あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。
ヒトトヒトサラ06 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 / 2014.09.24 横浜市都筑区牛久保町「Bar Picnic」石川和男さんの「焚き火」
横浜市営地下鉄・中川駅から徒歩15分(高台の住宅街につき遭難注意!)、もしくは東急田園都市線・鷺沼駅からタクシーでワンメーター(ただし立体交差する地形によりカーナビがきかない!)。めざすは造園業者「皆川園」の入り口だ。
そこに小さく「Bar Picnic」の看板が並んでいるのだが、そこからは漆黒の細道を歩くことになる。街灯もなく、舗装もなく、隣の男性に好意を寄せる女性ですら途中で逃げ戻ってしまうかもしれない最難関。しかしゴールはもうすぐだ。
突如目の前に浮かび上がるのは、琥珀色の光に包まれたログハウス。竹薮と星空を背景に、辺境BAR好きの聖地が出現する。ウイスキーやカクテル、自家製サンドイッチの美味しさはもちろんのこと、マスター石川和男さんの温かな笑顔は、この非現実な空間を、子どもの頃によく遊び、どこよりも肌に馴染んだ「別荘」のようにも思わせてくれる。
今回は「ヒトサラ」改め「ヒトカン」。ドラムカンに焼べられた薪の火に目を細めながら、開業までのさまざまなエピソード、カウンターを満たす人生哲学をお聞きした。

八王子の銘店「The BAR」での実践修行
僕は30歳までオンワードオークスにいたんです。オンワード樫山の実業団チームでアメフトをやっていたんですね。アメフトで日本一になるというのは学生時代からの夢で、それを叶えることしか頭になかったので、オンワードがどんな会社かというのも知らなかったです。いざ入社してから「洋服だったのかぁ、あんまり興味ないなぁ」ってね(笑)。当時は練習と仕事を交互にするような生活で、お酒を飲む時間はほとんどなかったんですけど、春と秋に90日ずつ、年間3ヵ月のオフがあって、その時期だけは毎日朝まで飲むんです。残りの9ヵ月で溜まったお金をガンガン遣って(笑)。あと、応援販売を任された際、「人と話しながら物を売る」という経験自体はすごく楽しめたんです。つまりは、お酒が好きで、お話も好き。そうなると、おのずと引退後の身の振り方は決まってきますよね(笑)。
石川さんの目の前に開けていたのは、BAR経営への獣道。30歳を過ぎての飲食業デビュー、決して早いとはいえない。
最初は飛び込みです。好きなBARを廻っては断られるの繰り返しでした。でも、あるとき銀座で僕と同い歳のオーナーに出会うんです。彼は「その歳からやるんだ~、無謀だね~」と興味をもってくれて、「時給900円でよければ」と雇ってくれたんです。それが最初ですね。それまではアメフト一色でしたけど、お酒と深く関わることで、心から尊敬できる人たちにも出会えたし、そのたびに自分を成長させることができたと思ってます。
印象に残ってるのは八王子の店です。「The BAR」というオーセンティックの店で、鈴木さんという有名なバーテンダーがカウンターに立たれていた。すごく美味しいお酒を出してくださる銘店でしたね。もちろん最初は断られました。でもしつこく通っていたら、「じゃあ明日からお掃除にきなさい。そしたら毎日10分ぐらいお話してあげるから」と言ってもらえたんです。僕が掃除を済ませると、マスターは白いタキシードに着替えて、掃除のお礼にと、毎日1杯ずつ飲ませてくれるんです。話は氷の切り方とか、フルーツの見分け方、お酒にはまったく関係のない話の日もあるんですけど、そのすべてが勉強になりました。バーテンダーってこういうことなんだ、というのが、話の隅々から伝わってくるんです。

先人の振る舞いや息づかい。経営教材やカクテル・ハンドブックのような本では決して学ぶことのできない阿吽の呼吸こそが、なによりの刺激となった。そんな実践修行が2ヵ月続いたある日、石川さんは、「もう教えることはない」と伝えられる。


最後の日のことは忘れられません。いつも通りの時間にお店に着いたら、掃除は全部終わっていて、マスターもタキシードを着ている。最初は時間を間違えたのかと焦りましたけど、鈴木さんは「いつも10分ぐらいしかお話できないでいたから、最後の日はゆっくりお話しましょう」と僕のために準備してくれていたんです。バーテンダーの勉強には終わりがなくて、「死ぬその瞬間までが勉強なんだよ」というお話もされていたから、あとは自分なりの道を歩みなさい、ということだったんでしょうね。お店に必要なのは、まず衛生、自分にできる最高のものを出そうという努力、そしていちばん大切なのは優しさであって、「バーテンダーはBARの中でいちばん優しい人間じゃなくちゃいけない。人生に悩んだ人が、最後に相談できる相手にならなきゃいけない」と話されてましたね。「きみにはそれができるから大丈夫」とも言っていただきました。僕にとっての大切な言葉です。
コイントスで決まったオーナの座
そのあと大学時代の先輩に誘われて新横浜に大箱を出したこともありましたけど、BARに対する価値観や想いが一致していない人と働くのは難しかったですね。思うように売り上げが伸びない苛立ちもあったせいで、せっかくきてくれた後輩を邪険に扱ったりする先輩を見て、最後は喧嘩になってしまって……。結局その店は1年半で閉店してしまいました。
そこで僕を拾ってくれたのが、バブルオーバー(横浜市青葉区のアメリカ料理の名店)の社長、鮫嶋さん。新横浜の店で働いているとき、たくさん相談に乗っていただいた経緯もあって、お世話になることになったんです。この店(Bar Picnic)の前のオーナーだった橋本さんと出会えたのもこの時期で、当時の橋本さんはここでインディアン・ジュエリーをつくりながらBARをされていて、僕もよく仕事のあとに遊びにきては、朝まで飲ませてもらっていたんです。Bar Picnicの始まりは、僕がバブルオーバーで働き始めて7年目の頃です。橋本さんが「僕は福生の路面店に移るから、この場所は石川くんにやってもらいたいんだ」と誘ってくれたんです。正直、すごく惹かれました。ただ、僕は鮫嶋さんに恩があったし、最初は断っていたんです。それでも橋本さんは何度も声をかけてくださって、最後は鮫嶋さんも、「石川くんに後悔させたくないから」と僕を送り出してくれたんです……。
ただ、そこからもうひと波乱あるんです。橋本さんが「実はもうひとり、ここを継ぎたいという人がいて、彼は仕事の関係もあるから断れない。石川くんから説得してくれないかな?」って(笑)。僕がそんなことできるわけないですよね(笑)。
すぐ目の前に開けた、BARオーナーへの道。しかし相手に引く意思はなく、平行線の交渉に、時間ばかりが過ぎてゆく。



で、思いついたのがコイントス(笑)。実際に話してみて、相手はすごくいい人だとわかりましたし、もしその人が僕の代わりにオーナーになったとしても、僕は客として飲みに通えると思えたので、だったらなるべく後腐れのない方法で決めたほうがいいと思ったんです。
結果はすでにわかっているのだが、それでもハラハラとさせられる。人生にたった一度、あるかないかの劇的なプロット。往年のギャング映画のような展開に、あたりの虫の声が一瞬やんだ…、ような気がした。
男の人生にはそういう瞬間も必要なんですよ。橋本さんも、あんなに僕にやってほしいと言っていたのに、「コイントス! いいねぇ! じゃあ当日までに1ドル銀貨をピカピカに磨いておくから!」って楽しんじゃって(笑)。相手は「人生を左右する大事な岐路をそんな遊びみたいなことで決められない」って渋っていたんですけどね。
勝負の当日は、噂が噂を呼んで、集まったギャラリーを外に出すのが大変だったぐらいです。僕はポケットに「先:表 / 後:裏」って書いた紙を忍ばせていきました。なんの遺恨も残したくなかったから、先に店に着いていたほうが「表」というルールをもっていったんです。あの日は不思議な気持ちでしたね。僕は先にきていた相手の背中を見た瞬間、「あぁ、今日で僕に決まるんだ」とわかってしまったんです。
テーブルに転がったコインは、やはり裏だった。

その瞬間に感じたのは、なにかを必死になって奪おうとか、手にしようとすると、それは逃げていくということ。人生には大きな流れというものがあって、ときにはその流れに身を委ねて逆らわないことも必要なんだということ。さっきもお話したように、僕はオーナーになれなくても諦められた。だから勝てたと思うんです。
ひとりで悩んでる人、苦しんでる人には、そういう自分の体験を話すこともあります。どこかの自己啓発本みたいなことじゃなく、僕が実際に体験した事実に関しては、真実を話せますから。
そろそろ陽が暮れてきた。名物のサンドイッチやビーフジャーキーをオーダーしつつ、今回のヒトサラならぬ「ヒトカン」=焚き火も用意してもらうことにしよう。


フードのテーマは、なるべくお客さんを待たせることがないもの。品数は少なくても、仕込みの段階で、自分が隅々まで手をかけられるものを出しています。基本的にはひとりでやろうと決めていたので、営業時間中はなるべくカウンターを離れないで済むように考えています。バブルオーバーの同僚がレシピを渡してくれたりもしたんですけど、舌は十分に鍛えさせてもらいましたし、それは受け取りませんでした。そのくせネットのレシピは参考にしたりしましたけど(笑)。
サンドイッチは、コンビーフ、スモークサーモン、チキン&チーズ、パストラミなんかをローテーションでつくってます。スモークサーモンは丸ごとのサーモンを自分で燻したもの。パティは黒毛和牛のブロックを叩くところからやってます。ケチャップもマスタードも自家製ですね。人気はコンビーフです。常連さんに「そろそろあれ食べたい」と頼まれてつくるんですけど、仕込むのに2週間ぐらいかかるので、タイミングがあわないと食べてもらえません(笑)。
サンドイッチというのは手をかけたぶんだけ美味しくなる料理なんです。具材のバランスと、重ねる順番。それが実際に目に見えて、味にも反映されるのがすごくおもしろい。逆に、パンに関しては、主張のないものにこだわってます。いろんな具材を、手を汚さずに食べるためのものという考え方です。知り合いのパン屋さんに今の言葉をそのまま話してつくってもらってるんですけど、失礼な話ではありますよね(笑)。


パチパチと音を立て、だんだんと大きくなる火を眺めながら、大口で頬張るサンドイッチ。そしてそれを流し込むビールやソーダの旨さたるや。店内からは、常連客が叩き出したジャンベの音も聴こえる。

頼まれればハンモックだって吊るしてあげます。みんな、子どもの頃からの夢だったと思うんですけど、実際には、ハンモックに揺られたことのない方、多いんですよね。天体望遠鏡を外に出してもらってもいいですよ。望遠鏡に気づいたお客さんに「もしかして星が見えるんですか?」って驚かれたことがあるんですけど、星はずっと前からそこにあるんだから、見えないわけはないでしょうって(笑)。
火、星、手の皮を熱くする打楽器の感触。人間はことのほかシンプルなことが楽しいのだと再確認させられる。
大人って、中身は子どもの頃から変わってませんよね。子どもの頃、大人たちは遠い存在だったけど、いざ大人になってみると、中学高校の頃からそこまで成長していないということに気づく。でも、大人には、周囲に対して大人ぶってなきゃいけない事情というのがあるんです。だからこそ、この場所では自由に過ごしてほしいと思います。焚き火にしても、僕は最初の準備だけしてあげるから、あとは好き勝手に楽しんでくれればいいんです。ここでやっちゃいけないのは喧嘩。僕はそこしか注意しません。アスファルトの部分まで出てくれるなら、ビールかけをやってもらってもいい(笑)。カウンターから眺めて、つくづくすごいことになってるなぁ…と思う日もありますよ(笑)。
不浄場ならぬ、浄化の場。こだわりのトイレ
酔いが廻るにつれ、高い天井はさらに高くなり、壁の木目は笑いかけてくる。時代感覚を麻痺させるインテリアにせよ、さまざまな小物のレイアウトにせよ、ここには客の夢を覚まさせる要素というのがひとつもないのだ。
人間って、無意識に「心地いいか/心地よくないか」を感じてしまう動物だと思うんですよ。クーラーよりも扇風機、扇風機よりも自然の風が心地いいみたいなことから、本当に感覚的なこと……たとえばボトルの並べ方、その直線と曲線のバランスから醸し出される心地よさというのもあるので、お店側の人間は、そこを意識的に調整してあげたいと思うんです。ボトルの順番を並べ替えてニヤニヤなんてことはしょっちゅうやってますよ(笑)。
「内装へのこだわりに関しては、自分でも気持ち悪いほどに潔癖。そこが5ミリずれてるだけでカッコ悪くなる部分というのもたくさんあるので……」と石川さん。そしてそのこだわりは、トイレにまで及ぶ。「不浄場」という言葉の通り、忌み嫌われてきたこの場所だが、Bar Picnicのそれは、むしろ心を浄化してくれる、「心地よさ」の心臓部。誰もがうっとりとした表情でテーブルへと戻ってくる。
トイレは完成するまで1年半かかりました。最初にあったものは工事現場の仮設トイレみたいなものだったので、そこでお客さんの「心地よさ」が途切れてしまうというのがどうしても嫌だったんです。毎月の借金を返済しながら、少しずつトイレ貯金をしました。最初の2年で40万円溜めて、それだけあればなんとかなると思ったんですけど、全然足りなかった(笑)。知り合い価格でも200万はかかると言われて、自分でやることにしたんです。毎日の営業と仕込みに追われての作業ですから、常連さんや友だちが手伝ってくれたとはいえ、最初の1年はコンクリの基礎と配管と柱だけでした。そこから「毎日クギ1本でも進める!」と奮起して、なんとか完成させることができたんです。完成した日のことはよく覚えてますよ。土曜日の最後のお客さんをお見送りしたあとに、仲間たちに手伝ってもらって、最後の配管をつなげた。できたのは夕方です。みんなが「最初に石川さんが使いなよ」と言ってくれて、初めて水が流れたときは、涙も流れました(笑)。水が流れるだけでこんなにうれしいのかって。
今回の取材では、あえてトイレの写真は撮影していない。また、そのディティールを文字で説明することもしないが、豪放な自然と清潔感が同居した、癒しのパライソだということは記しておきたい。
夢の本質をサポートするのは、語りすぎないこと。確かにアクセスは不便だが、まずは実際に訪れてもらい、ぜひともこの甘い秘密を多くの人に共有してほしいと思う。
はい、「道」に迷ったらいつでも電話してきてください。


Bar Picnic
神奈川県横浜市都筑区牛久保町1853-3
045-911-8224
営業時間:19:00~27:00
定休日:日曜日
http://bar-picnic.com/index.htm
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