あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。
ヒトトヒトサラ10 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 / 2014.12.24 世田谷区三軒茶屋「名西酒蔵」後藤一平さんの「すだちパッチョ」
三軒茶屋最大の飲食街=三角地帯。その喧噪から少し離れた裏路地に店を構える「名西酒蔵」は、「すだちの店!」の愛称で知られる徳島料理の名店だ。
2005年の開業以来、「初台名西酒蔵」「名西ちっか場」とふたつの支店をオープンし、旬にこだわる酒飲みの支持を集めてきたが、今年になって、本店をリニューアル。店主の後藤一平さんが「ここでは好きなことだけをやる!」と日替わりのコースを始め、いつにも増して、すだちをたっぷり。徳島県人にとっても東京人にとってもフレッシュな「ネオ郷土料理」を提供している。
それにしても、すだち、すだちサワー、すだちパッチョ、すだちの皮を食べて育ったすだち鶏……。いったい何度「すだち」と書けばよいのか。それほどまでに店主・後藤一平さんのすだち愛、そして徳島愛は深い。しかしその深すぎる郷土愛こそが、この小さな店に熱烈なリピーターを生み続けているのだ。

「名西酒造」改め「名西酒蔵」の始まり
うちの地元は徳島の名西郡というところで、実家は造り酒屋だったんです。この店の屋号は実家の「名西酒造」の「造」を「蔵」に変えたものなんですよ。自分の両親は徳島と福島の出身で、ふたりとも農大(東京農業大学)に通っていました。その縁もあって自分も農大に進んだんですけど、そこで(酒を)売る側の楽しみに気づいたというのが開業のきっかけですね。25歳のときに、30歳までに店を持つと決めました。親父は「すきにせぇ」って感じでした。崖っぷちにならないとやらない子なんです(笑)。もうやらなしゃあないって。それが9年前のこと。開店日は雨でしたね。
街灯もまばらな裏路地にオープンした名西酒蔵は、暗闇にぼんやりと、しかし酒飲みにとってはまたとない光となった。関西圏の台所=徳島の旬を地元そのままの食べ方で味わえる店として話題を集め、2店舗目「初台名西酒蔵」、そして本店ほど近くの3店舗目「名西ちっか場」と、その味を広めてゆくことになる。
むこう(名西ちっか場)はちょい飲みで試してもらえる居酒屋で、料理は自分が見てますけど、初台(初台名西酒蔵)には材料だけを丸投げしているので、自分には想像のつかない料理をする人もいておもしろい。つくる人が変わればこうも変わるのかって。でも、どの店も開口一番は「徳島」だし、ジャンクな味つけにしないという縛りはあります。余計な化学調味料なんかはもともと置いてませんから。で、そんなふうにポンポンと2店舗もできてしまったものだから、そのぶんここ(本店)は自由に営業することにしたんです。
基本は3000円で7品。本当はもっと出るんですけどね(笑)。不定休だし、知らないと入ってこれないかもしれないけど、いちげんお断りとかそんなことはしてないし、臨機応変にやってます。事前に連絡をくれれば好き嫌いにも対応しますよ。肉が苦手な人には大根ステーキを出したりもできるし。
(店内を見渡して)それにしても雑な店ですよね。なんでもかんでも置いてある。人の家にいるみたいでしょ? ここの常連さんが「ちっか場」のほうにいくと、「あそこは落ち着かん、お店みたいやから」って(笑)。


8人でいっぱいになるカウンター。テーブル席の椅子はビール・ケースにざぶとん。しかしそこに安っぽさはまったくない。細やかな食材の説明、後藤さんの阿波弁も相まり、「根が生える」とはこのこと。とにかく居心地がよいのだ。
じゃあそろそろ料理を出していきましょか。まずはお通し。最初は奥のあったかい汁を飲んでみてください。蕎麦アレルギーは大丈夫ですか? 底に沈んでるのは「蕎麦米」っていうんですけど、むいた蕎麦の実を茹でたもの。徳島ではこうやって椀だねにして食べることが多いんです。左の緑は芥藍(かいらん)という中国野菜で、これも徳島産。右はその日に届いた旬の野菜をつっこんだもの。ちょこんとのってるのは、すだちでもゆずでもなく「ゆこう」。搾ってもろてもええし、かじってもろてもええし。

「ゆこう」の甘味と酸味。そこに埋もれることのない、徳島野菜の味の濃さ。そこにあわせるのは、名物「すだちサワー」。後藤さんが「東京の生レモンサワー」に着想を得て出すようになったという1杯だ。

こっちの居酒屋ですだちサワーを頼んだら、甘くてベトッとしたジュースみたいなのが出てきてね。自分はあれが苦手なんですよ。うちのはまったく甘くないし、酸味も強い。料理を引き立てる酒になってると思います。
すだちサワーに限らず、うちの料理はほとんどにすだちが入ってます。すだちは家庭の食卓にドーンと置いてあるもので、なんにでも絞るものだった。たいていは庭に木があって、枝の刺に注意しながら、ハサミで収穫してね。うちのすだちをつくってくれているのは地元の同級生です。傷ものだったり規格外のものを安く譲ってもらってます。すだちサワー、美味いですか? フィッシュカツとの相性も最高ですよ。
それならばと、そこに「ちっか」も盛り合わせてもらった。どちらも徳島県人には欠かすことのできない、思い出の味。もちろんこれにもすだちをたっぷりと。
「ちっか」は徳島の言葉で、竹輪のこと。きちんと竹に巻いたこういうかたちで残ってるものは珍しいと思いますね。昔の四国は橋すらない島国だったから、関西圏に出ようと思ったら、フェリーに乗らなくちゃいけない。そのときに買うのが「ちっか」だった。だから僕らの上の世代、50代とか60代の人にはとくに忘れられない味なんじゃないかと思います。自分も子どもの頃から食べさせられてきたし、ごはんのおかずでもあり、おやつでもあって。上京してきたときは、それまでふつうに食べよったものが売ってないので、あれ? ってなりました。うちのちっかとカツ、じゃこ天は、徳島の中でも添加物をまったく使わない練り物屋さんというのがあって、そこからとってます。
徳島の人には初台店のカツも食べてみてほしいですね。うちで出してるものよりもカレー味がキツくて、いちばん懐かしく感じる味だと思う。自分はどっちも好きやし、そこに順位はないんやけど。


農大OB/OGによる、日本列島銘酒紀行
「名西酒蔵」の名の通り、日本酒のセレクトにも後藤さんの思い入れが色濃く反映されている。メニューの左は徳島の地酒や梅酒が並び、右の日本地図には、農大のOBやOGのつくった酒が、つくり手の名前といっしょに紹介されている。

同級生がつくってる酒ほど(つくり手の)顔が見える酒っていうのもないですから。当時はとにかくよく飲んでました。いろんな仲間がいましたね。農大には毎年11月の頭に「収穫祭」という学園祭があって、そのときにはみんながうちに寄ってくれる。ありがたいです。



農大のつながり、そして徳島のつながり。さまざなま人の縁と徳島食材への熱意が名西酒蔵の原動力だ。壁には徳島出身のバンド、チャットモンチーやHalf-Life、蔦哲一朗監督の映画『祖谷物語-おくのひと-』のポスターも貼られている。
つながりといえば、連(れん/阿波踊りのグループのこと)のつながりも強いです。うちでずっと働いてくれてる澤口(依利)さんは東京人だけど、有志連のつながりで知り合って。
「はい、私は子ども会の頃から阿波踊りを踊ってたんです。ただ、私はずっと渋谷区育ちなので、ここで働き始めたときは、まず喋る言葉が通じないというので苦労しましたね。〈わっきょう! わっきょう!〉と怒られても、それが〈沸いてるよ〉だとはわからないわけですよ(笑)。最近は慣れてきて、新しい子が入ってくると、彼らの反応を楽しめるまでになりました。最初はみんなポッカーンとした顔で止まっちゃうんですよね(笑)」(澤口さん)
自分が徳島から持ってこれなかったものといえば、やっぱり阿波弁になるのかな。ただ、こないだの目黒秋刀魚祭りのときは(岩手県)宮古の秋刀魚と徳島のすだちが提携しているもので、その前夜はお客さん全員が徳島の人間。東京人は彼女(澤口さん)だけになったこともあります。そういうときは気分がいい(笑)というか、地元に帰ったような気持ちになる。
もちろん実際にも帰ってます。年に3~4回は帰省して、お世話になってる農家さんを回ったり、従業員と練り物工場を見学したり。自分、「飲み食いは仕事」だと思ってますから、徳島で食べたものがうちのメニューのヒントになったりというのもあります。鳴門にタコを食べにいったときに、太い足を1本丸ごと焼いて出すところがあって……でも、そこは最後にレモンだったんですよね(笑)。徳島の人って、意外と徳島のものを使わないことが多いんですよ。もったいないなーって思います。ヒントはいっぱいあるんですけど、いつもすだちが足りない(笑)。すだちを持ち歩きたいぐらいです……もちろんそれは自分が県外に出ないと気づかなかったことではあるんですけどね。
すだちと並ぶ看板食材、阿波九条葱

徳島には特産がないんです。それは、なんでもまんべんなく美味いから。関西圏の市場だと、5割くらいの野菜が徳島産。カリフラワーは生産日本一だし、葉ものもいい。吉野川流域の徳島平野は畑作も米作もどっちもできる。自分の実家は名西郡の神山町というところにあって、そこはすだちの生産量が日本一。梅が四国一。最近だとIT企業が小民家を改装してサテライト・オフィスをつくったり、ぼちぼち有名になりつつある町です。
うちから山いっこ越えたところにあるのが上勝町。地元のじいちゃんばあちゃんが築地に「つまもの」を出荷する「葉っぱビジネス」で有名になった町です。気候ですか? 東京とあんまり変わらんちゃいますかね。ちょっと標高が高いぐらいで。ただ、お客さんに観光を訊かれると困っちゃうんですよね。まずは鳴門の渦潮を見てもらって……あとは年中阿波踊りを見られるところがある……みたいな定番コースになっちゃう。そのかわり飲み食いに関してはがっちり紹介しますけどね(笑)。粉文化も強いんで、うどん、ラーメン、もちろん魚の店も野菜の店もたくさん。そういう店をズラーッと羅列してみます。
郷土愛の止まらない後藤さん。その目は「徳島のよさをひとりでも多くの人に」という信念にあふれ、目の前の料理を輝かせてくれる。そんな店主入魂のヒトサラが、「すだちパッチョ」だ。ここにはすだちとともに名西酒蔵の屋台骨を支える徳島食材、「阿波九条葱」が惜しみなく使われている。



すだちパッチョは青葱を食べてもらうための料理です。青葱はどうしても使いたかった素材なんですけど、自分が店を始めた当初は関東じゃほとんど流通していなくて。そんな中、ある人が築地とか大田市場に「阿波九条葱」が出回っていると教えてくれて。でも本当に貴重だし、量も少ない。こっちはどうしても通年確保したかったから、それならばと地元・徳島の農家さんまで交渉しにいったんです。そしたら朝採れたものを直接送ってくださることになって。
ただ、今度はべつの問題が出てきた。とにかく送料が高いんです(笑)。ロット(量)もすごくて、最初は知り合いのラーメン屋さんに助けてもらったりもしたんですけど、それでも使い切れない。余らせるのは絶対に嫌だから、どうにかもっとたくさん使えないかなって。そうやって生まれたのがこの「すだちパッチョ」なんです。もともとうちの刺身は白身が中心で、塩とすだちで食べてもらっていたので、そこに青葱というのはすごくいい流れでしたね。
この日は平目、真鯛、勘八、タコの4種盛り。といってもすべては葱の下。箸で緑をかき分けながら、引き寄せながら、海の恵みを吉野川に解き放ったかのような瑞々しさを噛み締める。
阿波九条葱、美味いでしょう? 京都の九条葱と種はいっしょなんですけど、育ち方がまるで違うんです。土壌で育つ京都のものとは違って、これは海っぱたの砂地で育つんです。海水からのミネラルが入るのと同時に、葱は潮からのストレスを感じることによって、旨味や栄養を蓄える。「ここじゃあ冬を越せない」って思うんでしょうね(笑)。もちろん値段は京都産が日本一ですけど、味は負けていないと思います。関西圏でお手頃で使いやすい葱となると、断然徳島産だと思いますね。
店とすだちは運命共同体です
そんな後藤さんが「今後はすだちパッチョに並ぶ店の看板メニューにしたい」と語るのが、「すだち炒め」。阿波すだち鶏のはらみの醤油漬けを、小ぶりのすだちの粗切りといっしょに炒めた逸品だ。


すだちに火を通すっていうのは珍しいと思います。やりすぎたらベチャベチャになるし、難しいんですけどね。でも、すだちの皮や果肉をいっしょ食べてもらうことで、肉の旨味に酸味とほろ苦さが加わって、酒飲みにはたまらない風味になってると思います。ちっか場では「阿波すだち鶏のもも焼き」がよく出るので、こっちでははらみとかせせりを使えればと思ってます。
「阿波すだち鶏」というのは、餌にすだちの皮を混ぜて育てた鶏のことです。ブロイラーにしては格段に旨いと思いますね。鶏は病気にならないように餌に抗生物質を混ぜることが多いんですけど、すだちの皮には抗菌作用があるので、薬を極力減らすことができるんですね。ほかの鶏と食べ比べたときにいちばんわかりやすいのが、噛みちぎる旨さ。白レバーというものがとれないほどに脂が少ないから、皮の臭みもまったくない。健康に引き締まった、水泳選手みたいな鶏なんです(笑)。

この後、干し海老の出汁でいただく半田そうめんで締めつつ、最後に温かい阿波晩茶をいただいて、この日はお開き。満腹だが、徳島素材の清冽な味わいに、身体は浄化されたように感じる。すだちしかり、阿波九条葱しかり、阿波すだち鶏しかり、後藤さんの料理は、食材の魅力に「つくらされた」ものが多いのだろう。いわば、酒飲みのための徳島物産展、もしくは酒が飲め過ぎるアンテナ・ショップ……。
そうです。徳島の食材を出していく店。ただそれだけです。これほど素材がすばらしいと、たいしたアレンジができるとは思えないんですよ。肉も魚も塩をふるだけ。あとは薄口醤油ぐらい。自分の腕よりも素材のよさを推していきたい。それだけの価値がある素材なんです。だから、素材と店とは運命共同体ですよ。すだちがなくなったら営業できない。あとは、宅急便がなくなったらヤバいですね(笑)。野菜から乾物から練り物から、週に10便ぐらいきますから、送料との戦いです(笑)。でも、そのリスクをしょってでも、自分は徳島の素材でやりたいんです。店を始めた当初は、うちのおかあちゃんが野菜を集めてくれていたし、今では親父も家の菜園でいろいろ育てては送ってくれるようになったし……まぁ、うちの親父はあくまで「孫のため」っていってますけどね。余ったものを店で使えと。
今どきこんなにもわかりやすい照れ隠しがあるだろうか。昭和の名優の訃報が相次いだこの年末、いぶし銀の親父像にカウンターが和む。
そう! 徳島県人はシャイな人が多いというか、とにかく自分を出すのがへた。アピールがへたなんですよ。実際、関東ではすだちよりもかぼすのほうが知名度がありますよね。そういう状況を少しでも改善していくのも自分の役目だと思ってます。すだちのゆるキャラ「すだちくん」も、こう見えて20歳。こんな顔して笑ってますけど、だいぶ辛いと思うんです(笑)。これまで徳島という土地に助けてもらったぶん、これからは自分が頑張っていかないと。


名西酒蔵
東京都世田谷区三軒茶屋2-10-10 1F
03-5430-1010
営業時間:19:00~26:00
不定休
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