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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

 サイドオーダーズ01 / 小西康陽 / 2014.05.02 ある日とつぜん気付くこと─小西康陽

 いままで気付かなかったことに、とつぜん気付くことがある。人生の深淵、とかではなくて、これから話すのはもっと他愛ない話だ。
 ザ・ビートルズの、というよりポール・マッカートニーの作った「イエスタデイ」という歌。この歌の歌い出しのメロディ、冒頭の部分だけポールはイエスタデイ、という言葉をおなじみの「レ・ド・ドー」ではなく、ためらいがちに「ド・ド・ド」、と歌っている。
 まるで大発見のようにこのことを話しても、たいていの人はそれがどうしたの、という顔をする。あるいは、そう? 私にはやっぱり「レ・ド・ドー」って歌ってるように聴こえる、と言われたり。
 けれども、自分にとってこの発見はやはり大きかった。いままでザ・ビートルズのレパートリーの中の比較的退屈な作品として捉えていたこの曲に、とつぜん強い親しみを感じるようになったのだから。
 ヴェテランの作詞家ならまだしも、若く新しい世代のミュージシャンがその若さの只中で、こんな歌を作ること。取り返しのつかないことをしてしまった、という後悔の念が、まさに冒頭の、喉に引っ掛った言葉を無理やり吐くような「ド・ド・ド」というメロディの中に込められている。
 ここまでの話は別なところにも書いた。さて、最近とつぜん気付いたのは、後のシンガー・ソングライターたちにこの「イエスタデイ」が、あるいはザ・ビートルズの他の楽曲が与えた影響の大きさだ。控え目なギターの伴奏と共に、自作の歌を歌う歌手たちを大雑把にシンガー・ソングライターというなら、セオドア・バイクルのようなフォーク界の重鎮から、リッキー・リー・ジョーンズのような人まで、じつに多くの人がビートルズ・ナンバーを取り上げている。いろいろなレコードの片隅に収められた、寂しいアンサンブルによる伴奏で歌われるビートルズの歌を探して聴くのはぼくだけの楽しみではないはずだ。
 シンガー・ソングライター、という言葉と、それに伴うジャンルの音楽が広く認知されるようになったのは、間違いなくジェイムズ・テイラーという歌手がワーナー・ブラザーズというレコード会社で再デビューを果たした後からだが、この人の最初のアルバムは設立されたばかりのザ・ビートルズのレーベルであったアップルからリリースされたのだ。
 その作品はロンドンでレコーディングされ、ポール・マッカートニーもベース・プレイヤーとして参加している。けれど、いままではこの若きアーティストにポール・マッカートニーあるいはジョージ・ハリスンのほうが刺激を受けたのだろうと考えていたのだが、件の「イエスタデイ」を「ある決定的な一曲」として聴くようになってからは、ジェイムズ・テイラーに対する印象も少し変わった。
 ロック・バンドを組んで音楽家としてのキャリアをスタートさせた若いアーティストが、バンドという枠組みでは自分の中にあるものを表現しきれなくなって、独りで音楽をやる他にない、と考えるのだが、まだ踏み出せずにいる。そんなときに、他のメンバーを一切参加させず、単独で録音したとされる「イエスタデイ」を聴いたとしたら。こんなふうに音楽をやる、という選択もあったのか。人は誰も何かの中に、自分にとって都合の良い答えを見出すものだ。
 アップル・レコードで制作したデビュー作にはその名も「サムシングス・ロング」という題名の歌が収められている。ジェイムズ・テイラーの音楽は全く新しくて、それまで無数に存在したビートルズのサウンド、あるいは外見上のイメージなどを模倣する連中とは何もかも異なる、と思っていたが、この歌の成り立ちに「イエスタデイ」がどれほどの影響を与えているか、自分はある日とつぜん気付いたのだ。

 もうひとつ。自分の中では驚くべき大発見が、最近あった。ジャック・タチと北野武の共通点を発見したのだ。
 フランスのエスプリ、という言葉を使わずに、ジャック・タチのコメディ作品を表現しようとすると、これが意外と難しい。あの独特の優美な動きと、ラルゴ、と表現したくなる映画のテンポ。
 いっぽう北野武の映画は乾いたユーモアと圧倒的なヴァイオレンスで観る者の時間を制圧する。
 まったく正反対の存在とも言えるふたりだが、この真ん中にもうひとりの偉大な映画作家の名前を置いてみるならば。そう、その名は喜劇王チャールズ・チャップリンである。
 なーんだ、と思った方も多いだろう。かく言う自分も先日、映画館の暗闇の中で、今更ながらこのことに気付いて驚き、嬉しくなってしまったのだ。
 それは渋谷にある名画座の「ナチスと映画」という特集の中で上映された『独裁者』という作品を観ていたときのことだった。
 この映画史上の傑作の中でチャールズ・チャップリンは一人二役をこなしている。一国の独裁者と、ユダヤ人の理髪師。
 ユダヤ人の理髪師が大戦で負傷し、ようやく自分の理髪店に戻ってきてからの一連の場面。頓珍漢なアクションで客の髭を剃る動作は優雅と言うしかない。そうか、ジャック・タチはフランスのチャールズ・チャップリンになろうと考えたのか。
 そう思っていたら、今度はファシスト国家の参謀省で独裁者が執務を行う場面。愚か者の幕僚が次々と新兵器を将軍に披露するスケッチ。ポータブルな落下傘を頭の上に装着して窓から飛び降りる発明家はそのまま戻らない。考えてみれば残酷なギャグを淡々と積み重ねていくその場面を観ていて連想したのは、他でもない北野武の『アウトレイジ』と『アウトレイジ・ビヨンド』だった。
 北野武の映画における、目を背けたくなるほどの暴力シーンに、むかしのアメリカ製のTVコメディ、たとえば『ルーシー・ショー』のように観客の笑いを入れてみたら、これはオチを拾わないコントの集積だったのか、と誰もが気付くに違いない。
 つまり、北野武もジャック・タチと同様、チャールズ・チャップリンのように映画を作ることを目指していたのだ。同じところから出発して、ジャック・タチも北野武も、そう簡単にチャールズ・チャップリンを、そればかりか他のどんな作家の名前をも思い出させることがないほど、独自のスタイルを身に付けてしまった。
 とはいえ、自分の発見はいつもここまでだ。いつだって、それ以上深く考えてみることはない。
 そうか。そうだったのか、と独りごちて、心の中で手を叩いたときは、何か一杯飲むに限る。自分はしばらく酒から遠ざかっているけれど、ささやかな発見をしたときの、自分で自分に乾杯する嬉しさをいまでも忘れたことはない。

SIDE ORDERS :
・ザ・ビートルズ『ヘルプ!』(1965)
・ジェイムス・テイラー『ジェイムス・テイラー 』(1968)
・チャールズ・チャップリン『独裁者』(1940)

小西康陽Yasuharu Konishi
1959年北海道札幌生まれ。音楽家。1985年、ピチカート・ファイヴのメンバーとしてデビュー。2001年解散後も、数多くのアーティストの作詞、作曲、編曲、プロデュース、リミックスを手掛けている。2011年、PIZZICATO ONEの名義で初のソロ作品『11のとても悲しい歌』(ユニバーサル・ミュージック)を発表。著書に『僕らのヒットパレード』(片岡義男と共著)ほか多数。

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