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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ20 / TEXT+PHOTO:大山卓也 / 2016.01.29 どこか遠くへ行きたい。──大山卓也

「広島にビール飲みに行こうよ」

 嶋さんから突然こう言われて「行きます」と即答したのは去年の終わり頃だったはず。そもそもおれは嶋さんの誘いを断ったことはないけど、新幹線で飲むビールはうまいし、お好み焼きとビールも合うだろうし、ビール好きとして乗らない理由がない気がしたのだった。

 嶋さんはおれより3つ年上の気のいいおっちゃんで、何年か前に知り合って年に1、2回いっしょに飲んでいる。お互いに毎日忙しくしてるので、たまに飲むのはだいぶ楽しい。この歳になると、仕事関係なく飲める相手が貴重になってく感じもあるし、あと東京にいると取材とか会議とかなんだかんだ予定が入ってしまうってのもあって、仕事を忘れて広島まで行くっていう話はなかなか魅力的だった。

 それにしてもどうして広島なんですか。改めて聞いてみると、なんでも広島にビール注ぎの名人がやってる立ち飲み屋があるとのこと。嶋さんも行ったことはないらしく、なんだかよくわからんけど、まあ行ってみようということになった。

 お互いの予定をあわせて計画を実行したのは4月のある日。金曜だったから仕事は半ドンにして、14:00に東京駅で待ち合わせしてのぞみ39号。新幹線で飲むビールとつまみ買って、飲んだり眠ったりしながら4時間ちょっとで広島に到着。駅からタクシー乗って重富酒店に直行したら、店の外にはたっぷりした行列ができていた。

 というわけで、この重富酒店という店がこの旅の一番の目的だ。酒屋の倉庫を改装したこじんまりした店内に、昭和と平成のビールサーバが各1台ずつ設置されていて、壱度注ぎ、弐度注ぎ、参度注ぎ、重富注ぎっていう複数の注ぎ方を選べるという趣向らしい。よくわからないけどすごそう。しかも1人2杯までの制限があって、それはなぜかというと、この場では角打ちでさくっと飲んで、そのあとちゃんとした飲み屋に移動してほしいということらしい。酒屋だから、酒の卸し先である飲み屋に気を遣ってるのだ。

 この日飲んだのは確か参度注ぎと重富注ぎ。何回に分けてどういうペースでどれくらいの勢いでビールを注ぐかによって、泡の質とか炭酸の強さとかがぜんぜん変わって、同じビールでも味がはっきり違ってくる。銘柄はアサヒの樽生らしいけど、銘柄がどうとか吹っ飛ぶくらいに注ぎ方で味が変わって、へー!へー!と感心しながら2杯のビールを飲み干した。

 でも確かにビールっていうのは、飲み方によってものすごく味が変わる飲み物ですよね。缶で飲むか瓶で飲むか、それともグラスに移すのか。瓶ビールと生ビールは中身は同じものだって聞いたことがあるけど、ジョッキで飲む生ビールはやっぱり瓶とは違う気がするし、どっちが上とかってものでもない気がするし。

 個人的にグラスに凝ってた時期には錫のタンブラーとかも試してみたけどあんまりよくわかんなくて、結局ペコペコのプラスチックカップで飲むのが一番うまい!という結論になった。バーベキューとかで使うやつ。口に触れるときの感覚で言えば、うすはりの繊細なグラスとかももちろんいいんだけど、あれ割っちゃいそうで緊張するから。プラスチックカップは当たり前だけど安いし、気持ち的にもカジュアルだし、みんなで飲むときマジックで名前も書けるし、いいことずくめでだいぶオススメしたい気持ち。

 そんなこんなで広島の旅は重富酒店のあと、もち月という寿司屋に移動。嶋さんの友達の細谷さんも合流してワインバーでさらに飲む。一旦解散して、ワシントンホテルに各自チェックインしてすぐ眠る。
 そして翌日は朝10:00にロビー集合。むすびのむさし → 赤瀬川原平展 → お好み焼きみっちゃん総本店 → 広島球場 → ヲルガン座 → リーダンディート → 居酒屋十升 → BARサヰキ → つけ麺ばくだん屋と、朝から夜まで広島を満喫した。どこ行ってもだいたい飲んでる感じで楽しかった。特に広島球場はカープ×ドラゴンズ戦のデーゲームをやっていて、野球観ながら飲むビールはやっぱりとてもいい。どっちが勝ったとかは覚えてないですが。

 翌朝の新幹線で東京に戻って、2泊3日の広島ビール旅は終わり。知らない土地で飲むの最高なのでまた行きたい。どこか遠くへ行きたい。

SIDE ORDERS :
・大山卓也『ナタリーってこうなってたのか』(2014)

大山卓也Takuya OHYAMA
1971年札幌市生まれ。編集者。1997年よりメディアワークス(現KADOKAWA)にてゲーム雑誌の制作に携わる。フリーランスでの仕事を経て、2005年に代表取締役としてナターシャを設立。2007年より自社運営のポップカルチャーメディア「ナタリー」の代表を務める。

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