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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ19 / TEXT+PHOTO:佐野郷子 / 2015.12.25 東京の商店街を巡る小さな旅──佐野郷子

 数年前、商店街の本を作ろうと思い立ったことがある。それまで20数年に渡り、編集や執筆を生業としてきたのだが、50の声を聞くようになった頃からぼんやりと、この先、自分は東京で心地よく暮らしていけるのだろうか、という思いが芽生えるようになった。それは、この世界でも屈指の大都市に上京して働き、さんざん遊び、気がつけば初老とも言える年齢に差し掛かった者なら、ふとよぎる疑念なのかもしれない。
「何か面白い事柄や人物」を探し、それらを集めて編む仕事をするには東京ほど適した街はないとは思う。しかし、一生活者の立場になると、はたしてどうだろう。世田谷の家の近所は都内でも人気の街があり、商店街は夜遅くまで賑わい、活況を呈している。しかし、この20数年で、青果店、精肉店、鮮魚店、総菜屋はみるみる減少、その跡にできるのは飲食店、美容室、携帯ショップばかりで、チェーン店も少なくない。なんだかつまらない街になってきたな、というのが生活者としての実感だ。多忙な頃は、コンビニや24時間スーパーが有り難かったが、ちょいと生活が落ち着いてくると、その味気なさに気がついた。夕方になると威勢の良い声が聞こえてくるマグロの解体が売りの魚屋、香ばしい匂いが漂う総菜屋、ラードで揚げなきゃあの味にはならない肉屋のコロッケ……昭和の郷愁を懐かしむというだけではない。現にそんな店が残っている商店街には、肉屋の店先でメンチカツを頬張っている人をよく見るし、地元民に愛される大衆居酒屋に女性や若者の姿が目につくようになったのもここ数年のことだ。確信めいた直感が働いた。「なんだ、みんな好きやん、いなたいけど、ホッとできる商店街が!」と。

 川本三郎、坂崎重盛といった街歩きの達人たちの著作を読み漁り、先達の東京地図を頭に入れて、休日になると東京の商店街を巡り始めた。上京して30年にもなるのに、浅草や上野をのぞくと東京の東側や北側にはほとんど足を踏み入れたことがなかったので、電車で20~30分で自分の棲む街とは表情がまったく異なる街があることも驚きだった。初めて訪れた商店街で安くて新鮮な魚、肉、総菜に興奮して、しこたま生鮮食品を買い込んだ。渋い居酒屋では常連さんにジロリと睨まれながら、時には隣に居合わせたおっちゃんに一杯ご馳走になったり、東京に居ながら小旅行気分が味わえるのも楽しかった。
 早速、単行本の企画書を版元に提出して、リサーチと取材を開始した。取り上げるのは、生鮮食品店、カフェ、居酒屋、古書店など、個人経営の店に絞り、商店街の近くの一息つける神社仏閣や公園なども入れる構成にして、ライカのデジカメ持参で23区+都下を訪ね歩いた。予想外の事態に気がついたのは、いよいよ執筆というタイミングに差し掛かる頃だ。確認のため電話&再訪してみると、「えっ、あの店、閉店?」「あれ、ここにあったお弁当屋が100均になってる!」、年配のご主人が営んでいた和菓子屋には「当分の間、休業します」という張り紙が……わずか半年で、東京の街はあっという間にその姿を変えてしまうことを思い知ったのである。再開発という「街殺し」(©小林信彦)や個人商店の後継者問題は、今に始まったわけではないが、小さな乾物屋のウグイス豆の煮物を楽しみにしていたおばあちゃんの姿を思い出すと胸が疼いた。加えて、私自身がちょっとした大病(妙な表現ではあるが)を患ったこともあり、残念ながら商店街本は頓挫してしまう。昭和の高度成長期に育ち、21世紀を超えて、少々くたびれてきた自分自身と、閉店休業したそれらの店がどこか重なって見えもした。

 とはいえ、どっこい、「今日も元気で酒が旨い」日常が戻ってきた。今もフーテン中年よろしく、仕事の合間に都内をぶらついている私が、リピートしたくなった魅力的な商店街をいくつかご紹介したい。
 この数年の大衆居酒屋ブームで、一躍注目を集めた商店街に葛飾区の立石仲見世商店街がある。私の周りの呑兵衛たちが、「大人のディズニーランド」と呼ぶ仲見世には、朝から長蛇の列をなすもつ焼き屋「宇ち多”」、立ち喰い寿司の「栄寿司」、モルトでおでんをつまめる「二毛作」などの名物店が軒を連ね、都内はもとより遠方からの客が引きも切らない。しかし、そんなせんべろを横目に、ご近所さんは、ご飯3杯いけそうな激辛塩鮭や、自家製の漬け物、おでん、焼き魚などを買いにこの商店街にやって来る。かつては労働者が夜勤明けに一杯ひっかけに来たという酒場の隣で、おかみさんがおかずを一、二品買い求める光景に私が惹かれてしまうのは、つげ義春、忠男兄弟の著作の刷り込みも大きい。戦中から立石で暮らし、小学校を卒業してからメッキ工場で働いていたつげ義春の自伝的漫画『大場電気鍍金工業所』や、弟の忠男の『昭和御詠歌』には、戦後闇市だった立石界隈のやや物騒で猥雑な景色が描かれている。酒飲みだけでなく、ここはつげファンにとっても巡礼すべき「聖地」なのだ。

 立石に限らず、東京の商店街は、戦後から高度成長期にかけて発展を遂げたところが多く、働く主婦目線で見て食料品店が充実しているのは、北区の十条銀座、品川区の戸越銀座、江東区の砂町銀座の三大銀座商店街だろうか。
 渋谷から埼京線一本で行ける北区の十条銀座は、約50品目に及ぶ地鶏の総菜に長い列ができる「鳥大」を筆頭に、おかずや酒の肴にあう揚げ物やポテトサラダなど万人が好むミート&デリカの激戦区。雨をしのげるアーケードも有り難い上、線路を挟んだ東側には大衆演劇の篠原演芸場、駅前の路地には、中島らもをして〈おれが自分の町内に求めていたのはこれだ、と思った〉(『せんべろ探偵が行く』より)と言わしめた古典酒場「斎藤酒場」もあり、日が暮れてからもまた楽しい。
 日本で最初に銀座という名前を譲り受けた戸越銀座は、東急池上線の戸越銀座駅に接する全長約1.3kmにわたる活気ある商店街。精肉店、総菜店、飲食店がそれぞれ工夫を凝らしたコロッケを売り出すなど商店街の活性化が上手い。元は茶舗兼煙草屋だったという「金田園」は、テーブルに無料の煙草が置かれている愛煙家には嬉しい喫茶店。缶ピースをおいしそうくゆらせながら、世間話に花を咲かせる年配の方々を見ていると、いまどきのカフェにはない「憩」という言葉が浮かんだ。また、酒場には事欠かない武蔵小山が隣町という立地も好ましく、生活圏としての懐の深さがある。
 最寄りの駅から遠いにも関わらず、商店街全盛期の昭和40年代さながらの光景が今なお続いているのが江東区の砂町銀座。全長700メートルに約180の店舗がぎっしり並び、和洋中が揃う総菜店の充実ぶりは都内随一。醤油ダレがからんだ味付け玉子が旨い「松ばや」、日に千個も売れる蒸したての手作りシューマイの「さかい」、自然飼育の房州地鶏を使用した焼鳥「鳥光」、開店と同時にダッシュでカゴを取るお客さんの迫力に気圧される、新鮮な魚貝類が驚くほど安い「魚勝」など、「うちはこれで勝負!」と気合いの入った店が多いのが頼もしい。近くにショッピングモールができても、毎日買い物客で賑わうのは、値打ちのある店をお客さんがよーくご存じだからに他ならない。

 キラキラ橘商店街、阿佐ヶ谷パールセンター、ジョイフル三ノ輪、松陰神社商店街、鳩の街通り商店街、薬師あいロード商店街など、東京にはまだまだ愛すべき魅惑の商店街がある。最近は都心を少し離れた街には若い店主が営む店が少しずつ増え、カフェ、ベーカリー、古書店、ギャラリーなどの参入により、寂れかけていた商店街に明るい彩りを与えているのも何かの兆しに思えてきた。街も商店街も人も、新陳代謝を繰り返して、今を生きている。トートバッグに保冷バッグを忍ばせて、私の商店街散歩は当分続いていく予定だ。

SIDE ORDERS :
・川本三郎『東京つれづれ草』(1995)
・つげ義春「大場電気鍍金工業所」(1973)『つげ義春コレクション 大場電気鍍金工業所/やもり』 所収
・つげ忠男「昭和御詠歌」(1969)「昭和御詠歌 つげ忠男選集 II」所収
・中島らも 小堀純『せんべろ探偵が行く』(2003)

佐野郷子Kyoko Sano
横浜生まれ、兵庫県尼崎育ち。ライター/エディター。1980年代よりフリーランスで雑誌、単行本などの編集・執筆を手がけ、1998年より編集プロダクションDo The Monkeyに勤務。ミュージシャンのインタビューから、和菓子本の編集まで、書いたり編んだりして現在に至る。来年1月末に弊社Do The Monkeyのちょっとしたイベントを企画中。写真は成人式のもの。

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