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メンターについてゆく

カレーにラーメン、蕎麦やスウィーツ
それぞれのメンター(師匠)たち。
その深い愛情と探究心ゆえ、あらゆる名店を
食べ歩き、ついには偏愛の書までを上梓する
彼らの「もっとも熱いヒトサラ」とは?
頭もお腹も満たされる、いいとこどりの贅沢時間です。

メンターについてゆく06(後編) / TEXT:本間裕子 PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:藤田めぐみ / 2015.04.28 ツレヅレハナコさんと新宿区牛込柳町「つず久」の「卵焼き」

飲み歩き&家飲みのメンターであるツレヅレハナコさんをゲストに迎えたインタビューの後編は、大江戸線牛込柳町駅から徒歩1分の老舗居酒屋、「つず久」にて。
開店前に訪れた店内のテーブルでは、近所の小学生たちがランドセルも置かずにおやつを食べながら小休憩中。そんな古きよき日本情緒があふれる名店にて、2冊目の自著となる『ツレヅレハナコのじぶん弁当』のこと、そして、「日々の料理」の心得までを教わってきました。

お弁当箱という小空間に詰め込むもの。それは大きすぎないほうがいい

『ツレヅレハナコのじぶん弁当』、この本をつくる際に心がけたのは、お弁当に対してのプレッシャーやハードルを極力下げるということなんです。お弁当の本って本当にたくさん出てると思うんですけど、自分を含めた30~40代の働く女性がつくる、リアルなお弁当のための本というのがあまりないような気がしたんですね。たとえば週末に自宅で食べるお昼というのは、冷蔵庫の掃除を兼ねた肉野菜炒めとか、冷凍してあったごはん、そこにパックの納豆なんかで済ませる人が多いはずですよね。ただ、それを会社に持っていく、上司や同僚に見られるとなると、最低5品は入ってないと寂しいとか、栄養バランスや彩りが整っていないと恥ずかしいとかで、とたんにハードルが高くなってしまう。それだと毎朝の負担も大変だし、お弁当箱という小さな空間に詰め込むものが大きすぎるなって思うんです。

忙しい仕事終わりにインタビューに応じてくださったハナコさん(写真奥)。「労働後の1杯はサイコー!」とのことで、まずは生ビールで乾杯!
枝豆の緑も鮮やかなお通しのおから。しっとりと具沢山。 ビールのあとは、ぬる燗をゆるゆると。 定番メニューのポテトサラダ。リンゴの甘みと揚げ玉の香ばしさも技アリ。

 ハナコさんが伝えるのは、あくまで普段着のお弁当の愉しみであり、早起きの調理による重圧からの解放。しかし『~じぶん弁当』には、いわゆる手抜き料理や時短調理ばかりが並んでいるわけではない。そこには「1回1回の食事はどれも等しく貴重な体験」と語るハナコさんならではの「食いしん坊イズム」が逞しく脈打っているのだ。

 わたしは本当に食い意地が張っているので、「これなら自分でもつくれるのに……」みたいなパスタランチを食べるほど悔しいことはなくて、そんな気持ちがこの本をつくらせたともいえますね。前回、「ほんの5ミリくらいでいいから想像の斜め上をいくものを体験させてくれる味」を求めているという話をしましたけど、そこには満たない平凡なランチに1000円も払うぐらいなら、家にあるものを適当に詰めちゃったほうがいいかなって。そういう意地汚さがわたしに日々のお弁当をつくらせているんです(笑)。だから、お弁当のためだけにわざわざ食材を買い足すということはしたくないし、できれば冷蔵庫にあるものでアレンジしたい。とはいえやっぱり美味しいものを食べたいし、身体にいいほうがうれしいから、それをうまいこと続けていくにはどうすればいいか。たとえば「ざっくり卵焼き」や「ナンプラーピーマン」といった料理はすごく簡単につくれるけれど、きちんと美味しい。冷めても美味しい。『~じぶん弁当』はそういう実例を背伸びすることなく綴った本なんです。
 あと、お弁当をつくるということは、胃袋と財布の調整でもありますよね。食事って毎日のことだから、どこかで調整していかないと、体調を崩したり、お金がなくなったり、太ってしまったり、なにかしらの「ひずみ」が出てきてしまう。なおかつそういうひずみは「たまの贅沢」をも圧迫してしまうもので、食生活全体にも響いてきますよね。その調整をどこでどうするのかというのは人それぞれだと思いますけど、わたしには「お弁当」というのがちょうどよかったんです。

『ツレヅレハナコのじぶん弁当』(小学館)。写真右下は密閉容器に入れた豚汁、そしてパックの納豆をあわせた「汁ものバンザイ弁当」のページ。確かにこれなら二日酔いの朝でも用意できてしまう!

身銭を切ってプロの味に触れる。それこそが料理上手への近道です

 そんなハナコさんが今回案内してくれたのは、牛込柳町の大衆居酒屋、「つず久」。新潟生まれの店主・樋口作三さんが旬の味を引き出したおばんざいや炭火焼がたまらなく美味しく、「外食は家飯を充実させるためのアイデアソース」と語るハナコさんのお気に入りだ。

通路を挟んだカウンターとふたりがけの小上がりが4卓の店内。ハナコさんはひとり入り口近くのカウンターに座ることが多いとのこと。
旬の食材を使った日替わりメニューのため、開店前の恒例となっているお品書き。「名前が無い」や「中村晃子」など、読解にはかなりの柔らか脳が必要となる珍メニューも多数。話好きのマスターにその由来を訊けば、こうしたユーモアのひとつひとつが大切なコミュニケーション・ツールになっていることがわかるはず。

 ここはひとり飲みにも最適なお店ですね。旬の野菜やお魚を少しずつ食べられるのもうれしいし、マスターや女将さんとの距離感も心地よくて、ついつい長居しちゃいます。

店主の樋口作三さん。一流の料理人にして心優しきムードメーカーでもある。

 聞けばハナコさん、以前に比べれば落ち着いてはいるものの、今でも毎月6ケタ(!)ぐらいの外食は続けているそうで。

 やっぱり身銭を切ってプロのつくったものを食べないと、料理は上手くならないと思います。料理を生業としているプロのレシピというのは強度が全然違うんですよね。
 今はネットの投稿型レシピなど無料で手に入る情報も増えましたけど、そういう「素人の味」に慣れてしまうというのも怖いことだと思ってます。料理上手になりたいのであれば、まずはきちんとした料理本にお金を払って、そこにあるレシピ通りにつくってみて、調味料の組み合わせや配合、火入れのタイミングといった基本というのを、舌と身体に染み込ませることが大切だと思います。やっぱり基本ができてからこその自分の味ですからね。
 おすすめの料理本ですか? 日々のおかずを学ぶなら、重信初江先生や大庭英子先生のレシピが参考になると思います。調味料も食材もすべて近所のスーパーや八百屋さんで手に入るものしか使っていないのに、本当に毎日の食卓が豊かになるというか、そういうヒントがたくさん詰まっているんです。なおかつ絶対に失敗しない。プロの料理家さんのことは本当に尊敬しています。

ぬる燗の美味しさに誘われ刺盛りも注文。銀座の某高級店と同じものを半額以下で提供しているというマグロやシコシコとした歯触りの平貝など、どれもが鮮烈。「ここのお刺身は大根や大葉のツマまでをきちんと食べさせたいという心意気にあふれてますよね。いろいろと入って1人前1500円~という値段設定もたまりません」とハナコさん。(写真は2人前)

 飽くなき食への探究心はプロからも一目置かれ、料理家からの人望も厚い。ときおりハナコさんのInstagramでその様子が公開されているホームパーティには、料理好きのお友だちに混ざり、著名な料理家も多数参加。「雑誌の企画ですか?」と思わずツッコミを入れたくなるような豪華メンバーに、神々の酒宴を覗き見しているような感覚すら覚える。

 ホームパーティの神さまには確実に恵まれていますね。もともと「この人とこの人を引き合わせたら面白いことになるだろうな」というのを実現させるのが好きなんですよ。そういう縁というのは喫茶店よりも自宅、珈琲よりも美味しいお酒があったほうが深まりやすいですし、化学反応も生まれやすい。人と人を繋げる/繋げてもらう場として、「ホムパ」というのはすごく優れていると思います。
 そんなときは本当にたくさん飲みます(笑)。ワインなら、ひとり1~2本は空いちゃいますね。あとで写真を見返すと、飲んだことすら覚えていない希少なものがなくなっていることもたびたびあって、気になるものは最初のうちに飲んどかないと、と反省したりも(笑)。
 あとは手土産や差し入れのドキドキ感も大きな楽しみのひとつですね。教わることがたくさんありますし、最近はこれまでまったく興味がなかったスイーツまでを好きになりそうなんです。これまでは「どうやら〈オーボンヴュータン〉っていうところが美味しいらしい」ぐらいの知識しかなかったのに、たとえばwagashi asobiの「ドライフルーツの羊羹」とか、お酒といっしょに楽しめる大人なスイーツを教わるようになって、ちょっと恐れてます(笑)。……ただ、みんながみんなホムパ慣れしているわけではないので、もし手土産に困っている人がいたら、はっきりと「◯◯で△△を買ってきてね」とリクエストするようにもしています。かぶったりしてしまうのはもったいないですし、そんな些細なことでその人が楽しめなくなるのはおかしいですから。

炭火でじっくりと焼き上げられる野菜の力強さ。この日はタケノコとそら豆に悶絶。

「卵焼き」のベスト・オブ・ベスト!残ったぶんは持ち帰らせていただきます

 ここでインタビューの様子を気にかけつつ着々と料理を準備してくれていた樋口さんが、絶妙のタイミングで「卵焼き」を持って登場。満面の笑みでハナコさんの両手に手渡す。これこそが今回のヒトサラであり、前編の「オレンジ玉子のカルボナーラ」に続いての卵メニューである。

貧しかった幼少期に兄弟3人でひとつの目玉焼きを分けていたという樋口さん。そこからこんな贅沢極まりない卵焼きをつくってみたくなったのだそう。
「もしも卵に生まれ変わるならこう調理されたい!」と思わせる、極厚の卵焼き。湯気とともに多幸感が迫りくる!

 前回の「大槻」でもわたしの卵愛をたっぷりと話らせてもらいましたけど、卵焼きならこのお店のがベスト・オブ・ベストですね。Lサイズの全卵5個を使った極厚の出汁巻きに、たっぷりの長ネギといくら。この塩気と甘みのバランス。「これで500円って大丈夫?」と心配になりつつ、ひとりでも必ずオーダーして、残ったぶんは持ち帰らせていただいています。翌朝のお弁当をつくる際、「あ、今日はつず久の卵焼きがあるんだ!」と思い出す瞬間までもが最高に幸せなメニューなんです(笑)。

 もちろん『~じぶん弁当』でも卵を主役級の存在感で大フィーチャーしてます。目玉焼き、ゆで卵、卵焼きのつくり方を紹介する「カンペキ卵レッスン」というページがあったり……あ、そういえば『女ひとりの夜つまみ』も『~じぶん弁当』も、目印は表紙の目玉焼きなんですよ。狙ったわけではないので、あとあと符号に気づいたときは自分でも驚きました(笑)。

日本酒がぐいぐい進んでしまう潮引き鮭。大口厳禁のハードすぎる塩気をチビチビモクモクと楽しむうち、「鮭・酒・自分」の小宇宙に迷い込んでしまう。

 そして、つず久を訪れたなら絶対に外せないもうひとつのメニューが、樋口さん考案の「わさびめし」だ。これは釜で炊かれたツヤツヤの越後米に、おろしたての「えぞわさび」と醤油を混ぜ合わせ、刻み海苔をまぶしていただく名物メニュー。目の前には卵焼きも潮引き鮭も残っているし、ここから『~じぶん弁当』の主題でもある「ごはんとおかずの幸福な関係」を話してくださると思いきや、わざびめしは堂々の一品料理として完結。むしろ日本酒を追加させる。

 実はわたしも「お酒がすすむ炭水化物があるよ」と友人に連れてきてもらったのが最初なんです。咳き込みながら、涙を流しながらモリモリと食べる美味しさに感動しましたね!

山芋のようなルックスのえぞわさび。とくにおろしたては鼻っ柱を殴られたかのような刺激を誇り、樋口さんの「おかわり自由だからね! 死んだ人はいないから大丈夫!」の笑い声が、遥か彼方に聞こえるほどだ。
ザッと醤油を回しがけ、お米にわさびを押し込むように混ぜていく。この時点で相当に目が痛い。
刻み海苔をかけ完成。ここはあえて豪快にかきこむことで美味しさも涙も倍増! テーブルは一気にグランド・フィナーレへ!

 辛いけど甘くて本当に美味しいですよね。もともとはマスターが「いかに安くお腹いっぱいになるか」という発想でつくった賄いだったみたいなんですけど、こんなに美味しくて、こんなに泣ける締めというのも珍しい(笑)。マスターも「そんなにかきこんで食べたらむせちゃうよ」と注意してくれるのに、むせなかったら少し残念そうにしていたり(笑)。あと、このメニューを咳き込みながら食べて、刻み海苔が床に脱いだ靴の中にまで吹き飛んで、それを奥さんに見つかって、ひとりでここにきたのがバレちゃった人がいる、なんて逸話も聞いたことがあります(笑)。

 笑いと涙のうちに、そろそろ取材も終了の時刻。開店と同時に常連客で賑わってきたのも理由のひとつだが、わさびめしの刺激に脳みそがホワイトアウト。強制終了となったというのもまた真実。デザートのバナナを涙目で見つめながら、最後に今後の豊富を語ってもらった。

 今度は旅の本を出せたらいいなと思っています。立て続けに2冊の本を出させていただいたので、ちょっと休憩したい気持ちもありますけど、昔から旅行先で料理教室にいったり、家庭料理を教えてもらうのが大好きで、それをかれこれ20年ぐらい前から続けているので、かなりのネタが溜まっているんです。当時のメモ書きなんかを見返すと、その熱量に自分でも呆れるぐらいなんですよ。当時は本を出す予定なんてまるでなかったのに、この人の食への執着って本当にすごいんだなぁって(笑)。

つず久 東京都新宿区市ヶ谷柳町8
03-3268-6467
営業時間:17:00~24:00
定休日:日曜日

ツレヅレハナコ Tsurezure Hanako
2004年5月より食をテーマにしたホームページ「ツレヅレハナコ」を開設(現在はブログに移行)。以降、100万VIEW超えのブログ、ツイッター、インスタグラムなどで個人目線の食情報を紹介し続けている。著書に『女ひとりの夜つまみ』(幻冬舎)、『ツレヅレハナコのじぶん弁当』(小学館)。また、『月刊! スピリッツ』(小学館)で連載中の『みつめさんは今日も完食』(漫画・山崎童々)の原案を務める。

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