いたら、なぜかその作文が卒業式の児童劇に採用されちゃったわけです(笑)。僕もその稽古を重ねるうちに、だんだんと「これって本当にやらなきゃいけないのかもなぁ」となってしまってね(笑)。

石川裕久さん。「僕、たまに『暗殺教室』の〈殺せんせー〉に似てるって言わるんですよね(笑)」
「和柚庵」の料理は4000円のコースが基本だが、お好みの一品料理にも対応。「(コースは)自分でもちょっと量を減らさなきゃなって思うんですけど、和食はその季節でしか食べられないものが多いので、ついついいろいろ出したくなっちゃうんですよ」

 じゃ、今日は大根とごぼうから食べてください。あとは松前漬。これはチビチビつまんでもらえるし、大根も熱いから、一気には食べられないでしょう? ひとまずこれでしのいでもらえれば、僕もゆっくりと次の料理に集中できるので(笑)。

「コースの最初としてはちょっと乱暴なんですけどね」と出された大根とごぼうは、それぞれに大人の腕、子どもの手首はあろうかという太さでありながら、「噛むジュース」とでも表現したいほどに染みっ沁み。酒の海への進水式を盛り立てる。

 黒くて見た目は悪いんだけど、味はいいはずですよ。出汁は昆布、鰹、牛に豚に鶏からとってます。純粋な和食の世界だと、関東風にするのか、関西風にするのかというところから始まるんですけど、そういうものはすべて無視して、鍋には旨味だけをブチ込んでます。あとは僕の指ぐらいしか入れるものがないってぐらいに(笑)。

繊維にそって箸を入れ、ハフハフと頬張る「大根とごぼうのおでん炊き」。大鍋で炊かれた根菜の2トップは、出汁の旨さを固形化するためのブラックボックスと化している。

 この大根の炊き方は、サウナといっしょ。ギリギリまで出汁に吸わせるためにはどうしようと考えたときに、「人間だったらサウナがいちばん喉が乾く、だったら大根も蒸してやればいいのか」と(笑)。昔の大根はエグみが強かったから、米の研ぎ汁で炊いたりもしていたんですけど、今のは甘いから、それだとかえって味が抜けてしまう。(直接煮汁に入れる)直炊きにすると鰹出汁が強く出すぎるし、(短時間で炊き上げる)時雨煮でもこうはならない。僕はこの方法がいちばん美味しく炊ける方法だと思いますね。

「余った魚をぜんぶ突っ込んだだけなんですよ(笑)」という松前漬。昆布の塩気でねっとりと引き締まった白身の旨さがたまらない。時期によってはここに柿の甘みが加わることも。
開店早々に石川さんへの差し入れ(シュークリーム)を持って来店の常連A嬢。それに続いて来店のB氏は「近年最高の出席率」を誇り、「ここには人に連れてきてもらって以来、多いときは週5で通ってました。本当に間違いのない店」と太鼓判。ちなみに氏は遅咲きのアイドル・フリークであり、カウンターの隅には握手券を抜かれたCDが「ご自由にお持ちください」となっていた。
和柚庵の酒は、誠心誠意の明朗会計。日本酒はどれも600円、焼酎の四合瓶は3000円均一で、好き好きに料理とのペアリングを楽しめる。
「正直この値段だと赤字になるものも多くて、そういうのは切っていくようにしましたけど、僕もいちいち計算するのが面倒なんでね。常連さんには直接冷蔵庫から出して呑んでもらってますよ」

 熱々の「石川流おでん」には、やはりビールを。松前漬には、やはり日本酒を伴侶としたい。長野県は佐久の花酒造の「佐久乃花」は、石川さんが「将来的にはこれ1本でいってもいい」とまで語る吟醸酒にして、盤石の食中酒だ。

「伴侶」というのはいいですね。まさに料理に対する酒というのは、長年連れ添って空気のような存在になった奥さんみたいなもので、「佐久乃花」の吟醸香は僕の味を邪魔しないんです。流行りの白ワイン系にはない丸みがありますよね。
(石川さんに話しかける常連客に向かい)うるせぇなこの野郎! いま取材してもらってんだよ!(笑)。……ハハハハハ、すみません。やっぱりこういうカウンター商売だと、口は汚くなりがちですね。中には僕とのこういうやりとりを楽しみに飲んでくれる常連も多いので、ついつい言葉がラフになったり、いっしょに下ネタで笑ってしまったりするんですよ。

 甘味と辛味の入り混じる料理は旨い。ほのかな臭みやクセのある料理こそが、酒を飲ませる。それは人間とて同じこと、ということか。

 そうそう(笑)。でも糖尿病で弱ってる人に「死んじまえ!」ってのはダメですよ。「せいぜい長生きしろよ」ぐらいにしておかないと(笑)。

「日本酒といえば〈鳳凰美田〉で有名な栃木の小林酒造を見学したときのこと。あそこの大旦那は〈うちの酒は甘口だと思われてるけど、酒の甘い辛いっていうのは喉で判断するんだ。喉にスルッと入るのが本来の辛口なんだ〉と話していましたね。僕も甘口だと思っていたので、当時はこてんぱんに説教されましたよ(笑)」

 で、なんの話でしたっけ? あ、料理人への道ですね。うーん、結局のところは勉強ができなかったからじゃないかなぁ(笑)。僕は北区の赤羽で育って、あの土地は独特の個性があるんですけど、学校の先生というのも変わった人が多くてね、授業中、テレビに『ベルサイユのばら』がつけっぱなしになってて、先生は泣きながらそれを観ている。子どもながらに「こいつ大丈夫か?」なんて思ってましたけど、アニメが終わったら終わったで、オスカルの絵に台詞の吹き出しだけが書かれた答案用紙が回ってきて、「そこを埋めなさい。これがフランス革命の勉強です」みたいな。完全に子どもの将来を奪ってますよね(笑)。

 池田理代子先生の影響力、恐るべし。かくして勉強嫌いの石川少年は、自らの舌と包丁で世を渡る、料理人になることを余儀なくされたのであった。

カウンターで育てる土佐醤油。話は名門「松浅」での小僧時代へ

秋田・齋彌酒造の「雪の茅舎」、佐賀・天山酒造の「七田」も石川さんのお気に入り。とくに後者に関しては、「迷ったらこれ。純米や〈ひやおろし〉など全種類を飲み比べるのも楽しい。すべてのラインナップが〈ほかの樽とは違うわよ〉って、赤の他人のふりをするぐらいに個性があるんです」

 本当は中学を出てすぐ、ある寿司屋に入るはずだったんですけど、母親が高校ぐらいは出ておけっていうんで、これまた地元のバカ高校に通ってね。ただ、無理矢理に大学受験をさせられたときは、さすがにないな、と。散歩がてら、白紙の答案を出しにいきましたから(笑)。
 そこでまた、僕の親父がいいことを言うんですよ。「お前、料理人になりたいなら調理師界の東大に行け」って。そこでなんとか年間180万円という学費を出してもらって、僕は1年間だけ、大阪の辻調理師専門学校に通うわけです。和食に進もうと思ったのもその頃のことで、中華は夏場の教室が地獄のように暑いから嫌。フレンチはフランス語の響きがストレスになるので嫌。残ったのが和食ってだけなんです(笑)。
 もともと料理は母親のを見てましたし、興味もありましたから、当時は4人でひと組の実習なのに、僕ひとりでどんどん進めてしまって喧嘩になったりもしてましたね。自分でも不思議なんですけど、1回見た調理というのは完璧に再現できたんです。失敗したのは教壇の天井から下げてある鏡を指差されて「この通りに盛りつけろ」というのをそのままやったら左右逆さまになっていたぐらいのもので(笑)、成績だけはよかったんですよ。素行は最悪でしたけどね。

 そんな駆け出し時代を反芻しながらも、石川さんの包丁は動き続ける。まもなくカウンターには、赤身や中トロ、茹でダコ、ヤリイカの刺身が並べられた。そこに添えられたのは、「これが魚より高いっていうのはどういうことだ(笑)!」と擦られた本わさび、そして、日本酒を煮切ったものに醤油を加え仕込まれた「土佐醤油」。ここにも石川さんの並々ならぬこだわりが。

 僕の土佐醤油は塩気よりも旨味を感じてもらえるように、あっさりと仕込んでいるので、最初はそれでマグロを食べてください。そのあとにタコ。そうすると、醤油にマグロの脂とタコの塩気が溶け出すので、最後はそれをヤリイカの小鉢に回しがけて、自分好みの「漬け」をつくってほしいんですね。これが最高のアテになるんですよ。

コクがありつつ爽やかで、果物すらを連想させる上品な甘みに呆然となるマグロ刺し。とくに赤身は舌の根が震えるほどに旨い。
サックリと小気味よい歯触りの中、絶妙の塩気をまとった茹でダコ。
となれば、やはり日本酒をもう1杯!
ヤリイカや水ダコなど味の淡白なものは、ほのかに脂の入った土佐醤油に漬け込むことで「完成」となる。自らの手の入った料理は旨い。その心理を知り尽くしているからこその心憎い演出だ。

 で、どこまで話しましたっけ? あ、専門学校時代ですね。……僕、確かに成績はよかったんですけど、大阪での悠々自適な暮らしが楽しすぎて、今度は労働意欲がゼロになってしまって(笑)、卒業してからもフラフラ遊んでいたんですよ。そしたら学校から呼び出しを食らってね、「おい石川、うちの学校の売り文句を知ってるよな? うちは〈就職率120%〉なんだよ。でもお前が遊んでいる限りは100%にも満たなくなるんだよ!」って怒られて(笑)、そこからはもう、勝手に荷物をまとめられて強制送還ですよ。
 本当の修行はそこからです。当時、かつての花街だった大森海岸で大火事を出したことでも有名な料亭、「松浅」に入ったんです。また脱線しちゃいますけど、松浅出身の有名人だと、やっぱり「ラーメン二郎」の山田(次郎)さんですかね。彼は松浅の大旦那に「お前はなんにもできないんだからラーメン屋にでもなっちまえ!」と叩き出されるようにして屋台を引き始めたんですよ。どぶ板通りで労働者相手に商売をしていたんだけど、結果は散々で、「どうしたらお前ら毎日通う?」って、彼らの意見をそのまま取り入れていったらあの味になったという(笑)。山田さん、僕のことなんて覚えてないだろうなぁ……。

酒と水と醤油を沸騰させた鍋に大量の海苔を千切って入れ、カツオ出汁を加え、さらに煮る。最後に胡麻油の香りを加えると……
「海苔の辛煮」の完成。シンプルだからこその純然たる美味しさ。海苔がわさびを、わさびが海苔を食べさせる。
「これは簡単なので自宅でもぜひ試してみてください。お醤油だけで炊く仕事を〈辛煮〉というんですけど、これは江戸時代のごはんの友ですね。砂糖が高級な時代に考案された料理で、年配の人に出すと懐かしがられますね」

「松浅」では、料理はもちろん、歩き方や身なりまでを叩き込まれましたね。僕は当然のように呼び出しと説教ばかりの日々でしたけど、お陰さまであの店を「卒業」してからは、富士屋ホテルであったり、カナダ大使館であったり、数々の光栄なお話をいただいて。でも、ホテルは料理人同士の派閥に巻き込まれるのが目に見えていたし、カナダは海外に出るのが嫌だったし、岐阜の懐石「たか田八祥」にいくという話もあるにはあったんですけど、そこの料理に金粉が使われてるのが納得いかなくて──なんで味のしないものを乗せなきゃいけないんでしょうね──そこも蹴ってしまって、なんとかこの店の開店にこぎつけたのが、31歳のときです。
 こうやって振り返ると、僕って本当にダメな人間ですよね。テレビの『料理の鉄人』が何年か前に『アイアンシェフ』として再開したときも出演の依頼があったんですけど、「料理は争うものじゃないから」って断っちゃったし。……でも、右投左打の大谷(翔平)くんだって、最初は野手として温存されたからこそ肩が残ったともいえる。やっぱり身を削りすぎるのはよくないってこと。そういうことにしときましょう!(笑) 。

醤油、みりん、酒を同割りにした漬けダレに鰆(さわら)を漬け込み焼き上げた「鰆つけ焼き」
魚偏に「春」と書き、さわら。しかし旬は冬である。和食の花形を居酒屋価格で味わう幸せ。ほんのりとした甘みを感じる肉厚の身、パリッとした皮の旨さに、花街のお座敷を想う。

「きゅうりをカジりながらの帰り道、突然自分のつくりたい味というのが降ってきたんです」

「海苔の辛煮」や「つけ焼き」に大感動の取材班は、満を持して熱燗をオーダー。巨大なやかんで湯が沸かされ、そこにトプンと徳利を。 酒燗器にも湯が注がれ…… いつまでも適温の熱燗が、指先から胃袋、つま先にまで染み渡る。 「眠ってしまった方は別途5000円頂戴します」の張り紙。「カウンターで2時間も寝ちゃった常連さんがいて、その人はだいぶ遠くから通ってくれているので、ある意味これは親心(笑)。寝かせた俺が悪いんだなって」

 ここまで読んでもらった人には伝わっているかと思うが、石川さんの身体には、生粋の自由人にして風来坊の血が流れている。よく言えば「自分に正直」「昔ながらの職人肌」、悪く書けば「向こう見ず」「計画性の欠如」にもつながってしまうその性格は、しかし「和柚庵」の開店にも一役買っているのであった。

 この店にしても、その前に働いていたある店のオーナーと大喧嘩したことがきっかけで始めることになったんです。僕は少しでもわからないことがあると「はい」とは言えない性格なので、正直嫌われてましたし、当時のオーナーはビールも枝豆も1000円にするとかのぼったくりも酷くて、ついにその人は自分が招いた経営不振を従業員の女性のせいにして泣かせちゃうわけです。そこで僕はキレてしまって、最後の片づけと包丁研ぎを済ませて店を出てしまうんですね。ただ、この衝突がきっかけに、オーナーも考えるところがあったんでしょうね。「店に戻る気はないし、戻ったとしても、またあなたの血圧を上げるだけですよ」と話していた僕を、いきなりこの物件(和柚庵)の前に連れてきて、「だったらお前はここで自分の店をやれ」と言ってくれたんです。人間的には合わなかったけど、僕の腕だけは買ってくれていたってことなのかもしれませんね。

 そんな石川さんに、現在の味を決定づける食材との出会いが訪れる。それは意外にも、ある農家から譲り受けた1本の、いや、大量の「きゅうり」であった。

 修行自体はほぼすべての仕事をそつなくこなせてましたけど、唯一わからなかったのが、「味を選ぶ」ということなんですよ。冬瓜ひとつを炊くにしても、大旦那の味つけ、先輩の味つけ、みんながみんな、微妙に違う。最終的には「旨い」に持っていくんだけど、それをどう「自分の味」にしていいのかがわからなかったんです。この店を始めてからも、そのことだけを考えてモヤモヤするような時間が続いてました。でも、そんなある日、世田谷の農家さんに野菜の仕入れにいったら、ズッキーニみたいな大きなきゅうりを「大豊作だからあげる」とカゴいっぱいに持たされたんですね。それがとんでもなく美味しくて、1本2本とカジりながらトボトボと帰ってくるときに、突然自分のつくりたい味というのが降ってきたんです。それまで「水っぽくなるから使うな」と教わってきた種の部分までが本当に甘くて、頭の中に「この種とトマトを合わせてスープにしてみたい!」みたいな欲求が爆発したんです。
 たくさんの高級食材や調理器具に囲まれながら和食の真髄を叩き込まれてきた僕が、きゅうり1本にすべてを教わる。これってなんだか皮肉な話ですけど、そこではっきりと確信したのは、「ひとつの味は嘘だ」ということ。まずは素材に対する感謝や感動。それをどう活かすかが大切なのであって、日本料理の技術というのは、それを補佐するものでしかないということ。昔からの伝統って、確かに間違いはないんですけど、同時に料理人の自由を奪ってしまうものでもあって、最後は自分の舌を信じて先に進んでいくことができないと、味というのはいつまでも決まらないものなんですよ。

 しかし同時に石川さんは、「それは伝統を否定することではないし、奇をてらった創作料理に走ることでもない」と続ける。

 ちょっと前に創作料理をやってる人が、僕に「教えてください」と頼みにきたことがあるんだけど、彼らとは根本的な考え方が違うので、いい修行にはならないと断ったんですね。あくまで僕の料理は「昔ながらの家庭料理の延長」なんです。僕らの世代のお母さんの料理というのは本当に美味しかったし、味の素もハイミーも使わなかった。出汁の取り方も知らずにいきなり乳製品をブチ込むようなことはしなかったし、かといって、漁師さんに釣れたての魚をその場で捌いてもらって「新鮮で美味しいね」というものでもない。つまりは昔ながらの素材に、昔ながらの丁寧な仕事をしながら、それでいて自分なりの新味や進化を加えていく。基本を守ってこそ、初めて壊せるものがあるんです。

 そんな石川さんの料理哲学が、もっとも色濃く反映されていたのが、今回のヒトサラ、「真鯛と牡蠣と豆腐の煮物」である。

 確かにこれも日本料理の伝統である「骨蒸し」という仕事をベースに、自分なりのアレンジを加えたものですね。こういう味は若い人にこそ食べてもらいたいと思いますし、これを食べた若い人には、「じゃあ鯛のカブトも塩焼きにしてもらおうかな。あとでお湯もちょうだい。骨を浸した出汁を飲みたいから」みたいなカッコいい飲ん兵衛に育ってもらいたい(笑)。

「真鯛と牡蠣と豆腐の煮物」。素材に出汁を吸わせ、出汁に素材を吸わせた、自然の恵み。後続を大きく引き離した、間違いなくBest Everな「煮物」である。
どんな冬将軍も尻尾を巻いて逃げ出すアツアツトロトロの牡蠣! 潮の旨味に最敬礼!

 僕がこの料理を「煮物」としているのもそのためなんですよ。若い人に「骨蒸し」とか「羽二重蒸し」とか「白八方」みたいな専門用語は難しいし、それで敷居が高くなってしまうのはもったいない。いちいち説明するのが面倒っていうのもありますけどね(笑)。

「和柚庵」は天井までもが楽しい。ふと見上げれば旨そうな鯵の干物が!
店主のこめかみに影を落とすのは、長い長い「ゲソ」である。
「鯛の干物は表面の旨味が中まで回るように、軽く叩いて出してます。こういうのは手でつかんで雑に食べちゃってください。それにしてもこの鯛は旨味のかたまりですね。魚の王様っていうのがよくわかる。つくった自分でもびっくりしましたもん(笑)」

 次のメンチカツも若い人に向けたメニューです。どうしても匂いが出るので揚げ物はやらない主義だったんですけど、これ、食べてもらうとびっくりすると思いますよ。中身は出汁で茹でた白菜と人参をプロセッサーにかけたもので、そこに挽き肉を加えて、フワフワの状態のまま一昼夜を寝かせるんです。すると、素材に入っていく汁と表面に固まる汁にわかれるので、固まる汁、つまりはラードなんかは丁寧に取り除いて、それをいったん蒸したものを揚げています。これがどういう仕上がりになるかというと、歯がいらないぐらいのスポンジ状になって、とろっと口の中で溶けちゃうんですよ。これは絶対に胃にもたれないし、女性にも人気ですね。僕、何個でもたれるかの人体実験をやったことがあるんですけど、15個までは大丈夫でしたから(笑)。

タネをいったん蒸すことにより肉の脂が抜け、軽やかな旨味だけが立ち昇る「メンチカツ」

 メンチといえども「つくね」や「しんじょう」を想起させる食感。皿にはソースが敷かれているものの、これもまた、和食。食べれば食べるほどにハラが減る、揚げ物の奇跡である。

 じゃあ、最後はおにぎりと味噌汁で締めますか。このおにぎりは「松浅」で徹底的に仕込まれたものです。大旦那のために毎日ひとつずつつくっては、7年間ダメ出しを食らい続けましたね。

「おにぎり」。お新香にはにんにくが混ぜ込まれ、これまた白米欲を駆り立てる。
撮影のため手で割ったものの、かたちを維持するのが難しいほどのホロホロ感。大口でかぶりつくのが吉である。

 まずは米を「寄せる」ように、空気をたっぷり含ませた風船状態する。塩は手にひらに均等にまぶしたのち、少しだけ濃い部分をつくってあげる。僕がやるとずいぶんと硬く握ってるように見えるかもしれませんけど、これは手のかたちを維持するために筋肉を使っているだけで、食べてもらえればわかるように、「丸い石川さんの丸いおにぎり」なんですよ。僕って本当に人間が丸いから(笑)。

 すぐさま飛び交う「嘘つけ!」「お前が丸いのは身体だけ!」という笑い混じりの野次を、「おれを虐めるんじゃないよ!」と受け流す石川さん。しかしこのおにぎりは確かに丸く、心の底からホッとさせられる逸品である。米の味、塩の味、そして空気の味。誰もがよく知る素材に魔法をかけ、美味しさを何倍にも膨らませる、匠の技。
 そしてそれを追いかける味噌汁の美味しさにも「日本人であることの幸せ」が充満。具材はわかめとネギだけだが、この凛としたシンプルさこそが石川さんの語る「家庭料理」の真髄なのだ。

 うちのお客さんに小学校の校長先生がくるんだけど、彼とは「食育の前に味覚を育てないと話にならない」という話をよくするんですよ。たとえば家庭科の授業を毎日やる。みんなで朝ごはんをつくって食べるみたいなことを習慣づければ、「今日は出汁が薄かったね」「味噌が濃かったね」みたいな探究心にもつながるでしょう?
 今は才能があるのに仕事のない料理人っていっぱいいるので、ドラマの『Chef~三ツ星の給食~』みたいに、彼らを各校に配属して、たまには学校対抗で料理人を競わせたりのイベントを開催すればいいんです。そうすればごく自然に、子どもたちの舌にも「本物の味」というのが刷り込まれますよね。
 え? 僕がやれ? そんなの絶対に嫌ですよ! だってめんどくさいもん(笑)。

和柚庵 京都品川区東大井5-6-14
03-5460-8998
営業時間:18:00~22:00
定休日:日曜日/祝日

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