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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ20 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2015.09.04 神奈川県鎌倉市常盤「比呂鮨」坂元政勝さんの「鯵のかくれんぼ」

湘南モノレールの深沢駅を下車するか、高徳院の大仏を拝観してからその地をめざすか。いずれにしても最寄駅がなく、アクセスには悩まされるものの、一度は散策してみたい鎌倉の裏名所が、常盤だ。観光客の少なさと長閑な街並み。それでいて、三輪自転車での移動販売で喝采を集めるケーキ店「pompon cakes」の実店舗がオープンしていたり、日本酒とお粥による「米の力」が存分に楽しめる居酒屋「粥茶屋 写楽」がひっそりと深夜営業していたりと、知る人ぞ知る名店もちらほら。
そんな穴場の重鎮的な江戸前寿司屋が、比呂鮨。「今日は握ってください」でもしっかりと満足させてくれるが、この店の真価は酒の肴の創作力。先付から椀物まで、酒飲みを決して飽きさせることがない。
カウンターの端で炭火をおこし始める大将の坂元政勝さんに、さまざまな逸話を語ってもらいました。

「ずっと魚をイジっていられる商売があるんだ……」寿司屋になることだけを考えていた少年時代

 うちの実家は宮崎の都城。料理人の一家でね、親父はラーメン屋をやりながら結婚式のパーティに呼ばれては懐石をつくったりする料理人だったんだ。「あたりや食堂」ってラーメン屋知らない? 汁のない正油あんかけで食べさせる雷雷麺(らいらいめん)というのが有名で、ピリ辛なんだけど、あんかけにさつま揚げの甘さが溶け出していて、都城だと知らない人がいないほどに売れているラーメン。今は秋葉原の支店をうちの甥っ子が経営してるんだけどね。自分はそんな家庭の三男坊として育ったの。この世界に入ったのも親父の影響だね。遊びといえば川遊びしかなかったような時代で、よく釣りをやっていて、釣果を家に持って帰ると、親父が片っぱしから料理してくれて、そのうち自分でもやるようになった。ハヤ(中型の鯉科淡水魚)なんかは抜群にうまかったな。

 自分の人生を決めたのは地元の寿司屋。うちの兄貴が連れていってくれた初めての店で、板前の仕事に衝撃を受けてね。子どもながらに「あ、ずっと魚をイジっていられる商売があるんだ……」と感激して、それ以来、もう寿司屋になることしか考えられなくなっちゃった。

 はい、これが今日の先付。ほたるいかの味噌漬けと、赤貝の酢味噌あえ、くらげ、あとは有名なキウイ。いつもはこんなこと説明しないけど、一応「ゴールド」ね(笑)。ほたるいかは3ヶ月ぐらい漬けたもの。このぐらいちょうどいいんだ。赤貝はここで剥いて茹でたものを酢味噌で和えただけ。簡単なんだけど、うちは味噌から自分んちのやつだから、手間はかかってるよ。

坂元政勝さん。「最初に言っとくけど、カメラ目線なんてできないからね(笑)。ちなみに前にNHKが取材にきたときは、手元だけしか映らなかったな。最初から包丁の前にカメラを置かれていたから、当たり前なんだけどさ(笑)」 辛味の薄い大身生姜がたっぷりと乗せられた「北鎌倉関本 絹ごし厚揚」。「この厚揚げは北鎌倉の駅前にある小さな店からとってる。厚揚げで絹ごしっていうのがいいね。これとビールから始めるお客さんも多いね」

 生粋の寿司職人とは坂本さんのような人のことを指すのだろう。名水に育まれた少年時代の思い出。派手さはないものの確かな仕事がなされた、潮の恵みの組み立て。日本酒のメニューを見れば、高清水に雪中梅、〆張鶴。すべてが舌に慣れた本醸造のラインであり、吟醸酒ブームなどどこ吹く風のラインナップがまた頼もしい。

 だってそのほうがつまみが欲しくなるでしょ? こういうと怒られちゃいそうだけど、吟醸酒だと塩しか出ない(笑)。料理には甘すぎるし、香りも強すぎると思うんだ。自分の好きな酒? 常温で飲むなら富山の立山。燗にするなら山形の東北泉かな。昔は湯飲みで飲んでたね。客にはお茶を飲んでると見せかけてね(笑)。やっぱり酒を飲みながら握ると、腕がノるんだよ(笑)。いろんなものを食べてもらいたくなる。
 うちも最初は握りを中心に出していたんだけどね、なにせ自分が酒好きなもんだから、まぐろの内臓で酒盗をつくってみたりしていて、そしたら「それをこっちにも出して」というお客さんというのが増えてきて、ちょっとずつ握りとつまみの立場が逆転していった。そんなとき、ある常連さんに「寿司屋のプライドを捨てろ」なんて言われてね、なんだかふっきれてしまった(笑)。ちょうどその頃から、うちは寿司屋としても居酒屋としても使ってもらってる。いいお客さんたちに恵まれてきたと思うよ。

 豊かな経験から醸し出される坂元さんの人柄、懐の大きさ。着席わずか10分にして最高の隠れ家を見つけた気分だ。それはもちろん、寿司屋としても、居酒屋としても。

 こういう店が近くに欲しいでしょう? 自分でもそう思うもん(笑)。あとは会員制にできれば完璧かな。うちで食べてくれる人は一見も常連も同等だし、もともと芸能人とか偉ぶる人は苦手だから、そういう人を入れないための会員制ね(笑)。

「早く親父を出せ親父を!」27歳オーナーの孤立奮闘時代

「もうちょっと早くきてくれれば稚鮎も握ってあげられたんだけどね。じゃあ、かわりに〈苦うるか〉を出してあげる。鮎の新鮮な内臓を塩辛にしたもので、これも酒にぴったり。早く食べてよ、写真なんか撮らなくていいからさ!」

 続いて出されたのも、やはり肴。それも稚鮎の炭火焼だ。まだ10センチほどの小さな身に濃縮された、滋味。そこに香ばしさを与える炭火の魔法。近年、大トロやえんがわなど脂ののったネタをハンディ・バーナーで炙ってみせる寿司屋は珍しくないが、坂元さんの火はその次元ではない。人肌の美味しさと、それよりも少しだけ温かなもの。熟練の手際で粗熱や余熱を使いこなす。

 炭火は本当に素材を美味しくすると思う。クリスマスの時期なんかはローストポークをつくってお客さんに振舞ったりもしてるよ。そんなに高い肉を使わなくても、すごくいいのができるんだ。……じゃあ、次は穴子。羽田沖の特大穴子ね。穴子は大きければ大きいほど、肉が厚ければ厚いほど旨いと思う。それなのに、なんでほとんどの寿司屋がそれを使わないかというと、脂がのりすぎていて、骨ばっているから。そこを、うちは鱧(はも)みたいに骨切りをして、炭火で余計な脂を落としてあげる。このメニューに限らず、こういう手間が本当の旨さをつくるんだよ。

骨切りされる穴子。「うちは専門業者と取引していて、特別にデカいのばかりを仕入れてる。これを目的にくるお客さんも多いから、あるときに買っておく。もちろん冷凍なんかしないよ。いけすに泳がせておくんだ」
特製の醤油だれも甘すぎず辛すぎず。まずはわさびで、最後はシャリといっしょに。

 これはどこにもない味だからね、わざわざ北海道から食べにきた人もいるし、長野の人からも予約が入ってる。……前に、ある有名の舞台美術家に「ネタが古いから炭火で焼くんだろう?」なんて嫌味を言われてさ、こっちはカッカしながら「よし見てろよ」と黙ってこれを出したんだよ。そしたらそいつ、すご~く小さな声で「うまいな……」って。もちろんこっちは声に出さないけど、「ほらみろ!」ってね(笑)。

 こちらはハッキリと聞こえるように「うまい! 最高!」と感服。パリパリホクホクとした穴子自体の味わいもさることながら、少々硬めに炊かれたシャリ、サラッとほぐれる握りの塩梅にも期待が高まる。下積み時代の話を聞きながら、そろそろこの日のおすすめを握ってもらうことにしよう。

かまとろとたくあんの握り。「醤油はつけないでいいよ。たくあんの塩気でトロのくどさが抑えられてるでしょう? これは自分が見習いのときに親方の目を盗んで覚えた握りだね」 あおりいかの塩レモン握り。エンペラーは炭火で炙られ、サクサクとした歯ごたえと丸い甘みが十分に引き出されている。 バフンウニの握り。海苔の味に混ざりあう、クリーミーかつクリアな甘み。ちなみに比呂鮨のカウンターには微妙な段差がついており、ネタの「顔」が見えやすくなっている。鮮やかなオレンジ色の肌から、「さぁ食べてくれ!」という声が聞こえてくるかのようだ。

 こっちに出てきたのは17歳だね。あの頃はまだ集団就職があった時代。東京はデカいし、憧れがあった。自分はまず吉祥寺の立ち食い寿司屋に潜り込んで、とことん包丁の勉強をしてね。結局自分でこの店を持ったのが27歳の頃。それまでに10軒の寿司屋で修行したんだよ。

 ……ということは、10年で10軒=1年につき1親方? 入るのも難儀だが出るのはより過酷という気もする。もしや坂元さん、相当に血の気の多い人なのだろうか。

 違う違う(笑)。こっちは新聞の求人広告を見て店に入るんだけど、板場に入らないとわからないことというのがたくさんあってね、そこの大将のやる気のなさとか、ねたケースの鮮度なんかを見てがっかりさせられて、早々と次に流れちゃうことが多かったんだよ。もちろん喧嘩みたいなこともあったけどね。19歳の頃には27歳ってごまかして働いてたし(笑)、会話するとすぐにバレるんだけど、腕は負けないから、給料だけはきちんと貰って、歳上から嫉妬されてね。
 開店当時は大変だったよ。毎朝築地まで通ってヘトヘトだった。今は大昔の闇市場、鶴見生麦市場に馴染みの業者さんができて、少しは楽になったかな。築地の頃は駆け引きも大変だったから。すごく欲しい魚が目の前にあるんだけど、買う気がないふりをしてね。「なんだよ高ぇな、いらねぇよ」なんて言いながら、何度も何度も前を通ったりしてさ(笑)。
 若かったからナメられたというのもあるね。その頃は仲よくなった常連のおじいさんを雇っていたんだけど、初めてくる客はその人のことをオーナーだと思っててね。自分が握ってると、「早く親父を出せ親父を!」なんて言われてね(笑)。でも、先入観なしに味をわかってくれるお客さんというのもいてね、この近くにあった野村総合研究所の人たちが馴染みになってくれたのは本当に助かった。鮎の養殖とか日本酒にも携わっている博士みたいな人が、自分の寿司に感動してくれて、自分が料理の話すると、会社で報告会まで開いてたっていうからうれしいよね。そういうお客さんがいると自分も鍛えられるし、やっぱりこの世界は「教えて教わって」なんだよ。
 じゃあ、次は「光物フルにぎり」。寿司屋にとってもこれは腕の見せ所。たて塩(魚に直接塩をふらず、海水程度の濃度の塩水につけ、同時に旨味が外に逃げるのを防ぐ手法)のパーセンテージで味のバランスを決めていく。天然塩は苦味があるから、そこを加減するのも面白いんだ。

 今日は、小肌、キス、ヒコイワシ、メヒカリ、新子。この順番に食べてもらったほうがいいと思う。やっぱり新子は抜群に旨いよね。自分も一番好きなネタ。昔は下魚でいくらでも手に入ったんだけど、この夏はキロ7万円もしてた。異常だよね。
 珍しいのはメヒカリかな。居酒屋さんがフライとか塩焼きにして出す深海魚で、刺身、しかも締めたものっていうのはなかなかないんじゃないかな。脂がのってて、独特の匂いがあって、「食べごたえのあるえんがわ」みたいな感じ。あいにく今日はないんだけど、三浦半島で獲れる松輪サバも最高。砂糖をつけたんじゃないかってぐらいに甘くてね。(入荷の)電話を待ってる常連がかなりいるね。

「キンキ煮 タレ25年」「フランス産合鴨2人前」「うなぎ焼舎利付」など、表記は少々ぶっきらぼうだが、そのぶん食い意地にガツンとくる店内メニュー。量は予算と人数にあわせて調整可。

あくまで鯵は脇役。とことん薬味を味わうヒトサラ

 ところで「比呂鮨」という屋号はどこから? 坂元さんの名前は「ひろし」でも「ひろゆき」でもなく「まさかつ」だ。

 浅草に「比呂鮨」って店があったんで、そこからもってきた(笑)。観音さまの真裏にあった店で、たぶん最初に納豆巻きとか梅巻きをやったところじゃないかな。そこは自分の友だちが働いていて、貧乏時代にタダで食べさせてくれたりもした思い出の店なんだ。だから自分が店をやるときに、そのまま名前だけでも継ごうと思ってね。だから自分は「一度も比呂鮨で働いたことがない比呂鮨の後継人」(笑)。店の屋号なんてそんなもんだよ。とにかく大好きな店だったからね。初恋の人の名前みたいなもんだね。こういうと、うちのかあちゃんに怒られそうだけどさ(笑)。

 あと、よく覚えてるのは十条のお店のオーナーさんかな。その人は職人じゃなくて、あくまで経営者。プロじゃないっていうのが自分の負けん気をそっとしておいてくれたというか、逆によかったんだと思う。お店が終わるといろいろ遊びに連れていってくれてね、美味いものも、美味いものの食べ方もその人が教えてくれたんだ。伊豆まで出て、芸者遊びなんかもさせてくれたな。
 もちろん遊んでばかりじゃないし、努力もしてきたよ。ヒマさえあればかつらむきの練習をしてたし、当時は指もバンバン切ってた。クビになっちゃうから病院なんかいかない。輪ゴムで縛って血を止めて、紫色の指で仕事してたね。包丁は大きなものを使ったほうが上達が早いって教えられて、小肌なんかも柳刃でおろしてたな。これ見てよ。15歳で買った出刃がここまで小さくなるんだよ。よく言われるよ、特殊な包丁だねって。確かにこれが鯵を捌くときに役に立つんだけど。

上から柳刃と初代柳刃、出刃と初代出刃。まさに鍛錬の賜物。坂元さんの宝物。

 その言葉を証明するかのように、いけすから鯵を掴み、捌き始める坂元さん。ギリギリまで短くなった出刃の先は、まさに右手の延長。瞬く間に4貫の鯵寿司が並べられる。そしてここからがおもしろい。いよいよ今回のヒトサラ「鯵のかくれんぼ」のお出ましだ。

 まずは葱を切る。このとき重要なのは、必ず手前に包丁を動かしながら「引き切り」にすること。真上から「押し切り」にすると、葱の辛味が立っちゃう。これはケーキ屋さんの発想だね。和食や中華ではあまりやらないと思う。パティシエさんが使うペティナイフ(野菜や果物用の小さな洋包丁)ってあるでしょ? あれも必ず引き切りで使うもので、そうするとフルーツの断面が焼けないから、色も保てる。昔の人の知恵はすごいよね。すべての刃物は理由があって存在するんだよ。……で、この葱を鯵の握りにたっぷりと、本当にたっぷりとかけて、鯵を隠しちゃう(笑)。そこに自家製の生姜醤油とオリーブオイルを回しがけて、はい、これが「鯵のかくれんぼ」。

「鯵のかくれんぼ」。まるで除雪車を思わせる怒涛の包丁使いにて、ドーム状に盛られた大量の葱!
箸先で握りを探し当て、そこになるべく高く葱を盛りつけ頬張るというのが、正しき作法。葱、鯵、生姜、オリーブオイル。それぞれの素材の芯にある甘みが、口中でひとつになる。

 これはみんなが驚いてくれるね。どうやって思いつくか? そう訊かれるたびに「お告げがある」と応えてるんだけど(笑)、本当は自分が食べたいものをつくってるだけなんだ。自分はとにかく薬味が大好き。どんな店に食べにいってもその乏しさにがっかりしてきたから、自分とこだけでもたっぷり使ってやろうと思ってね。出前のラーメンだって、葱をどっさり入れると旨い。最初はそういうところから始まって、だんだんと、いかに薬味を美味しく食べるかという考えになっていった。鯵はあくまで脇役なんだよ。

「休みの日は映画にいくことが多いね。娘といっしょに3Dとか4DXにハマってて、こないだ観た『アベンジャーズ』はナカナカだったな。こんな親父とよく映画なんてって思うけど、旨いもんさえ食わせとけば親子仲もいいままなんだよ。もちろんいけすの掃除をやらせたり、食べたぶんは働いてもらうけどね(笑)」

和牛の握りにあさりの焼き飯。比呂鮨の宴はどこまでも……

 坂元さんの創作はまだまだ続く。今度はふたたび炭火を操り、和牛「トモサンカク」の握りが登場。「こんなの若いうちに食べるとロクなことにならないよ」と笑いながら、メニュー発案のエピソードを明かしてくれた。

 懇意にしている肉屋さんが「肉は肉屋で掃除してもらわないほうがいい。旨いところまで持ってかれちゃうから」と耳打ちしてくれてね、そこから肉も自分のところで下処理をするようになったんだ。魚も肉も同じ生き物だから、自分はだんだんと肉にも興味を持つようになっていった。そこで、ある焼肉屋さんが教えてくれたのがトモサンカク。牛のお尻のあたり、三角円錐になってる部分で、油に包まれていて、臭みがない。口に入れたときはトロみたいに感じると思うんだけど、噛むと肉。それまで仕入れていたヒレよりも安かったし、これはいいと思って、丸ごと買うようになってね。
 うちはカタマリを切り分けて、生の刺身、サイコロ状のステーキ、生の握り、炭火で炙った握りの4種類で出してる。塩とわさびで食べてもらうのがいいかな。旨いでしょう? こんなの食べたらヘタなステーキ屋なんか行かなくなるよね。

 和牛の威光とボリュームに、そろそろ会計か、とも思ったが、サラリと溶けてなくなる上品な脂に、またどこからか、食欲の波。そこで最後にオーダーしたのが「あさりバター」。坂元さんは「ホタテの貝を器にするところに寿司屋のプライドが残ってるんだな」と笑いながら、それを炭火にかける。新しいお猪口には、ひと口大のシャリが盛られ……。

〆の椀は「そうめんのお吸い物」。奈良は「三輪そうめん山本」の極細麺を使用したものだ。

 あさりとネギ、あさりから出た美味しい出汁をシャリにかけながら、小さな丼にしてもらおうと思ってね。美味しい出汁でしょう? これはしじみでもハマグリでも出ない、あさりだけの味だね。いつももっと食べたいと頼まれるから、次はこの汁にごはんとチーズを入れて焼き飯にする。イタリアのリゾットのようなものなんけど、炭火で焼いてる以上は焼き飯(笑)。ホタテの殻をおしぼりで押さえて、スプーンでおこげの部分を削るようにして食べてよ。

 今日は本当にごちそうさまでした! 寿司屋に対してはかなりの「長っ尻」、しかし超一級の居酒屋であれば仕方がないか、と、3時間に渡る比呂鮨の創作をひとつひとつ思い起こしながら、ぼんやりと暖簾の向こうを眺めれば、涼しげな夜風が散歩に誘っている。それにしても食べ過ぎだ。最後のチーズはやりすぎたかもしれない。

 このメニューにもファンが多くてね、最初の最初に食べたいという人もいるんだけど、そんなときはこうやって断るんだ。「だってここは寿司屋ですから」ってね(笑)。

(店舗は現在閉店しています。移転先は未定です)

比呂鮨 (店舗は現在閉店しています。移転先は未定です)

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