あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。
ヒトトヒトサラ31 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2016.02.29 世田谷区若林「唐木屋」坂本義一さんの「唐木屋のなか」
田園都市線・三軒茶屋駅を降り、三角地帯の誘惑を振り切り世田谷線に乗る。もしくは線路沿いをテクテクと5分。太子堂駅の踏切の向こうに、唐木屋はある。創業昭和元年の酒屋にして、東京、いや、日本屈指の角打ち(かくうち)としても語られる、酒飲みたちのサンクチュアリである。
角打ちとは酒屋の経営する酒場の意であるが、店主の坂本義一さん曰く、「その認識は、正しいようで間違っているんです。あくまでうちは、有料試飲。お酒の楽しさや可能性を知ってもらうためのスペースですね」
そんな言葉を裏づけるよう、酒好きは拒まずだがしっかりと会員制。会員制だが紹介制ではなく、会費も必要ない。フードの持ち込み、ときには愛妻弁当の持ち込みまでが容認されている。……と、語れば語るほどにクイズのようになるこの店に、初の取材を敢行。これからの酒の楽しみ方を、じっくりとご教授いただいた。

暗闇にベビーカー。押し入れ熟成の泥沼。酒のなんたるかを知る、唐木屋のなか

この店は酒飲みの祖父が始めた酒屋で、当時はごくごく普通の小売店だったんです。親父はあまり飲めなかったけど、僕は隔世遺伝なのか、最初からお酒が好きだったし、強かった。大学は農大の醸造科です。その頃はもう、バカ飲みですよ。(酒が)強いと酔い潰れた友だちの介抱をしなくちゃいけなかったり、ときには居酒屋の床掃除なんかもやらされたけど(笑)、ウイスキーとかウォッカのハードリカーを中心にガンガン飲んでましたね。それが30歳を過ぎて、食べ物の嗜好が変わってからは、日本酒に鞍替え。この酒の魅力に本格的にハマっていったんです。
こういう営業形態になったのはここ10年ぐらいです。うちは飲食店じゃないし、あくまで小売業の有料試飲。とりあえず損をしなければいいわけで、最初は店内に小さな試飲スペースを設けて、おすすめの酒を飲んでもらうということをしていたんですね。うちみたいな小さな酒屋はなかなか仕入れることもできない日本酒も多いんですけど、その頃、千葉のある和食屋さんから「無名の小さな酒蔵にもすばらしいお酒があるよ」と教えられたのをきっかけに、そういう酒蔵を中心に取引するようになって。ただ、そうなると日本酒のブランド力に頼ることはできない。マイナーなお酒の美味しさをわかってもらうには、実際に飲んでもらうしかなかったというのもあります。

坂本さんの語る「マイナー」とは、「低品質」という意味ではない。むしろその逆であり、唐木屋の入り口には「小さな蔵の日本酒」とあるのだが、それはすなわち「小規模ならではの丁寧な仕込みが施された銘酒を取り扱う」という、唐木屋のステイトメントでもあって──。
個性的な蔵があるからこそ、それ以外のお酒が光るわけで、お客さんには先入観なしに、なるべくいろんな酒を試してもらいたいと思っています。そんな気持ちから、この試飲スペースがだんだんと広がっていったんですね。


うちのコンセプトは、女性ひとりでもゆっくりと楽しめる空間。平日の仕事あがりに軽く飲んで、気に入ったものを1本買って帰ってくださる女性の方なんかを見ると、うれしくなりますね。中にはベビーカーを押してくる人もいらっしゃいます。小さなお子さんを連れていると、飲食店は入りにくかったりしますからね。
そう、このスペースこそが「唐木屋のなか」である。無数の一升瓶が並ぶ保管庫や古酒の棚など360度を酒に囲まれた10畳ほどの土間には、酒樽を再利用した円卓やソファ、折り畳み式の会議テーブルやパイプ椅子などが置かれ、「だんだんと広がっていった」という年輪が見えてくる。なにより特徴的なのは、オーセンティックBARさながらの店内の暗さだ。日中に入店すれば、目が慣れるのにしばらく時間がかかるほどで。

初めてのお客さんは驚かれますね。もちろんうちはムードたっぷりに飲んで欲しいわけではなくて(笑)、これは日本酒の品質管理のためです。
酒の天敵は光なんですよ。太陽光線なんかにあたった日には一発でアウトだし、厳密な話だと、UVカットの蛍光灯も駄目。あれは紫外線のスペクトルだけをカットしている状態で、それ以外の波長は出ているので。よく酒蔵の写真なんかを見るととにかく暗いでしょう? あれも人間が入るときだけ最小限の光を使うということを徹底しているからで、できればうちも完全な暗闇で営業したいぐらい(笑)。お酒って瓶の中でも熟成が進んでいくものなので、うまく歳を重ねてあげればどんどん味も熟れてくるし、1年熟成と2年熟成ではまったく味が変わってくる。やっぱりそこでも大切なのは、いかに光をシャットアウトするかなんです。



いわゆる「熟成酒」の世界である。火入れ(瓶詰めの前に酒を加熱し、乳酸菌や酵素の暴れ=味の劣化を止める工程)を経た日本酒は、常温での保存が可能であり、たとえ一般家庭でもその成長を楽しむことができる。坂本さんは「たとえば成人式のお祝いに20年熟成の日本酒を2本プレゼントするんです。それを自宅で寝かせてもらって、30歳の誕生日に1本空けてもらい、40歳でもう1本を空けてもらう。そんな楽しみ方は素敵ですよね」と、さまざまな角度から日本酒のロマンを伝えている。
光に当てないために新聞紙に巻くというのは一般的ですが、新聞紙はだんだんと焼けて破れてしまうので、できればアルミホイルで巻いたのちに新聞紙。それならインテリアとして置いておいても構わないし、それも面倒であれば単に暗いところで保存すればいいわけで、うちの常連さんの中には「押し入れ熟成」の泥沼にハマっている人がいますね。押し入れが酒瓶だらけになって布団が入らない(笑)。僕も自宅や店内のいろんなところに隠してあるので、人のことは言えないんですが……。
あと、ワインのように温度管理が難しいと思っている人も多いんですが、火入れの日本酒の場合は大丈夫。ベランダにトタン屋根つきの保管庫を置いて、わざと暑くするという人もいるぐらいです。科学的にも熟成の仕組みというのはまだ解明されてない部分があるんですが、積算温度(毎日の平均温度を足していった値)が重要なファクターというのはわかっていて、その人はわざと熱をかけることで熟成を促進させているんですね。丁寧につくられた日本酒であれば、口開けして空気に触れさせても味は壊れませんから、ときどき飲んで味を見るのも楽しいですよ。寝かせているうちにだんだんと(日本酒が)可愛くなってきて、いつまでも飲めなかったりするのが実情なんですが(笑)。
日本酒の味を評価するのであれば、温度はもっとも大切な要素です
こんな話に笑いながらも我々が飲んでいるのはよく冷えたクラフトビールなのだから、なんとも贅沢。唐木屋のレジ横には坂本さんが日曜大工でつくったというビールサーバの列があり、こだわりのIPAやヴァイツェンなど常時8種類ほどの生ビールを楽しめるのだ。そこに合わせるのは持ち込みの燻製ピスタチオと、肉屋「腰塚」で買い込んだ「半熟味玉入りメンチカツ」。煙草を吸いに席を外せば太陽はまだまだ眩しく、頭の芯がジーンと痺れる。


ことの始まりは「専門店でなくても本格的なクラフトビールを出せないかな」と思ったことです。専門店は樽を冷やして、サーバの回路も冷やす。だったらうちはそれらを丸ごと冷蔵庫に入れてしまおうと考えたんですね。うちは飲食業のお客さんも多いので、僕が彼らの店に(サーバを)つくりにいくこともありますね。

冷蔵庫といえば、(火入れをしていない)生酒をマイナス5度に保つため、冷蔵庫の修理屋さんにつくってもらったリーチインタイプの氷温庫もうちの売りです。これは冷凍庫と同じように電気ヒーターで強制的に霜を溶かすタイプのもので、これでないと氷の塊ができてしまうので、マイナス5度では運転できない。もちろんこの温度が生酒の飲み頃温度というわけではないので、それを15度、ものによっては30度とか35度まで上げることで味を開かせるわけですが……。
と、話はふたたび日本酒の深淵へ。
日本酒を楽しむときにもっとも大切な要素は、口に入る温度を知ることです。どんなにいい酒でも飲み頃の温度を外してしまえばその真価を引き出せない。生酒でも大吟醸でもいろんな温度で飲んでもらえれば新しい発見がたくさんあるので、もし味をきちんと評価するのであれば、「このお酒の20度の状態が好き」とか「このお酒の40度が好き」とか、そうなるべきなんですけど、ほとんどの人がそこに無頓着ですよね。だからうちは口径の広い正式な利き猪口をそのままお湯の中に入れられる「セルフ熱燗」のシステムと、温度計の貸し出しを推奨しているんです。


利き猪口をそのままお湯の中に入れれば、器に移すことでの温度変化というのもないから、温度計そのままの温度で飲める。まずは常温で飲んでみて、残りはもう少し温めてみよう、みたいなこともできる。飲食店でそんなことを頼んだら追い出されますし、自宅なら可能かもしれないけど、いろんな種類の酒でやるには非現実的ですよね。
アルコール度数が高い原酒はほんの少し加水してあげるのもいいですね。瓶詰めされた日本酒はひとつの「完成品」なので、こういうアレンジを否定する人がいるのは知っていますが、僕は興味のままにいろんな飲み方をしてもらいたいと思っています。好奇心旺盛なお客さんは大歓迎ですね。
あとは今日みたいなフードの持ち込みというのもOKです。食べ物もお酒を美味しくする重要な要素、切っても切り離せないものですから。中には馴染みの飲み屋さんに頼んで折り詰めをつくってもらってくる人もいますし、愛妻弁当、コンビニのおでん、タッパーのお惣菜、しっかりとした刺盛りや薬味を並べてしまう、ちょっとやりすぎな人までいます(笑)。変わったところだと、ショートケーキ。昔から「酒飲みは羊羹で飲む」という言葉があるように、とある有名なBARで働いている人たちがいらしたときは、カステラとかクリームパンなんかの甘味がズラッと並びましたね。僕自身も、明るい昼下がりに冷やした吟醸酒を飲みながらロールケーキとか、大好きですから。日本酒イコール和食って固めてしまうのはもったいないですし、もっと酒で遊んで欲しいと思うんです。


結局のところ、お酒というのは嗜好品であり、人生の潤滑剤。自分が納得して、満足することが大切であって、決まりごとなんてないんです。ときにはお祭りのチープな焼き鳥を食べながら飲む超熱燗のカップ酒が最高に旨かったりするじゃないですか。大吟醸でも、カップ酒でも、最後は同じように酔っ払っちゃうわけだしね(笑)。

素晴らしき貴醸酒の世界。チョコレートとのマリアージュ
ここで坂本さんが勧めてくださったのが、貴醸酒の飲み比べ。貴醸酒とは、仕込み水の一部に酒を使った酒のことであり、濃密な甘みとトロみが舌に転がる琥珀色の1杯。テーブルには福井県「花垣貴醸年譜」の7年ものと10年ものの2種類、そして生チョコレートが並べられた。

このお酒は、貴醸酒を使って仕込まれた究極の貴醸酒です。今はどちらも室温の16度ですけど、これを30度にするとどう変わるのか。チョコレートとのマリアージュがどう変化するのか。……ね? すごいでしょう? 温めると酸が立ってきて、甘みが後ろに回る。もちろんこういう変化は酒によってまったく違います。たとえば大吟醸系なら、冷えていたときは単純で直線的な甘みしか感じられなかったのが、温めると複雑な旨味が開いてくる。酒の味わいには起承転結というのがあって、最初の甘み、そこに追いつく酸、飲み込んでから戻ってくる味わい。そういう経過を意識して飲んでみるのもいいですね。
うちは週替わりの利き酒セットというのもやっているので、年代別や温度別の飲み比べなんかも試してみてください。こういう酒を1回でも適正な温度で体験すれば、それがひとつの引き出しになっていくし、その引き出しや経験値から、自分好みの飲み方というのを導き出せるようになるんですよ。



取材時の利き酒セットは福島県「会津ほまれ」の本生原酒、火入れ、無濾過生原酒の3酒。一般的な銘酒居酒屋とは違い、あえて同じ蔵の精米歩合や仕込みの工程を変えたものが揃うあたり、やはりここは「角打ち」ではなく「試飲スペース」なのだと我に返る。
しかしどの猪口も「試飲」にはたっぷりすぎる60ml(計180ml)。なおかつこれが510円という安さなのだから、昼間から飲みたい酔客たちに愛されるのも当然なわけで。


そのための会員制なんですよ。前にここで飲みまくって、「もっと出さないと火ぃつけるぞこの野郎!」とか「俺は世田谷警察の常連なんだ!」みたいになっちゃった酔っ払いがいて、その人を出禁にするのに一悶着あったんですね。あとは最初から安く飲み倒す気マンマンのお客さんとか、どんどん連れを増やして騒いだりする人というのも厄介で、ちょっとヤバい人は住所氏名を書かされるのを嫌がりますから、これでも十分な抑止力になるんです。……やっぱりお酒って、美味しいものを適度に飲んでいないと、人を狂わしてしまうものなんですよね。……そういえば、最近はお酒といっしょに水を飲む人って増えてると思うんですけど、僕はまったく飲まないんです。なぜならお酒は水溶液。アルコール度数が20%であれば、あとの80%は水なんですよ。それでもさらに水が必要というのは、その人のキャパを超えてまで飲んでしまっているということ。もちろん水を飲むことはいいことですが、その結果飲みすぎてしまうというのは本末転倒ですよね。その日の締めに飲むお味噌汁やお茶、これは自分も大好きですが。

人は味覚を記憶することができない



手練れのこんな指南ほど楽しく、酔いを回すものはない。ボイス・レコーダーの表示も、すでに2時間を回っている。そろそろ坂本さんに締めてもらうことにしよう。これから日本酒を飲んでみようという初心者に、もうひとつ言葉をいただけませんか?
それ、すごく厄介な質問なんですよね(笑)。よく「お酒の勉強をしたいんですけど」という人がうちにくるんですけど、決まって僕は「手当たりしだいに飲んでください」と話して、不満そうな顔をされちゃうんですよ。でも、本当にそれしかないんです。
これは僕の持論で、もしかしたら間違ってるかもしれませんけど、人って味覚を記憶することはできないと思うんです。ワインの味をコメントするソムリエに、あそこまで細かな表現が発達したというのもその証拠で、あれはすごく曖昧であやふやな味覚というものを、視覚としてイメージしやすいように紐付けしたものですよね。脳は事前情報や先入観にすごく左右されやすいものですし、有名な酒だと聞けばそれを美味しく感じてしまうものなんです。
なおかつお酒は毎年同じスペックでつくっていたとしても、微妙に味が変わる。まったく同じ原料を揃えて、麹や酒母、もろみの温度経過をまったく同じにしたとしても、同じ味わいの日本酒をつくるというのは至難の技。酒というのは微生物につくらせているわけですけど、微生物とは話ができない。だから酒づくりに携わる人間は、微生物の生育環境、そこにおける生理作用を、温度などさまざまな要素を考慮しながら、慎重にコントロールしていく。酵母が必死に生きようとした結果としての副産物であるアルコールや心地よい香りというものを、日本酒というかたちで送り出そうとする。その工程にこそ、画一化された「工業製品」では味わうことのできない、一期一会の「ばらつき」というものが生まれるわけです。
人間の味覚はそこまでを見分けるほど鋭敏にはできていませんよね。だったら最初は「ラベルがカッコいい」とか「左から順番」みたいなあてずっぽうでいいから何種類か飲んでみて、その中で好みの味を探していけばいいんです。
だからこそ、これからお酒を好きになろうという入り口の部分で、でたらめな温度で飲んでいたりするのはもったいない。日本酒の製造工程に対しての理解や知識、それを実際に飲むという体験は、車の両輪といえるものなんですよ。
若い人にはピンとこないかもしれないけど、お酒の楽しみというのは有限なんです。将来的にはドクターストップがかかることだってあるかもしれないし、一生のうちに飲める量というのは意外と少ないですから(笑)。だったら日頃から、なるべく美味しいお酒を飲んでほしい。うちのようなスペースを上手に利用してほしい。僕はそんな気持ちでこの店を続けているんですよ。


唐木屋
東京都世田谷区若林1-4-18
03-3421-3720
営業時間:12:00~22:30(月~土曜日)/
12:00~18:00(日曜日)
※有料試飲のラストオーダーは閉店の30分前
定休日:日曜日のみ不定休
※店内及び唐木屋サイト/
Twitter(@sakenokarakiya)で告知
www.karakiya.net/
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