奈良を拠点に全国を駆け回る若手骨董商、
中上修作によるビギナーのための骨董案内。
ただし買いつけ予算は◯千円。
札束をふりかざすことなく
毎夜の伴侶を射止める秘訣、
滋味深き酒器の愉しみを綴ります。
千円冊の骨董商04 / TEXT+PHOTO:中上修作 ILLUST:元永彩子 / 2015.4.28 愛知県名古屋市「相馬舎」
漱石さん数枚で買えてしまう酒器をターゲットに骨董屋を訪ねるという本連載。陽気が心をふわふわ溶かし、サイフの紐も緩みがちなこの季節、あえて千円札にこだわり抜くというストイシズム……。
たとえば酒屋の帰り、純米酒を片手に散歩のつもりで近所の骨董屋へ立ち寄ってみるといい。そもそも骨董の美は、価格とは無関係であるし、安くても佇まいのよい酒器は、酒の味を変え、明日も夕暮れが待ち遠しくなることだろう。骨董初心者の諸君、骨董は怖くない。少しの発見で人生は楽しくなるものだ。さぁ、勇気を振り絞って骨董屋の玄関をまたいでみよう!

今回は中京の都、名古屋に千円札の武士が降臨しました。鶴舞公園の翠(みどり)を向かいに望む、素晴らしいロケーションに店を構えるのが「相馬舎(そうまや)」店主の高橋伸夫さん。会社員の生活を数十年続けたのち、脱サラで骨董屋を始めたという親近感もあり、今日は曇りだけど、熱いトークになりそう。それでは高橋さん、よろしくお願いします!
中上 こんにちは~。
高橋 お、待っとったで。そこ(椅子)に掛けといて。コーヒーもってくるわ。
中上 ありがとうございます。今日はよろしくお願いします。

高校卒業後に就職したという会社で30年余年の勤務を経て、50歳を過ぎてから骨董店をオープン。いつも「いい表情(かお)」してる高橋さん。サラリーマン時代も充実した時間を過ごしていたはずだが、氏の骨董への興味はどのように醸成されていったのだろうか。まずはそのあたりから聞いてみよう。
中上 高橋さんのご出身は?
高橋 出身は札幌なんです。父親が転勤族で、ちょうど北海道に住んでいるときに僕が生まれたんです。でも、僕が3歳の頃、父が脳腫瘍で亡くなってしまって。
中上 あぁ、そうなんですか……。
高橋 それで母親の実家が三重県の四日市だったもんで、そこへ帰ってきたんです。母親の父、つまり僕の祖父は地元で旅館を経営していたんですが、その祖父が骨董を好きやったんですわ。今、四日市は工業地帯になっているけれども、もともとは海水浴場や砂浜もあってきれいな避暑地だったんです。旅館は海遊びをする方たちを相手にしているようなところでしたが、そこで料理をお出しする器が全部古いもの(骨董)だったんです。だから僕の家庭でも古い器で食事をするのが当たり前でした。
中上 旅館は今も四日市にあるんですか?
高橋 いや、今はもうないですね。伊勢湾台風の襲来で、地域がめちゃくちゃになってしまったんですよ。その後はこのへんも工業化が進んだので、しばらくは工事関係の方で賑わっていたらしいんですが、だんだん下火になって閉めたようです。最後のほうは僕の叔父さんが経営してたんですが、叔父も骨董が好きなんで、旅館を閉じてからも萬古焼(*1)の急須を自分で焼いたりしてますね。
中上 みなさん芸術がお好きなんですね。ところで、高橋さんが骨董に興味を持ち出したのはいつ頃のことですか?
高橋 20代くらいまではまったく興味はなかったのに30代に入ると、なぜだかこういう古いものが急に欲しくなってきてね。
中上 急に、ですか。
高橋 そう、無性に欲しくなってきてね(笑)。理由じゃなくて、お湯が沸くようにムクムクと。
中上 当時、骨董を買うのが流行っていたとか?
高橋 いや、流行ってはいなかった。やっぱり実家の食卓の風景が、心のどこかに焼きついていたんと違うかな。
中上 実家の食卓が骨董的ルーツなんですね。
高橋 そうですね。
中上 その頃、高橋さんのお仕事は?
高橋 製薬メーカーで外回り(営業)をしてました。
中上 外回りだと、いろんなところへいきますよね。
高橋 そうね、時間があれば地方の骨董屋を覗いたり……。あと、個人宅に営業するので、玄関先に骨董を飾ってあるお宅に伺ったときは、お話して少し見せていただいたりね。
中上 あ、もうその頃からウブ出し(*2)をしていらっしゃったんですか!
高橋 いやいや(笑)。それはあくまで個人の趣味としてね。あくまで目的は薬の営業なんで。会社勤めの最後のほうは担当エリアが岐阜になって、飛騨あたりではいろんないいものに出会いましたね。
*2 ウブ出し 古い個人宅などに伺い、蔵などに眠った(誰の目にも触れられてない)「初(うぶ)」な商品を買い出すこと。骨董界ではそれらの業者を「ウブ出し屋」と呼ぶ。


高橋さんは根っから骨董が好きだ。それこそ、玩具を与えられた子どものように夢中なのである。いいものに触れているとき、高橋さんは本当にうれしそうな顔をする。そのピュアな感性に、こちらまで笑顔になってしまう。
中上 高橋さんは古民藝(*3)あたりがお好きなようですが、いちばん好きなジャンルはなんですか?
高橋 やっぱり……陶磁器ですね。実家では卵焼きが幕末くらいの黄瀬戸(*4)の皿に乗ってふつうに出てきてたんですよ。これが僕の原風景。だから、いまだに土ものの器(*5)に目がないですね。
中上 昔は「いい器」で食事をすることが特別ではなかったですものね。それこそ手塩にかけた料理をいい器でいただく、というのが当たり前だったんですね。
高橋 そうよ。べつに100円ショップで売ってる器でも食事はとれるんだけど、やっぱり味気ないもんね。あと、今の子どもを見てビックリするのは、たとえば急須の使い方を知らない、見たことないとかね(笑)。でもそれは当然かもしれない。冷蔵庫にペットボトルのお茶が当たり前のように入っていて、親が急須を使ってお茶を淹れてないんだもの。
*4 黄瀬戸(きせと) 灰に鉄分を加えてつくられた、黄色い釉薬の焼物のこと。瀬戸、という名だがもとは美濃産で、初源は窯内部で偶発的にできた色味とされている。意図的に焼かれたのは桃山時代から。秀吉が黄金好きだったことから焼かれたという説もある。
*5 土ものの器 全国各地で土からつくられた陶器のこと。産地によりさまざまな表情を見せる。対して、磁器は「陶石」を粉砕して製作。九州北部で採取される天草陶石が有名。

そう、昔誰かが言ってたけれど、「料理は愛情」なのである。丁寧につくられた道具で、美味しいお茶を淹れる。丁寧につくられた料理を「よい器」に盛っていただく。それは血の通った風景であり、そこからものをいつくしむ感性や「ものごと」の美醜を判断できる力が自然に養われていくのだ。


中上 高橋さんが骨董屋をオープンされたきっかけを教えてください。
高橋 50歳を目前にして少しずつ蒐(あつ)めてきた骨董もあったし、ちょうど子どもも自立する年頃だったんです。本当は勤めで定年まで頑張ろうかなと思ってたんやけど、会社が休みになる週末ごとに骨董祭にも出るようになって。家内は今でも会社勤めしてますけど、僕がいつもこういうもの(骨董)に熱を上げているもんで、「骨董屋をやってみたら」とは口に出してはいわんけれども、自然と後押しされるようにして、開店をめざすようになりましたね。
中上 会社にお勤めの頃から骨董の催事に出ていらっしゃったんですか。
高橋 そうそう。土日だけね。
中上 その時期に商売のカンを養ったわけですね。そういう生活をされていて、奥さまもやっぱり感じるところがあったんでしょうね。いわゆる脱サラで商売を始めるときの奥さまの力は大きいですよね。
高橋 本当に。家内の協力のお陰やもん。「わたしは朝早く起きて会社にいってるのに。あんたばっかりズルい」って言われてますけどね(笑)。
中上 (笑)。でも、奥さまも古いものお好きなんですよね。
高橋 そう、古い布が好きなんです。僕がウブ出しに出かける時はいっしょに来て、埃で鼻を真っ黒にしながら探してるもんね。本当に好きなんやろうね。
中上 相馬舎では古い裂(きれ)でつくった風呂敷や包み布(*6)なんかも販売されてますよね。
高橋 家内が見つけてきた古い着物を解体してつくるんですが、お陰さまでよく売れてます。昔は骨董を買ってきたら、包み布なんかもいい生地を探してきて職人につくらせたり、いい箱を誂えたりしてましたけどね。今はそこまでする人が少なくなりました。
中上 そこも骨董を買う上で楽しいところなんですけどね。「よい骨董はよい次第(*7)で決まる」とわたしもつねづね考えてます。骨董って「自分の金で買ったから自分のものだ」という感覚でつきあうのではなく、「一時的な所有権を買っている」ものだと思うんですよ。人より何倍も長生きだし、いくら高い金を出して買っても棺桶の中までは持っていけない。だからこそ、自分が所有していた「痕跡」というものをどこかに残したい。それが「次第」というものだと思います。親が子どもにいい服を着せてあげたい、いい家に住まわせてあげたいという愛情となんら変わらない。
高橋 今まで残ってきた骨董は大事にして次世代にバトンタッチせんといかんね。実際、安く買える骨董でも歴史があるんやもん。「前はどんな人が使っていたんだろう」とか想像するのも楽しいし、今骨董を所有している僕らが大事にせんといかんのと違う?
中上 お金のかかることですけど、その「無駄」が実は大事なところで、現代ではそういう無駄をまったくしなくなりましたね。いい器はちゃんと後世に残していきたいですよね。
高橋 本当にそうよ。でも「昔のものを大事にする」という文化が断絶しかかっているのは、僕ら骨董屋にも責任があると思うね。僕らはまだまだ駆け出しやけど「骨董は楽しい」というのを次の世代に伝えていかないと。
*7 骨董の次第(しだい) 茶道で使用するさまざまな道具に付属しているもの。上記「仕覆」を含め、箱内部の四隅に立てる「柱(ちゅう)」と呼ばれる緩衝材や茶碗の見込のかたちに添った「中込(なかごめ)」、桐箱を包む「風呂敷」、「二重箱」など、それぞれの時代のそれぞれの愛蔵者が器物にふさわしいものを誂えていく。流派の宗匠が揮毫した「箱書(はこがき)」も重要な次第のひとつ。それらが揃った骨董は「次第が整っている」と表現される。


べつに「高いものを買いなさい」というものではない。「高いものはよい」では当たり前。安くても「こんなに楽しいものがある」ということにも気づいて欲しいと思う。これこそが、本連載の趣旨であり、めざすところである。

中上 今日は「千円札で買える酒器」がテーマなんですが。
高橋 これだけ用意しといたよ(と、いいながら40センチはあろうかという丸盆にびっしりと酒器が!)。
中上 うわー。壮観ですね。これはマズイな(笑)。あ、この輪線文(*8)の盃、かわいいですね。
高橋 それは瀬戸(*9)やね。もともとは小皿やけど、盃にも使える。こんなに洒落たもんが安くで買えるんやもん。そうそう、この型吹きグラスもいいよ。大正から昭和初期のものだけど、古いガラスなんで揺らめきがあって味わい深い。
中上 古いガラスは液体が入ると、本当にきれいですよね。いちばん最初に取材した店(大阪の「はこ益」)でガラスの盃を求めたんですが、酒を注いだ瞬間、自分でもウットリしました。
高橋 連ドラで酒造の番組やってたでしょ(註:NHK放映の『マッサン』のこと)。あの番組のお陰で最近はウイスキーがよく売れてるみたいやね。こんなグラスでウイスキー飲んだら、きっと美味いよ。……あと、土ものだとこんなのはどう? 美濃の灯明皿(*10)。


中上 これは古い。江戸中期くらいかな? 糸切り高台(*11)や褐色の釉薬が渋くていいですね。ほどほどの深さもあるし、平盃として使えそうですね。……でも、僕の手には少し大きいかな。
高橋 ……そうやね。少し大きいわね。
中上 なにかいいのが……あ、これは李朝(*12)ですね。粗雑なつくりですけど大きさも手頃だし、酒も美味しく吞めそう。
高橋 そう、李朝。大きさが手頃でいいでしょ。
中上 朝鮮時代の飲酒はどぶろく(今でいうマッコリ)が中心だったらしいんです。たくさん吞むので盃も大きいのが多くて、清酒に使える大きさが案外少ないんですよね。高台の周りに泥がべとべとついたまま焼いてるし、このユルさ加減がいいですね~。これ、幾らですか?
高橋 これは……4,000円かな。
中上 よ、よ、よんせんえん?!
高橋 安いでしょ(笑)。たまたま地方で安く仕入れられたので。
中上 ちょ、ちょっと待ってくださいよ。さっきの輪線文の瀬戸は?
高橋 う~ん、1,000円!
中上 えー! 本当ですか? この連載って後半の価格のやり取りも大事なんですが、これだけ安いと交渉の余地がない(笑)。
高橋 これは枚数があったんで、この値段。お値打ちやね。
中上 この青いグラスもかわいいですね。
高橋 それは福井から出てきたんですよ。茶店で冷茶を供した煎茶碗。福井って昔から煎茶が盛んなところで、こんな洒落たのをつくっとったんやね。
中上 へー! これが煎茶碗? たしかに冷茶をいれると涼しげでよさそう。もちろん冷酒もアリですよね。
高橋 これで冷酒は旨いやろね。縁のギザギザもいいアクセントやし。
中上 これだけあると迷うなぁ、やっぱり。うーん、今まで土ものは紹介できていないし、この李朝はいただくとして。えーい、さっきの瀬戸の輪線文と型吹きグラスもつけてください!
高橋 じゃ、全部で8,000円ね。
中上 本当にうれしい。これだけのレベルの酒器が全部で8,000円なんて。
高橋 「価値のあるものを安く買いたい」というのは誰しも思うこと。骨董でも数千円でこれだけ楽しめるんだから、若い人にも臆せずチャレンジしてもらいたいよね。「失敗した」と思っても、失敗することも大事な勉強やもん。人生は一度きり、好きな道具とともに心豊かに暮らす素晴らしさをもっと知ってほしいね。
中上 この連載にピッタリの展開です。今日はありがとうございました!

*9 瀬戸(せと) 陶器の一大産地。愛知県瀬戸市周辺は良質な陶土や陶石が産出され、縄文時代よりさまざまな器物が焼かれてきた。ピーク時には何千という窯が存在したという。一般的に肌理の細かい粘り気のある土味。本州では焼きもののことを「瀬戸物(せともの)」と呼ぶくらい、全国各地に出荷された。
*10 灯明皿(とうみょうざら) 行灯皿(あんどんざら)ともいう。まだ灯りを火に求めていた時代、皿に菜種油などを注ぎ、使い古しの紙を縒ったのを灯心にして火をともした。皿の見込に小さな島をつくり、灯心が固定しやすいようにしている。
*11 糸切り高台(いときりこうだい) 轆轤で成形が終わった器は土のかたまりから「シッピキ」と呼ばれる糸で切り離す。シッピキが触れた器底部には独特な模様がつくが、それが陶器のひとつの「見所(みどころ、けんじょ)」となる。
*12 李朝(りちょう) 14世紀末、高麗を滅ぼし李王家が制定した、朝鮮王朝時代の略称。600余年続いた朝鮮時代につくられたさまざまな文物のことを骨董の世界では「李朝」と呼びならわす。
晩酌にて

今回も自宅で晩酌です。花曇りの午後、分葱(わけぎ)のヌタを添えて、酒は「出羽桜」の純米酒を冷やで。
この盃、土ものなのに口縁が紙のように薄くて、酒の切れが抜群! 少し手重りする重量や手取りも心地よくて「酒が旨くなる」盃ですね~。見所はなんといても腰から下にベタベタついた泥の痕。ふつうはきれいに拭き取ってから焼成するのだけど、このテキトーな感じが酒吞みにうれしい「景色」となるでしょう。土味が多少荒くて釉薬も薄いから酒を吸うたび、よい味に育っていくと思います。
今回も素晴らしい盃をゲットできました。相馬舎さん、ありがとうございました!


古美術 相馬舎
愛知県名古屋市昭和区鶴舞2丁目1-14
052-883-8325
営業時間 : 14:00~18:00(火~木)
不定休
http://souma-ya.com/
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