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千円札の骨董商

奈良を拠点に全国を駆け回る若手骨董商、
中上修作によるビギナーのための骨董案内。
ただし買いつけ予算は◯千円。
札束をふりかざすことなく
毎夜の伴侶を射止める秘訣、
滋味深き酒器の愉しみを綴ります。

千円冊の骨董商05 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:元永彩子 / 2015.5.31 「古美術 中上」中上修作さんと京都府京都市東山区「ユキフラン佐藤」

「くれぐれも予算は1万円以下でお願いします! 僕ら素人を置いてきぼりにするものはダメですよ!」という縛りを設け、奈良を拠点に全国を駆け回る骨董商・中上修作さんを案内役に、「酒器」の快事を追い求めてきたこの連載。今回は特別編として、中上さん自身への取材を敢行してみた。
舞台は京都。老舗骨董店がひしめく祇園新橋通花見小路に居を構える「ユキフラン佐藤」であり、ここもまた、酒器や器にこだわりを持つ店主、佐藤功一さんの城である。
聞けば、両名ともに若き日は建築美術に魅せられ、学生ならではの逡巡を経て現在の道=生涯の愉しみを見つけたという、決して僕らと遠からずな「若手」であり、貴方や貴女が過去に一度でも、モノに対しフェティッシュな愛情を抱いたことのもある人であれば(それはヴィンテージのレコードやジーンズ、はたまたドールハウスでも)、共感できることは少なくない。
 話は料理と酒器、そこに共通する、日本人ならではの喜びのことから。

逢魔時の京都駅前。これから愛でる骨董は、1959年建立の京都タワーよりも遥かに年齢を重ねている。

真冬にガラスは寒いから、土のものがいい。料理に着せる「着物」には、四季の移ろいを込めて

今回はインタヴューイに徹していただいた中上修作さん。「古美術 中上」のサイトはこちら 佐藤功一さん。「骨董は学生の頃から好きでしたね。南青山のあたりとかは怖くて覗けなかったですけど、西荻窪とかは親しみやすいお店が多かった。もちろん友だちとは話が合わないですよ。合うわけがない(笑)」

中上 酒器や器の楽しみというのは日本人が一番味わいやすいと思います。それは、僕らが「四季のある国」に生きているからですね。骨董に詳しい人じゃなくても(北大路)魯山人の名前は聞いたことがありますよね? あの人は最初から天才陶芸家だったわけではなくて、いい器が欲しいけど、高くて手が出ないから自分で焼き始めたという経緯があって、そんな彼の言葉に、「器は料理の着物」というのがあるんです。つまり、いい器というのは100点の料理を120点とか200点にまで引き上げてくれるし、それが器のあるべき姿だという信念ですね。
 さらに、日本料理といえば旬の味を大切にしたものが主流なので、そこに着せる「着物」に関しても季節ごとの楽しみが生まれる。真冬にガラスは少し寒いから、土のものを使うとか。もちろん逆もしかりで。それが外国だと、すべて白いプレートでまかなってしまうこともあるわけで。
佐藤 やっぱり骨董も実際に使ったほうが楽しいですよ。料理人としても、いい器を使えるというのはすごく幸せなことです。
中上 もちろんこの連載のテーマである「酒器」に関してもそう。自分の手にどう馴染むのか、口あたりはどうなのかというのを含めて楽しむのがいいと思います。

「ユキフラン佐藤」の店内。席数をカウンターの8席のみに絞り、ゆったりとした居心地と華やかな調理の臨場感を共存させている。

 こんな話をしながら、ゆっくりと料理の準備を整える佐藤さん。「ユキフラン佐藤」にはメニューがなく、茶会席をベースにした艶やかな味覚を、最低でも2時間、ときには5時間ほどをかけ提供してゆくというスタイルだ(今回は限られた時間での取材のためコースは短縮していただいた)。また、中上さんには愛用の酒器を持参していただいたため、薄墨色のカウンターには、少しずつ色が挿されて──。

佐藤 まだ開店前なので、もう少し時間をくださいね。まずはここから箸置きを選んでください。……あ、それ、実は耳かきなんですよ(笑)。もともとは在日米軍のお土産用につくられた工芸品で、素材はべっ甲。こういう、格があるのかないのかわからないものというのも面白いと思って、天神さん(京都・北野天満宮の骨董市「天神市」)で買い求めました。
中上 いいですねぇ。女体で耳をかく、みたいな(笑)。俺が買わずに誰が買う!って気持ちにさせられますね。

佐藤 かなり高かったんですけど、ここでは箸置きとして使ってます(笑)。あと、骨董というとものすごく高価なイメージもあるかと思いますけど、そればかりでもないんですよね。たとえばこれからお出しするお椀は江戸後期のもの。漆も厚く盛られているし、今、これと同じものを特注しようとすると……
中上 10万円じゃきかないでしょうね。そもそもこんなつくりをできる人はなかなかいない。
佐藤 それが骨董であれば5000円程度で買えることもあるという。
中上 ものの価値としては信じられないほどに安いですよね。

 そうして運ばれた一品目は、シャリシャリとしたセリの香味にクジラ肉の力強さ、柔らかなえび芋のバランスにうっとりとなる、椀もの。甘さの奥の細やかな塩気がたまらない乳白色の汁、そこに合わせるように、中上さんの風呂敷からは美しい「粉引杯」が取り出された。

中上 佐藤さんの店は茶懐石がベースですので、酒器は「桃山時代」というテーマで選んでみました。まずこれは小林東五の作品。現在は陶芸家を辞されていますが、これは長崎の対馬で作陶していた時期のもので、朝鮮陶磁器、いわゆる粉引杯の「写し」です。陶芸にとって重要なのは土の質。対馬の土いうのは朝鮮の土とまったく同じ質だったようで、そこからこういった作品が生まれていったんです。表面の細かなヒビは「貫乳(かんにゅう)」といって、表面を覆っている釉薬(ゆうやく/表面を覆っているガラス質)とその下の土の収縮率の差から、こういった文様が現れるんです。

「小林東五作粉引杯。これは本歌(写しの元になった骨董の粉引杯)よりも小振りで愛らしいのですが、厳しい造形感覚はさすが名手です」

 あと、桃山といえば「唐津(からつ)」の酒器は外せないですね。唐津焼は九州の佐賀県でつくられていた伊万里焼きの元になった焼き物です。これは筒杯(つつはい)といって、最初からお酒を飲むためにつくられた杯だという説と、向付(むこうづけ/懐石料理において飯椀や汁椀の〈向こう〉置かれる刺身やなますなどの料理)のためのものという説があります。

青唐津筒杯。果実が水で育つように、唐津の土は酒とともに実在感を増していく。唐津はまさに酒器界のプリンス。

 もうひとつは最近手に入れた、岐阜県の美濃地方ものです。飲み口が微妙に湾曲しているのがとてもいい。

美濃天目釉杯。口縁の下にある「くびれ」が手にフィットして、徳利が忙しい。艶でもないマットでもない、絶妙な肌に色香を感じる。
佐藤 中上さん、お酒はどうしましょう?
中上 じゃあ、この古備前(こびぜん)に注いでもらおうかな。このサイズのものって、今では誰もが徳利として使ってますけど、もともとは「振出(ふりだし)」なんです。ポルトガルから金平糖が伝来してきた時期に、それをここに移して、茶席で食べるぶんだけ振り出すためにつくられたもの。でも、お酒が好きな人ってなんでもお酒の道具にしちゃうから、それがいつのまにか徳利に昇格したという(笑)。本来徳利というのは、ドブロクしかなかった時代のものだから、少なくとも3合ぶんぐらいのサイズのものが主流だったんですね。

古備前小徳利。備前は焼き締めのため熱燗をいれても手に熱くならず、また酒が冷めにくい。また夏に冷酒をいれると肌に露がついて、涼しさが倍増する。

 たとえば韓国料理屋でマッコリを頼んでみれば、オモニは日本の徳利とは比べものにならないほどに大きく太ったものを、ドスンと置き去りにする。やはり酒器や器というのは食文化のシンボライズであり、人の都合に合わせて変容してきたものなのだ。

中上 器を古代まで遡れば、手の平とか葉っぱに行き着くんです。要は、小さな頃にお母ちゃんに台所でもらったひと切れのたくあん、それに喜ぶ両手ということですよね。

偽物というリスクがなければ人生にはならない。僕らは「知らなければわからない幸福」に関わっている

 話は「小さな頃」という言葉をきっかけに、おふたりの来し方へと流れる。

中上 子どもの頃から古いものは好きだったんです。奈良の実家にのこぎりなんかの工具をしまっておく古い蔵があったんですが、そこに1日中いるような子どもでしたね。学生になってからもその趣味というのは変わらなくて、中古レコード屋なんかでバイトしては、古い音楽や古いオーディオにハマって。
佐藤 僕はもともと美術をやりたかったんですけど、美大に通うのは断念していたから、そこに携われる大学を探していたら、建築を勉強するという手があったんです。そこからお茶の世界への興味が深まっていった。大学を卒業したあとも、建築の知識を活かしながら、お茶の空気感、なんとも居心地のいい空間を創造できる仕事はないかと探していて、そこで目が向いたのが、旅館や宿泊施設。料理の道に入ったのはそれがきっかけです。ひとまず建築はひと通り勉強したことにしておいてね(笑)。……中上さんが骨董の道に入ったきっかけというのは?
中上 実は僕も建築の勉強をしていたんですが、それよりも趣味の音楽が面白くなってしまって、レコード会社や音楽事務所、WEBをつくる会社なんかを転々としていたんです。ただ、その間もずっと「40歳になったら自分の好きなことを始めよう」と計画していたんですね。人生が80年だとして、その折り返し地点で独立しようと考えていた。コーヒーが好きなので焙煎の勉強もしましたし、個人経営のレコード屋を考えたこともります。そんなときに、ヨーロッパで古い雑貨や骨董を買いつけてきてはWEBで売りながら生計を立てている人がいることを知って。もちろんそれまでもネット通販的な商売はありましたけど、そのサイトというのがひとつのロールモデルになったんですね。幸い自分でサイトの構築はできましたし、その会社で働きながら、今の「古美術 中上」の前身となるサイトを立ち上げてみたら、手応えをつかめて。

切り干し大根、油揚げ、昆布をポン酢ともみじおろしで和えたもの。「これはお揚げさんの炙り方が絶妙ですね。器はオランダ写し、いわゆる〈京オランダ〉で、これはかわいいなぁ」と中上さん。
「自家製のからすみと、酒粕の天婦羅です。真ん中には塩漬けにしたブリを挟んでいます」と佐藤さん。塩に熟したブリと酒粕の香り、祇園の名産「黒七味」のアクセントもあり、口内調理の幸福をこれでもかと味わえる圧倒的な美味しさ。
きほどまで目の前で昆布締めにされていた鯛に、わさび菜の刺激を合わせた「鯛の昆布締め」。酒とともに食べ進めれば、最後に口中に残るのは白身の甘さであり、ここにも佐藤さんの天才的な素材の押し引きが感じられる。

 中上さんが「前身となるサイト」を立ち上げた2010年当時、すでに「WEBショップ」というのは珍しいものではなかった。そもそも「モノを売る」ことを目標にするのであれば、個人経営にこだわらずとも、日本にはYahoo!オークションも浸透していたし、海外には「ebay」という巨大なサイトがあった。しかし中上さんの扱う商品=骨董は、なにより信用が大切とされる世界。客は骨董を愛するのと同じく、中上さんのセンス、ひいては中上さんという人間自身を知るところから入るため、自らの店舗というのは必要不可欠であったという。

中上 たとえば売るものがレコードであれば、それは「複製芸術」だから、プライスガイドみたいなものもあって、わりと明確に価値が資料化されているんですが、骨董の場合はすべてが1点もの。結局は売り手のセンスを買ってもらうことになるので、顔の見えないWEBショップには限界を感じていました。自分のお店を持つと経費が固定でバンバン出ていくし、来客数ゼロなんて日もザラにあります。ただ、だからこそやりがいがあるんですよね。日々の勉強は必要ですけど、それも勉強だとは思っていないところがありますし、誇張なしに「楽しさが10割」です。自分はずっとこういうことをやりたかったんだと思えましたね。

大根に熊の肉を合わせた「熊大根」は、ネギの先端にまで透明な旨味が行き渡っている。獣臭さなどまったく感じられず、ただただ箸が進む。

 とはいえ魑魅魍魎とした骨董の世界、そもそも未経験者が「なろう」と思い立ちなれるものなのだろうか。

中上 なれます。即答です(笑)。たとえばカメラマンが自宅のプリンターで名刺をつくって、その日から「カメラマンです」と名乗ればカメラマンになれるのと同じようなことです。そこからたくさんのものを見たり、ときには直感を大切にしたりしながら、ゆっくりとやっていけばいい。ただ、それを人生にできるのかというのは難しいところですね。なにより「好き」という気持ちが持続しないことにはやっていけません。
 あと、さっき「魑魅魍魎」という言葉が出ましたけど、それは「老獪な店主」や「偽物が怖い」ということだと思うんですね。でも、骨董にとって大切なのは、偽物の存在でもあるんです。テレビなどのメディアの影響もあるのか、骨董は騙されるのが怖いというイメージがありますけど、極端な話、そういうリスクがないと人生にはならないし、目利きの楽しみもなくなるから、骨董の魅力は半減するでしょうね。
佐藤 こないだも僕、ちょっと高い授業料を払っちゃいましたね(笑)。
中上 僕だって何度も失敗してきました。あるサラリーマンの人が、週末だけ骨董商をやっているんです。その人は60歳ぐらいなんだけど、すごく人あたりがよくて、最初は確かにいいものを持ってきてくれるから、いろいろと買っていたんです。そしたらある日、「これはすごい掘り出し物です!」というものを持ってきた。そう、それが偽物だったわけです(笑)。うまく人の心のスキを突いて、最後の最後に偽物を持ってくる。出費的にはかなりの痛手ですが、それをお客さまに売るわけにはいかないですよね。
佐藤 もしそれをやったら、料理屋で腐ったものを売るようなことになりますよね。骨董も料理も責任ですよ。

中上 僕らは「知らなければわからない幸福」や「心の栄養」に関わっているので、とくに自分が扱う商品に対しては厳しくなります。
佐藤 料理でも、美味しいものの中に、さらに美味しいものがあるわけで、十把一絡げの「美味しい」の上を知ることでの幸福があるんですよね。それを知ることで、もしかしたら感動の数は減ってしまうかもしれないけど、感動の深さは増しますから。
中上 感動の深さが増せば目は肥えてくるし、自然と勉強もついてくるんです。人間誰でも好きなものに対しては詳しくなりますよね。
佐藤 中上さんはレコード、僕は洋服が好きだったから、骨董もそういうものを買う感覚に近いのかなって思います。高いなって思って終わってしまうシャツもあれば、高いけど自分が買うしかないと思えるジャケットもあって、そんなときは「品物に負けた」という高揚感とともにお金を払っている。
中上 そんなときは値段じゃなくなってきますよね。そういう意味では「値段は自分で決める」ものだと思います。「好き」という気持ちに対しての値段がある。日々、いてもたってもいられなくなるほどに欲しいものとの出会いを探し求めているんです。

次の人に渡るまでに「お金を払って預からせてもらってっている」という感覚。モノは人よりも長く生きるんです

 いてもたってもいられなくなるほどに欲しいもの。そこで、あえて訊いてみたいのは、それを手放すときの心境だ。中上さんにとっての骨董は趣味ではなく、「商(あきない)」なわけで。

中上 そこはお客さまとの共有意識です。「この人が持っていてくれるならいいかな」と思いながら送り出しています。そこにあまりシビアになっていると商売人としてはやっていけませんが(笑)、商品を右から左へ流していくような、ブローカーみたいなことはできませんね。そもそも自分が惚れ込んだ骨董は自分の分身のような存在ですから、思い入れがあるものほど信頼できるお客さんに買ってもらいたい。
 たとえばレコードの世界にも、ドーナツ盤1枚が50万円もするような、非常に高価な、世界に数枚しか現存していないような貴重盤というのがありますよね。そういうものはコレクターの間で、「いまはニューヨークの誰々が所有している」という情報とともに、ものの所在がわかっているわけです。骨董の世界もまったくいっしょで、「戦前に発掘されたあの杯はどこどこの誰々が持っている」みたいな情報というのが飛び交いますし、そういうレベルのものにお金を払う人というのは「預かり料」に対してお金を出しているんだと思うんですね。
 モノというのはきちんと保管しておけば人間よりも長く生きるものですし、次の人に渡るまでに「お金を払って預からせてもらってっている」という感覚です。中には「俺が死んだら棺桶に入れてくれ」なんて人もいるかもしれませんが、せっかく今まで生き存(ながら)えた骨董に対して、それはあまりにも無礼な行為ですし、たぶん遺族も許しませんよね(笑)。「おじいちゃん、悪いけど紙のお皿に代えさせてもらうわね」なんて(笑)。

 酔いが回るにつれ、だんだんと口に手に馴染んでゆく中上さんの酒器。「偽物」や「預かり料」の話も興味深いが、気持ちはすぐにでもこの界隈の骨董屋を巡り、新幹線で自分好みの逸品を連れて帰りたいというところまできてしまった。

注ぎ口からこぼれた1滴を、土の肌に馴染ませるように。 「金継ぎ」が施された佐藤さんの徳利。

中上 まずはひとつ買ってみる。確かにそれが骨董の魅力に気づく最短の近道です。モノに対して愛情を注げる人であれば、自分の愛用するものがだんだんと育っていく過程というのにグッとくると思うので、こうして手で酒を馴染ませながら、ゆっくりと表情が変わっていくのを楽しむというのもいいと思います。さっきの粉引杯なんかは、白い泥にお酒が染み込んでいって、だんだんと黄味がかっていくんですが、毎日飲んでも10年以上はかかるので、お酒を飲む人ほど楽しい杯とも言えます。そこまでいけばもう、ペットみたいなものですし、うっかりそれを割ってしまったとしても、金(きん)で継げばまた新しい器として蘇る。もちろん割れるということは欠点ですが、その欠点が逆転する場合があるというのも面白い。
 あと、専用の箱をつくったり、旧い布で包んだりする「仕立て」の楽しみというのもあります。酒器って場所を取らないので、日本人の趣味としてはすごく向いていると思うんです。酒器の魅力というのは、こうして「飲みながら遊べる」ということ。本当の飲兵衛はあまり面倒くさいことはしないかもしれませんけどね(笑)。

「仕立てに凝り出すと、桐箱の木目の入り方ひとつにもこだわるようにもなるので大変です。大変だから楽しいんです」と中上さん。

中上 話がずいぶんニッチなところまでいきましたけど、もしかしたら、これからの骨董というのは、よりレコードや洋服のような趣味感覚で愛でられるべきものなのかもしれませんね。今後、高齢化が進むことで、骨董の世界は危機に陥ることになるかと思います。買う人はおろか、興味のある人だってどんどん減っていく。そこになんとか抗おうとしているのが、僕らの世代の骨董商なんです。新しい目線で、新しい世代の骨董好きというのにひとりでも多く出会っていきたい。佐藤さんみたいに、実際に骨董を使って料理を出すというのもひとつの選択肢だと思いますし、そうやって信頼できるお客さんひとりひとりと知り合っていくというのは理想的ですね。


 帰り際、「実は僕の不手際から割ってしまったものがあるんです」と中上さんを引き止める佐藤さん。中上さんはすぐさま「金継ぎ」の見積もりを出し、おふたりの骨董談義はさらに加熱。確かにその横顔は、レコードや洋服、さらには「好きなクラスの女子」の話に興じる子どものような興奮と笑顔に満たされていました。

ユキフラン佐藤 京都府京都市東山区新橋通花見小路東入ル南側2軒目八百平ビル1F
電話:075-531-3778
営業時間:16:00~25:00
定休日:1日/11日/21日/31日

中上修作Shusaku Nakagami
1973年奈良生まれ。京都造形芸術大学 環境デザイン学科卒業。東京での職を経て2011年に古物のオンラインショップ、Bon Antiques(ボン・アンティークス)を開業。オンライン販売を礎としながらも、折々に企画展を全国各地で展開。2013年11月には実店舗、古美術中上を奈良国立博物館前に開店。現代の生活に適した調度品を提案している。また、大の音楽好きであり、古物商と併行しながらラジオの選曲やライナーノーツの執筆なども手がけている。
古美術 中上:nara-nakagami.com

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