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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ15 / TEXT:嗜好品LAB PHOTO:藤本礼奈 ILLUST:山口洋佑 2015.4.28 川崎市宮前区犬蔵「イムイェム」寺西章さんの「ドライグリーンカレー」

東急田園都市線・宮前平駅から、徒歩だと20分はかかるだろうか。東名高速の分岐点を越え、郊外ならではのラブホテルを眺めつつ黙々と進まなくてはならないのだが、そこには都心でも滅多に出会うことのできないスパイスの桃源郷がある。その名を「イムイェム」。現地語で「(主に食事に満足した際の)微笑み」を意味するタイカレーの名店である。
店主の寺西章さんが選び抜いたパクチーはゴツゴツと逞しい根を生やし、スパイスは世界各地のものを我流ブレンド。聞けば元デザイナー。それも第一線のプロであり、少々アナーキーかつ波瀾万丈の社長業を捨てた今も、「料理はデザイン。味はレイアウト」だと言い切る。
しかしイムイェムのスプーンを口に運べば、その玄妙かつ重奏的な味わいに、心がざわめき、「デザインやレイアウト」の奥には、当然のごとくの深い愛情や実直な手間ひまがあることが伝わってくる。
それをあえて言葉にすることのない無頼派の口を開くには、やはり酒。取材はビールの空き瓶をズラリと並べながら行われた。

車が止まったのは、料金所のコンクリから5センチ。これで死んでたら自分の人生はなんだったのかって

寺西章さん。

 50歳までは広告系のデザイナーをやっていたんです。昔から絵を描いたりすることが好きでね。生まれは富山で、金沢の美大に進学するんだけど、こっちは高校の卒業式の目前にバイクの傘さし運転で捕まるようなヤツだったから(笑)、なんだか水があわなくて、即座に中退。そこから地元のテレビ局で絵コンテを描いたりしながらプラプラしていたら、金沢にできたばかりの某大手広告代理店の支社の人から声をかけてもらえて、なんとか道が開けるわけです。
 でも、そこもひどい辞め方をするのね。あの時代の田舎の支社というのは、本社でちょっと失敗しちゃった人が左遷されてくる場所でもあって、見ず知らずの人が「次長」とかいう役職で配属されてくるわけだけど、そういう人たちは田舎でことなく2~3年我慢していればまた本社に戻れるものだから、とにかく冒険というのを嫌がるわけ。たとえば、僕らはある老舗和菓子屋さんの仕事をしていたんだけど、当時は賞味期限の表示義務がなかったから、今でいう「開封後はお早めに」というシールをデザインしましょうと提案したんです。僕は職人さんたちの「なるべく早く食べてほしい」という想いを知っていたからね。ただ、やっぱりその次長は「お前ら余計なことするな!」なわけですよ。で、僕、ある年の忘年会で、その次長の腹に馬乗りになってね。酔っぱらってたし、ずっと鬱憤が溜まっていたもんだから、往復ビンタを喰らわして辞めちゃうわけ(笑)。

前菜として出されたマグロの生春巻き。タレはライムの絞り汁をベースに胡椒を効かせたもの。タピオカ入りのライスペーパーに巻かれたさまざまな香りを、赤身特有のコクのある酸味がまとめている。「これはミクロネシア連邦のポンペイ(ポナペ)島のあたりの食べ方に着想を得たつまみ。あのあたりはマグロの回遊ポイントで、漁業が発達していてね。見た目も生け花っぽくてきれいでしょう? 皮は〈タイオリエント〉という商社からとっているもので、米粉だけのザラザラしたものよりも、ずっと滑らかな食感なんです」
店内のところどころを警護する、象や子象。 「看板にも使っている象の絵は娘に描かせたものなんだけど、まだ小学校5年生だったから、最初はまっすぐな足が2本しかなくてね(笑)、あとあと僕が描き加えたものなんです」

 食材の彩りや季節の盛りつけ、それこそ和菓子の美しさなど、食とデザインにはなにかと共通するものが多いが、それら両方への愛が巻き起こした珍事件、と取るのは少々強引だろうか。イムイェムの開店はまだまだ先のことだ。

 そのあとは東京のプロダクションで働いていたこともあるし、ニューヨークに渡って仕事をしていたこともあります。5年ぐらいは向こうにいたのかな。日本に帰ってきたのが28歳。自分でデザイン会社を起こして、大手自動車メーカーのカレンダーなんかを担当させてもらうようなところまでいきました。
 ……でもね、会社が大きくなるにつれ、このままでいいのかなって気持ちも大きくなるわけです。もともと自分がやりたかったのは、たとえば同級生の似顔絵を描いて喜んでもらうことの延長にあるような、とてもシンプルなことだったはずなのに、広告業界は「デザインを通すための捨て案」みたいな戦略ばかりを考えなきゃならない。(イギリスの)湖水地方への取材旅行で触れた、「美しいものはみんなで残す。歴史、文化のある場所には新しいものはつくらない」という思想に感動して帰ってきても、会社には「新商品、新商品、バージョン・アップで」みたいな急務が山積しているという状態。だんだんと精神的にも体力的にも疲れていって、とうとう僕は死にかけるんです。
 ある日、ものすごい徹夜明けで車を運転していたら、駒沢から用賀までの記憶がなくて、ハッと目が覚めて急ブレーキ。なんとか車が止まったのは、料金所のコンクリから5センチのところ。その瞬間に、「もしこれで死んでたら、自分の人生はなんだったのか」と正気に戻って、会社をたたむことにするんです。

冬場の根菜は太くて甘い。それはパクチーも同様。そこに目をつけ考案された、パクチーの根の素揚げ。「最初は生で食べてたんですよ。だったら揚げても旨いだろうと思ってね。味つけは藻塩だけ。それだけで甘みと香りが引き立つ。パクチーはかなりの量を仕入れるので、特別に太いものだけをストックしておくんです」

自分がつくりたくてつくるものを突き詰める。そこにからですね、急にこの店が混み出したのは

 そんな寺西さんの料理に強い影響を与えたのは、田中一光とメーヤウ。前者は西武百貨店の包装紙や無印良品のトータル・デザインなど昭和期のグラフィックを牽引したデザイナーであり、後者は信濃町にあるタイ料理の専門店だ。

メニューの1ページ目を飾るグリーンカレー。ココナッツの柔らかな乳感と、すっきりとした後味を見事に共存させた定番メニューだ。辛党はテーブルに置かれた「唐辛子のナンプラー漬け」を加えてもいい。

 もともと料理は好きで、麻布十番の中華料理屋「華園」の料理教室にも通っていたし、新宿の生涯学習館を借りて餃子教室を開催したこともあります。「焼餃子 VS 水餃子」というテーマでね(笑)。でも、決定的に僕の料理を鍛えたのは、ほぼ日課になっていた社員へのまかない。僕は田中一光さんに憧れていたから、彼が社員に手料理をふるまっていたと知って、同じように事務所の台所に立つようになったんです。みんなが忙しくしているところ、大量の焼きそばやカレーをつくってましたね。
 メーヤウは本当に大好きだったな。多いときで週3回ぐらいは通っていたと思う。それまで食べていたインドカレーは胸焼けがすごかったけど、それがまったくなくて、あの味にはインパクトがあったね。僕をタイカレーの世界に引き込んだ味だと思う。

ランチタイム後の休憩時間、しばしまどろむ店内。スピーカーからは心地よい音量でドアーズ「ライダー・オン・ザ・ストーム」やアル・スチュアート「イヤー・オブ・ザ・キャット」といった70年代のグッド・ミュージックが流れている。

 じゃあ、そろそろスパイシーなものも出していきましょう。これは今期からの新メニューで、豚のヒレ肉の炒めもの。ネーミング? 肉には花椒(ホワジャオ)とクミンシードを素焼きにして潰したものを絡めてるから、クミン・ポーク、いや、ホワジャオ・ポークにしようかな。これをツマミにするといくらでもビールが飲める。白ワインなんかにもいいだろうね。
 こういうメニューの構想は山ほどありますよ。あまりメモをしないので忘れちゃうんだけど、今度やってみたいのは自家製ソーセージ。レッドカレーのペーストで炒めた挽肉に海老を混ぜたものを腸詰めにして、4日間乾燥させたものをパリッと焼いて出す。これもビールを飲ませるだろうね(笑)。

平日夜限定の新メニュー、ホワジャオ・ポーク。冷めても柔らなヒレ肉は、じっくり飲むにもぴったり。舌に唇にビリビリとくる花椒の刺激に箸が止まらない。

 ビールの力がさらに遠い記憶を呼び寄せる。寺西さんは、料理人のベースにあるのは「おふくろの味」。しかしそれを越え「自分の味」を確立するためには、やはり酒が重要なのだと力説する。

 これはビールを飲みながら話していることの言い訳じゃないんだけど(笑)、僕の場合は、自分から料理を探しにいくんじゃなく、酒が料理を連れてきたという感覚があるのね。家族から離れて社会で飲み始めたときに、母の手料理の外にも広大な味の世界が広がっていたことに気づく。それと同時に、家庭の味というのも貴重なものになっていく。つまりは「どっちも知っている」というのが大切なんです。
 自分は男ばかりの3人兄弟の末っ子として育ったから、食事はサバイバルだったね。たとえばすき焼きなんかはすごいイベントなわけだけど、箸で肉を持ち上げて、長男はふーふーと2回吹いて食べられるところ、自分は延々と吹いているから、目の前からどんどん肉が減っていく。悔しくってポロポロ涙が出るわけ。本当にいじましい世界。で、子どもなりに考えたのが、母が料理をしているすぐ隣に立つということ。すると、できたての料理を味見がてらにつまみ食いさせてくれる。熱いものは熱く、冷たいものは冷たく。……それを考えると、僕はずいぶんと昔から料理の基本を学んできたと思うんです。

ハジける油の音までが美味しいオープン・キッチン。無駄のない一挙一動が望める右サイドのカウンターがイムイェムの「アリーナ」か。「料理は台所から直接出すのが基本。お客さんに嘘がないところを見てもらえるのもいいね」と寺西さん。

 低い目線の先に、忙しく動き回る包丁やフライパン。まっ白な湯気とできたての味。ルーツに家庭のテーブルがあるからこそ、寺西さんはオープン・キッチンを選んだ。しかしイムイェムという名の家庭はとにかく遠い。「ふるさとは遠きにありて…」までを意識したわけではないのだろうが、初めての人にはちょっとした覚悟が必要な立地だ。

 アクセスが悪いというのは、みんなに言われるね。ここは隣の「綾」さん(純手打ち讃岐うどん 綾)に食べにきたときに見つけた居抜き物件で、たまたま不動産屋さんが「FOR RENT」の貼り紙をつけてるところに遭遇して、キッチンもシンクも理想的だったから飛びついたんだけど、それが大間違いだった(笑)。だって友だちに怒られたもの。「魚のいない釣り堀にどんなに美味しい餌を蒔いても駄目だろう。暗闇にウインクしても誰にも届かないだろう」って。……でも、本当に駄目なのは、その「どんなに美味しい餌を蒔いても」という姿勢だと気づくときがくるんです。
 僕はお客さんがこないプレッシャーから逃げたくて、よくうちの妻に愚痴っぽいメールを出してたんです。でも彼女は「あなたがやりたいと決めてやっていることでしょう?」とすごく冷たいわけ。ただ、その言葉から、「自分がつくりたくてつくるものを突き詰めないと駄目だ」と奮起するんです。それまでは、くるかどうかもわからないお客さんのことばかり考えていたし、目の前のお客さんひとりを楽しませることを忘れていた。なにより自分が楽しむことも忘れていた。そこに気づいてからですね、急にこの店が混み出したのは。

寺西さんの一番弟子、菅正博さん。管さんは、田舎の農家と都会で暮らすその跡継ぎを援助する団体「セガレ・セガール」のメンバーであり、寺西さんとは、よりよい国産パクチーの入手を相談されてからの縁なのだとか。「僕は某広告会社の営業だった時代もあって、寺西さんからこの店の展開を相談されたりもしていたんです。でも、その前に僕がイムイェムの味と寺西さんの人柄に惚れ込んでしまって、衝動的に会社を辞めてしまった(笑)。僕自身がこの厨房に入って、イムイェムを展開させていきたいと考えてしまったんですね」と菅さん。

最後に訪れる「すっごい旨かった!」そのためのデザインやレイアウト

 そうして生まれたのが、世界でここだけのヒトサラ=ドライグリーンカレー。ライスを覆い隠さんばかりのパクチー、水菜、小葱。そこにグリーンカレーのペーストとともに炒められた挽肉の辛み。まさにパクチー嫌いのことなど考えもしない、唯我独尊のキラー・メニューだ。

 料理もデザインといっしょで、迷っていたらいいものはできないと気づいたからこそのメニューですね。たとえば写真のバックに色を敷く。最初はイギリス王室みたいなブルーだったのに、クリックひとつでそれがオレンジになる。そこで迷子になる。最初につくりたかったものを忘れてしまう。それでは駄目なんです。
 もうちょっと料理とデザインの話をすると、たとえばパンフレットをつくるときに大切なのは、奇抜で突出したページをつくることではなくて、最後のページを閉じたときの「いいものを見た」という感覚を味わってもらうことだと思うのね。うちのカレーもまったくいっしょで、スパイスの香り、歯ごたえ、ちょっとした違和感やサプライズ、そういったものを、お客さんの満足感のためにレイアウトしていく。それが僕の料理の特徴だと思う。

「ガパオとグリーンカレーのいいとこどり」とも紹介できそうなドライグリーンカレー。レモンを回しがけ、クラッシュ・ピーナッツや針生姜などすべての具材をスプーンで混ぜ込みながら食べ進める。大きく頬張りビールで流し込むと、爽やかな香りとジンとした辛みだけが舌に残る。

 その言葉を裏づけるように出されたのが、まるでコンソメのような透明度のスープに驚く「ゲーン・パー」。レッドカレーのペーストをベースに、鶏肉の旨味、しめじやエリンギの肉感、ニンジンやセロリ、生コショウの清涼感を絡めた新定番だ。

 カレーとラーメンとパスタの共通項ってわかりますか? それは、ひとつの器(うつわ)で満足してもらわなくてはいけない料理だということ。箸休めのない料理だからこそ、どうやって飽きさせずに最後まで食べてもらうかが大切で、そのためには、最初のひと口がすごく美味しいと駄目なんです。たとえばうちのゲーン・パー。これはタイ北部のココナッツが育たない地方ならではのレシピをベースしたものなんだけど、初めて食べる人は「なんでこんなにシャバシャバなの?」って驚くと思うのね。でも、このカレーの美味しさというのは、ひと口ではわからない。いちばん最初に感じるのは違和感かもしれないけれど、食べれば食べるほど、いろんな出汁、スパイスの味が織り重なって、どんどん味が変わっていく。生コショウを粒のまま使っているのもそのためで、それが歯にあたって潰れたときに、また違った刺激が広がる。要は、最後の最後に「すっごい旨かった!」と言わせたいわけ。最初は「ン?」から始まって、「これ旨いかも」「旨い旨い!」「あー、もうなくなっちゃう!」という上昇のストーリーをつくりたいわけです。

タイ語で「森のカレー」を意味するゲーン・パー。「これも世界でうちだけの味だと思います。というのも、実はまだ現地のものを食べたことがなくて、想像でつくってるからなんだけどね(笑)」

「生き物」ばかりを扱って居る限りは、常に同じ味っていうのは無理なんですよ

 途中でスプーンを置かせることのない病みつきメニューの裏に、緻密な味のデザインありき。しかし同時に寺西さんは、「料理はデザインと違って締め切りがない。だからこそカレーには完成もない」と続ける。

 うちのカレーのペーストには、まったくドライなものが入ってないのね。唐辛子、レモングラス、バイマックル、パクチー、ニンニク、生姜、ぜんぶが生のもの。だから唐辛子がものすごい辛いときもあるし、ニンニクにもパクチーにもばらつきがある。でも、よく考えればそれがふつうであって、大量生産で(味を)むりやり安定させたようなもののほうが怖いわけ。「生き物」ばかりを扱っている限りは、常に同じ味っていうのは無理なんですよ。とくにタイの食材のアバウトさというのはすごくて、前回のココナッツミルクはすごいクリーミーなのに、今回は水っぽいとか、平気であるのね。クイティアオ(タイ産の米の麺)なんかも大変で、1時間水に漬けても戻らないものもあれば、それだと柔らかくなりすぎるものもあって、それが袋ごとに決まっていれば調整できるけど、ひとつの袋に混ざってたりする(笑)。そうなるともうお手上げで、商社に文句をつけるんだけど、「あぁそうですか、やっぱり?」で終わっちゃう(笑)。現地の人も「マイペンライ、マイペンライ(気にするな)」で済ませちゃうんだろうな。

 そんな舞台裏を明かせるのも、味への自信の成せる技。微調整と進化を続けながら、イムイェムのカレーは日々中毒患者を増やし続けている。

 自分の理想は「毎日でも食べたくなるカレー」。ある常連さんが「匂いがしたから食べにきた」って言ってくれてね。幻匂(げんしゅう)っていえばいいのかな(笑)。そんなうれしいことを言われたら、これからも頑張ろうって気持ちになるよね。
 僕にとっての料理はコミュニケーション・ツール。人に喜んでもらえるのであれば、それはデザインでも音楽でも文章でもよかったんだけど、中でも自分がいちばんワクワクできるものとして、料理を選んだというだけなんですよ。だからこそ、うちの妻の「美味しい」にも勇気づけられてきたし、弟子の管くんがまかないを食べるたびにつぶやく「染みるな~」も助けられてきた。お客さんの溜め息というのも最高にうれしい。やっぱり「満腹だ~」じゃなくて、「満足だ~」という溜め息が聞きたくてやってるようなところがあるからね。
 あとはあれだね、カップルのお客さんが店を出てすぐ、女の子が「美味しかった~」と男の子の腕に巻きつく瞬間(笑)。自分の料理でそういう風景を「デザイン」できたときは、花咲かじじいになった気分になる。やっぱりこっちが天職だったんだって思えるんですよ。

イムイェム 神奈川県川崎市宮前区犬蔵1-9-21
044-976-1240
営業時間:11:00~15:00/18:00~22:00
不定休

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