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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ42 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 / 2016.11.02 ヒトトヒトサラと道府県:盛岡(前編)冷麺! じゃじゃ麺! わんこそば!盛岡三大麺紀行!(と長い寝酒)

「ヒトトヒトサラと道府県(=地方編)」の記念すべき処女航海は、盛岡!
縦へも横にも伸びる岩手県の心臓部にして、前沢牛に白金豚、三陸わかめに南部せんべいなどなど、広く深い食の快楽が詰まった「うめぇな~!」の楽園であり、また、言わずと知れた「んまい麺」の坩堝(るつぼ)でもある。
東京駅から3時間、ビールを飲み飲み(しかし駅弁はグッとこらえ)その地に降り立った取材班は、現地アテンダーとの作戦会議に没入。BARや居酒屋の大充実に心を奪われつつも、表題の「三大麺」を1泊2日で制覇すべく、心のネクタイを締め直し、腹のベルトをゆるめたのであった。

盛岡駅に到着! あいにくの曇天だが我々の食欲・酒欲は「待て」に耐えるドーベルマン状態だ。
はやる心をしっぽりと落ちかせるティーハウス「リーベ」にて決起集会。店内にはビートルズのレコードが飾られ、しかしそれがほぼ無音に近い小音量で流れていた。予定がなければ眠りたくなる居心地のよさである。
作戦会議中。適度な糖分も補給しておく。

1軒目:盛岡市中ノ橋「直利庵」の「わんこそば」

「最初の乾杯は華やかにいきましょう!」と案内していただいたのは、なんと創業132年という老舗であり、わんこそばの記念碑的名店、「直利庵」だ。
 笑顔で出迎えてくれたのは、藍染めの着物に身を包んだ4代目女将、松井裕子さん。彼女こそは盛岡の地の今昔を知り尽くした、美しき老師である。

 このお店は明治17年の創業で、わたしは4代目になります。その昔は蕎麦屋というと庶民の食堂みたいな感覚で、お客さんがいれば深夜までずっと開けているようなところでしたね。子どもながらに「ずいぶんとダラダラとやっているなぁ」なんて思ってました(笑)。

松井裕子さん。芸術にも造詣が深く、学芸員の資格も持つ。また、内丸では画廊「第一画廊」、喫茶「舷~GEN」も経営している。「せっかくこうして生きてるんですもの。美味しい味覚に楽しい芸術、五感をぜんぶ使っていたいんです」

 あ、お酒はどんなものがお好みかわからなかったので、あるものをみんな持ってきました(笑)。「鷲の尾」は皇太子も愛した八幡平のお酒で、これだけは15度じゃなくて19度あります。知らないで飲んでいるとパタッて倒れちゃいますよ(笑)。

左から「鷲の尾」「七福神」「浜千鳥」「南部美人」、そして「吾妻嶺」。もちろんすべてが岩手のお酒!
焼酎派には蕎麦湯割りを(写真右)。「昼でもちょっと飲みたい方のために」と添えられた梅肉をチビチビ。そして結局はグビグビと。

 年輪の重みを感じさせる畳床の個室、使い込まれた座布団の優しさ。旅先。まっ昼間。こんなシーンで飲む冷や酒ほど美味いものはない。しかもつまみは「むしうに」だ。塩や調味液に固めることをせず、しっとりと蒸されたうには、外側だけがぷっくりと膨れている。

「わんこそば」の「上・特上」でも味わうことのできる「むしうに」。磯の香りは奥に回り、淡く上品な甘みだけが押し寄せる。

 同じ岩手でも、重茂(おもえ)のほうでは「焼きカゼ」という食べ方もあるんですよ。あわびの殻にうにをぎっしりと詰めて、ラグビーボールみたいなかたちになったものを炭火焼きにするんですね。

 ゴクリ。想像するだけで喉が鳴る。女将さんの声だけで酒が飲める。そんなこちらの想いが通じたか、次なるヒトサラは蕎麦と冷酒をいっしょに楽しめる「酒そば」だ。ここでの「いっしょに」とは「同時に」の意。これがまた、酒飲み悶絶の華麗なる蕎麦流儀であって。

酒そば。右端の徳利はつゆのストックではない。なみなみと注がれた酒である。

 これはうちが始めたもので、もう30年になりますね。子母澤寛の書いた幕末小説『父子鷹』というのがありますよね。あの中に「もりそばと空のどんぶりと冷酒を持ってこい!」というシーンが出てくるんです。つまりは蕎麦に冷酒をかけて食べるんですね。ある日、わたしたちの仲間のひとりがそれを真似して、「これは美味しい!」と。その仲間にはデザイナーもいたので、お店で出すなら専用の器をつくろうということになりまして、お酒が溜まる受け皿のついたお重をつくったんです。これ、開けると内側が朱(しゅ)になっているんですよ。ただ、これが50セットで50万円もかかってしまった。勢いというのは怖いですね。わたしたちもそれだけ若かったということだと思います(笑)。

味も見た目も透明感抜群の蕎麦が、さらに輝き出す瞬間。日本酒の甘みがふくよかなシーズニングへと転化するこの不思議!
そばゆつに浸かったたっぷりの薬味は、それだけで逸品。「これを肴に飲めますねぇ。でもこの蕎麦自体も酒を食べているようなものですしねぇ」と、飲み助の悩みは尽きることがない。

 蕎麦粉は盛岡の南部、紫波(しわ)のものを使っています。そこは「飛露喜」や「吾妻嶺」の酒蔵さんがあることでも知られている本当にお水の美味しい土地で、神社にわざわざお水を汲みにいく人も多いんですよ。おつゆは土佐の鰹と北海道の昆布からとっていますが、やっぱりこれも地下水の美味しさあってのもの。やっぱり岩手のよさはお水の美味しさじゃないでしょうかね。これまで何度かほかの土地への出店を持ちかけていただいたことがあるんですけど、お水が変わると味も変わってしまうから、どうしてもできない。わたしたちは岩手のお水に「美味しくつくりなさいよ!」と見張られているようなものなんです(笑)。

最後の一滴までを受け皿に落とし、残りのつゆに溶く。
さらにそれを蕎麦湯で割れば、なんとも贅沢な〆の1杯となる。蕎麦湯は蕎麦を打つ際の振り粉にもこだわるからこその、澄んだ味わい。水のよさを証明するように、1階の坪庭には元気にイワナが泳いでいた。

 酒蕎麦はご自宅でやるのもいいと思いますよ。たとえば出前で「ざる」や「せいろ」を頼むと、お蕎麦がくっついちゃって美味しくないときがありますよね? そんなときは水でなく冷酒をかければパラッとしてくれるんです。

 これはいいことを教わった。これほど自然な「酒への流れ」があるだろうか。平日から堂々と飲む口実が、またひとつできてしまった。
 そんな興奮も覚めやらぬうちに、お次はいよいよ盛岡3大麺の最古参である「わんこそば」との対面である。テーブルには、昆布で締められ旨味の塊となった鯛、大量の大根おろしの中央にプルプルと震えるなめこ、キラキラのすじこ、各種山菜の田舎漬け、もみじおろし、くきわかめ、お新香、刻み海苔らの大名行列が! それらを迎え撃つは、あらかじめ少量のつゆに沈められた、ひと口サイズの蕎麦たちである。
 ここに「大食い」の文字はなく、グルメ番組などで目にするそれとのイメージの違いに驚かされる。

「わんこそば」(写真は撮影用のもの。薬味は4人前をご用意いただいた)
蕎麦は8杯が1人前にあたる。

 今のわんこそばは「じゃんじゃん! じゃんじゃん!」って数の競争ばかりになっちゃいましたけど、本来はすごく優雅なものなんですよ。もともとは大正7年に首相に就任された原敬さんの食事会がきっかけになっているんです。当時は戦争前。この界隈の芸者さんも300人ぐらいはいた華やかな時代で、原さんは別邸での食事会のために、よくうちから蕎麦をとってくれていたんですね。でも、食事会に蕎麦だけというのも寂しいから、そこにお好みでつまめる具材というのをいっぱいに用意して、豪華絢爛な「ふるまい蕎麦」というのをやっていた。それを見たわたしの祖父が「なんて優雅な蕎麦の食べ方なんだろう!」と感動して、お店でも似たようなことを始めた。それがこのお蕎麦の最初なんです。

好みの具材を好きなだけ乗せ、ズルッ!と一気に。それがお椀の数だけ楽しめるのだからたまらない。

 わたしは太平洋戦争の終わる前年に生まれているので、当時は本当に暗い時代でした。そんなときに先代にあたるわたしの父が、「少しでも人の気持ちが明るくなるような蕎麦を出そう」と奮起して、かつての「ふるまい蕎麦」をお品書きに加えたんです。このお蕎麦にはそんな歴史があるんですよ。

『八重の桜』の時代から現代までを一気に駆け上る、それでいてゆったりと穏やかな女将さんの語り口。そこには蕎麦の歴史の生き証人として、この味を次世代へと手渡したいという想い、そしてなによりの遊び心が覗いていた。

 蕎麦だって華やかで楽しいのがいちばんです。こういうおつまみをご自分でトッピングなさると、すごい種類の味が楽しめますよね。最初は1種類、次は2種類って、ゆったりゆっくりと組み合わせの妙を味わえる。……とはいえご希望とあらば、うちでも量を競っていただけますけどね(笑)。

 ここで女将さんは厨房へと駆け、すぐに戻ってこられた。「どうされましたか?」と訊けば……

「じゃんじゃん!」のために用意されたマッチ。量はこの本数でカウントするのだそう。

 これまで男性が330杯、女性が309杯ですって!(笑)…… やっぱりうちも商売ですから、お客さんのご要望にはなんなりと(笑)。だってうちの常連さんによく出るのは、温かい中華麺にカツを乗せた「カツ南ばんそば」だったりするんですよ。「もりそば」と「ざるそば」の味は大切に守りながら、次の世代のお客さまにも楽しんでもらえるように、日々チャレンジしています。
 うちの家系は元来の新しいもの好きなんですよ。以前お客さまに見せていただいた古い新聞広告に、あるお蕎麦屋さんが出した「ホームラン印の野球そば」というのがあったんですね。そのお店はもうなかったし、「野球そば」は誰も食べたことがない。そこでわたしたちは「ホームラン印の野球そばを食べたことのある方はいらっしゃいますか?」という逆・新聞広告を出したんです(笑)。結局はいまだにわからずじまいなんですが、この商売はそのぐらい探究心がないと続きませんし、なにより自分たちが面白くないんです。「邪道だ」なんて声には負けてられませんね。
 ……ただし、ダメなときはすぐ引きます。深追いはしません。この潔さがわたしたちの強さでしょうかね(笑)。

直利庵岩手県盛岡市中ノ橋通1-12-13 電話番号:019-624-0441
営業時間:11:00~20:00(ラストオーダー) 定休日:水曜日(祝日の場合は営業)

 直利庵の「カツ南ばんそば」に使われるカツは、ラードでなく天婦羅油で揚げたもの。サクッと軽い衣が中華出汁をよく吸い込み、なおかつそれが途中で剥がれることがないという摩訶不思議な1杯であり、その製法は企業秘密。再訪の際には絶対にオーダーすることを心に誓い、笑顔の女将さんに手を振る。
 岩手銀行の重厚な佇まいや川の流れを横目に盛岡駅前まで戻ると、本日の2軒目、「盛楼閣」の真っ赤な看板が飛び込んできた。

これまた盛岡の顔である岩手銀行(写真左)と、約9000本のペットボトルでデコレートされた盛岡城天守(写真右)。後者は地元アテンダーの郷土愛をもってしても「ちょっとこれ、謎なんですよねぇ」とのこと。

2軒目:盛岡市盛岡駅前通「盛楼閣」の「冷麺」

 盛楼閣。実はここの冷麺こそが「盛岡3大麺紀行」敢行のトリガーとなったヒトサラであり、数年前にスタッフのひとりが食べ、それまではあくまで焼肉のサイドであった「冷麺」のイメージを、ガツンと覆されることになったという衝撃の1杯なのだ。
 建立35年の節目を機にリニューアルを果たし、現在も改装が続く盛岡駅前のモニュメント「ワールドインGENプラザ」の総括部長であり、厨房でその腕を振るう齋藤未来さんにお話を伺った。

 うちはここのビル全体を運営している「嚴(GEN)商事」という会社で、現在は1階のパチンコ屋、2階の焼肉店という形態で営業しています。昔は3階にカプセルホテル、4階はサウナがあって、当時としては珍しい複合アミューズメント施設でした。
 うちの厨房は完全に分業制で、キムチを仕込む人はキムチだけ、チャーシューの人はチャーシューだけというように、調理人おのおのがそれぞれの食材を専門に扱っているんですね。駅前の大型店ではありますけど、創業者の味を引き継ぐために、昔ながらの割烹のようなやり方を徹底させていて、職人たちが自分だけの仕事に特化することによって、どの料理をどこからを食べても100%に美味しいという状態を維持しています。
 味つけは親方の母親にあたる韓国出身のおばあさまのものが基本になっていますが、基本的にはすべてが目分量なんですね。味つけというのは素材の状態によっても微調整していかなくてはならないので、あえてレシピを数値化しないことが、常にその日のいちばん美味しい味を引き出すことにつながるんです。
 そのぶんパートやアルバイトはいっさい調理をしませんが、ここは年間約18万人ものお客さまが見えますし、新幹線でいらっしゃる県外のお客さまも多くて、接客にしてもすごくやりがいがあると思います。スタッフ全員が自分の仕事に打ち込んでいますね。……あ、うちの味に個人のイメージをつけたくないということあって、顔の写真だけは勘弁してください(笑)。

最大130名を収容する広々とした店内。
和紙や石壁をふんだんに使ったラグジュアリーな内装。「〈焼肉店〉という業界紙があるんですけど、そこにも〈世界に出ていくべき店舗〉として取り上げられました。東北の店舗ではうちが唯一だったんですよ」
盛岡の駅前広場を見下ろすテーブル席。トイレまでがここまでに美麗!

「たかが焼肉ですけど、肉質には過剰なぐらいこだわっていますし、たとえ細かく刻まれてカタチがわからなくなる野菜に関しても、僕らが妥協をすることはありません」という齋藤さんの言葉通り、ずらりテーブルに並んだ焼肉はどれも、目の覚めるような美味しさであった。また、それを受け止める琥珀色のタレも、極めてオリジナルなもので。

「極上ロース(しもふり)」
「肉刺しでもいけます」という鮮度のよさだが、あえてしっかりと火を通すことにより、旨味が爆発。それでも決して硬くなることのないきめ細やかな肉質は、「よく焼き派」も大満足の逸品。そしてこのタレもまた!

 うちのタレは肉に味を加えるためのものではなくて、焼きたてのものを適度な温度に冷ますためのお出汁みたいなものなんです。肉自体の味つけは注文が入ってからひとつひとつやっていますし、その味がしっかりと濃いので、焼いた肉を最後にタレで洗うことで、サッパリと食べていただくような感覚ですね。

ここまでにブ厚いカットがジューシーなコクを生み出す「牛タン(塩)」、そしてほんのり色づける程度でとろけるような食感となる黒毛和牛の「レバー」
焼肉にはやはりビール! そして、くどさのないスッキリとした味わいの「生絞りマッコリ」も。これぞ肉を美味しくさせる酒の2トップである。
「ホルモン(シマチョウ)」も新鮮そのもの!
齋藤さん自らがベストな状態に!

 肉や内蔵それぞれの生命力を噛み締めながら、その純然たる美味しさに、白米の湯気が頭をよぎる。しかし今回は「麺」である。いよいよ本日の主役である「冷麺」をお願いすることにしよう。

冷麺。秋~冬場はスイカを梨に変え提供される。麺の左奥に隠れた甘辛の牛肉も、ムッチリと食べ応えあり。
麺の噛み口は丸く太く、ほどよい酸味とともに、驚くほどにツルツルと喉を流れる。

 盛岡冷麺の発祥は「蕎麦粉の入っていない韓国冷麺」だとも言えると思います。もともとは北朝鮮の開城(ケソン)出身の在日朝鮮人、楊龍哲(よう りゅうてつ)さんが始めた「食道園」という小さな店があって、彼が日本人の口に合うよう蕎麦粉のかわりに小麦粉を加えるなどしたもので、ほかの店もその味にちなんで商売を始めているんです。
 もちろん麺の製法やブレンドはそれぞれに違います。うちの麺は小麦粉を加えたデンプン麺で、専用の器具でところてんのように押し出すことで、この太さや丸さを出しています。朝・昼・晩とイチから麺を手練りしているスタッフの苦労と研究の賜物ですね。スープは自分が担当していますが、牛骨、牛スネ肉、牛テール、牛脂を丸3日間煮込んで、昔ながらの調理法でとっています。沸騰させるとアクや臭みが出てしまうので、弱火でコトコトじっくりと煮込んで、牛の旨味を溶かしていくんです。酸味の秘密に関しては、ちょっとお話できないんですが(笑)、うちではいっさい酢を使っていないんですよ。
 スープづくりに大切なのは忍耐ですかね。夜中の2時に店を閉めて、そこからスープに取りかかって、トロ火が安定するのは次の日の夕方ですから。でも、こういう地道な努力こそが本当の味わいをつくると思っています。

冷麺は「ひかえめ」から「特辛」まで辛味の段階が選べるが、初めてであればまずは「普通」を。ひと口目はスープの透明感を味わい、途中で別盛りの冷麺専用キムチを加えるというのが、齋藤さんオススメの食べ方だ。

 フルーティな甘みと牛骨の力強さが溶け出したスープに、北海道は十勝産のでんぷんを使用したツルツルモチモチの麺。盛楼閣の冷麺は、海老やしらすの踊り食いを想起させるほどに瑞々しくもフレッシュ。口中をやんちゃに暴れ回る。「冷麺という料理自体にそこまでの期待はなかったのだけど、ここのは別物」「いろいろ食べたけど結局はここに戻ってくる」という常連も多く、確かに凡百のそれとは一線を画した正真正銘の盛岡名物である。
 あぁ、この味こそをお土産に持ち帰りたい。1店舗でいいので東京に進出してはもらえないだろうか。

 ちょっと難しいですね。その答えは明白で、職人たちの仕事は量産ができないからです。うちは工場を持つことしないですし、すべての料理をこの店の厨房から出しているんですね。この130席で、多いときは1000杯も出るので、どうしてもチェーン展開や通販に回すということができない。この味を守るためにはこの規模が限界。その想いをスタッフ全員で共有しています。会社には野球部もありますし、団結力には自信がありますよ。

 駅前の店には期待ができない。地代の高さからチェーン店が幅を利かせていることが多いし、旅行者にとっては「せっかくなので裏路地を歩き、地元本来の味に出会いたい」という欲求があるからだ。
 しかし盛楼閣はその例に当てはまらない。この冷麺こそは「地元でしか味わうことのできない」究極の逸品であり、新幹線を1本遅らせてでも体験するべき「本当の盛岡」なのだ。

 はい、僕らの仕事を見てもらえれば、驚くほどに泥臭く正直にやっているというのがわかってもらえると思いますね。

盛楼閣岩手県盛岡市盛岡駅前通15-5 ワールドインGENプラザ 2F 電話番号:019-654-8752
営業時間:11:00~26:00 定休日:なし

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