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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ03 / TEXT:本間裕子 PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 / 2014.06.11 渋谷区宇田川町「ロス・バルバドス」上川夫妻の「ベジタリアン・マッツァ」

渋谷東急本店から代々木上原へと抜ける、近年注目のスポット=通称「奥渋谷」。とある雑居ビルの一室を満たす、広大なアフリカ大陸の香り。元音楽家の上川大助さんと真弓さん夫妻が切り盛りする「ロス・バルバドス」で供されるのは、まだまだ日本では珍しいアフリカン・エスニックの未知なる味だ。
ナイジェリア、カメルーン、コンゴ、ギニア、ケニア、レバノン……。1枚の黒板に綴られる各国伝統のレシピは、食欲とともに知的好奇心までを満たしてくれる。
この唯一無二のオルタナティヴ空間にて、温かなコンゴ音楽に包まれながら、やっぱりまずはこの質問。
「真弓さん、アフリカにはどのぐらい通われたんですか?」

想像力こそをスパイスにした、アフリカ発⇒日本着のお惣菜

 その質問、お客さんからも本当によく聞かれるんですけど、大将が「音楽修行」という名の一銭にもならない旅行に出たことが数回あるだけで、わたし自身は1回もないんですよ。だって、遠いじゃないですか(笑)。それに当時のアフリカは政局も不安定だったし、今のように女性が気軽に旅行できるような場所ではなかったんです。うちの大将だって(アフリカ料理の)修行なんてしてません。もともとこの店は、わたしが好きなパリ18~20区の移民街のムードをイメージして始めたんですね。「まだ日本に紹介されていないマニアックなエスニック料理があったらおもしろいよね」ぐらいの気持ちでした。今の「アフリカ色」もメニューの数が増えるのと比例してだんだんと強まっていったもので、当初からめざしていたわけではないんです。だから今頃になって、「あれ? もしかしてかなりの隙間産業だった?」って気づいたような感じです(笑)。

 そんな真弓さんオススメのヒトサラは、アラブ系のお惣菜と自家製ピタパンの盛り合わせ「ベジタリアン・マッツァ」。豆乳ヨーグルト・ソースとの相性が絶妙なキビ(アラブの野菜コロッケ)とファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)をメインに、色とりどりの野菜が円を描くように盛りつけられたアイキャッチの高いプレート・メニューだ。塩加減と食感のバランスに心躍る色とりどりのサラダを自由に組み合わせ、ピタパンに挟んで頬張れば、広大なアフリカ大陸を横断したかのような気分に。やはりこのメニューのインスピレーションもパリにあるそうで、旅行中、夫婦で入ったレバノン料理店のメニューがベースになっているとのこと。

ベジタリアン・マッツァ。ファラフェルとキビという2種類のコロッケをメインに、キャロット・ラペ、紫キャベツのマリネ、フムス(ひよこ豆のペースト)、オクラのトマト煮込み、タブレ(クスクスのサラダ)が、決して脇役になることなく主張。お肉派も大満足のヒトサラ。

 今は新大久保のハラル・ショップで本場の食材が手に入れられるようになったので、いわゆる「思い出の味」というのも再現しやすくなりましたね。以前はパーム油ひとつ買うだけでも大変でしたから。(ベジタリアン・マッツァの)野菜は2日寝かせたほうが味が馴染んで美味しいものや、1日くらいで食感がちょうどよくなるものなどあるので、毎日なにかしら下ごしらえをしてますね。動物性の食材を使わなくても、スパイスの力で満足感が得られるというのも評判で、ワインとこれだけでサクッと楽しまれるお客さんも多いです。

「アフリカ料理の本、本当に欲しいですか?」

上川真弓さん。主にデザートと接客を担当。

 ところで本場・中東諸国での「キビ」は、羊の肉でつくられるのが主流。しかしロス・バルバドスではそれをベジミートとナッツ、雑穀に変えることで、ヴィーガン/ベジタリアン対応のメニューへとアレンジしている。その「翻訳力」もこの店の人気の秘密だ。

 キビは本来アラブ料理ですが、ブラジルにも渡り、今ではポピュラーな食べ物になっていますね。うちのは代々木公園で開催されていたブラジル・フェスにリサーチがてら遊びにいったときにふと思いついて、大将にリクエストしたものなんですよ。わたしはアイデア担当なので楽ですが、限られた情報から実際のメニューをつくる大将は大変ですよね。食材は手に入りやすくなったものの、日本語で読めるアフリカ料理の本はほぼないですからね。あったとしても肝心の完成図が載っていなかったりするし……。たまに「アフリカ料理本出してくださいよ~」とおっしゃってくださるお客さんがいますけど、本当に欲しいですか? イタリア料理が得意な女の子ってなんだか素敵ですけど、「アフリカ料理が得意です!」と言われても、男性はときめかないんじゃないですかね(笑)。いわゆる「THEアフリカ料理」は煮込み料理が中心で、仕上がりも茶色系になるし、どのレシピもたいていピーナッツ・バターやトマトを使うから、見た目も味も変化に乏しい。それだと食べる側もつくる側も飽きてしまうので、うちは北アフリカやアラブ、カリブ海の料理など、美味しいと思ったものは積極的に取り入れるようにしてるんです。

上川大助さん。料理の9割を担当。「当時のアフリカ旅行は大変だったよ。携帯もPCもなかったしね。でも、レアメタルが取れる前のコンゴは平和だったんだよ。豊かな資源を持っている国ほど紛争が多いっていうのは本当だよね」

「そうそう」という表情で、大将こと上川大助さんが口を開く。

 YouTubeで見られる調理法も、最初から最後までずーっと強火だったりしてね。コンゴの有本葉子とか栗原はるみが頑張ってるんだけど(笑)、ツッコミどころ満載。でも、行ったことのない国の料理を想像でつくっているわりには、いろんな国の人に気に入ってもらえてると思うし、それは励みになるね。うちのメニューはヴィーガン対応が6割、ベジタリアン対応が7割ぐらいなんだけど、海外のアーティストって菜食の人が多かったりするので、よくレコード会社の人が連れてきてくれるんですよ。いわゆるそういうお店って健全で優等生的なところが多いでしょ? その点うちは不良だから、アーティストの連中にも響くのかもしれない。世界的に有名なブラジルのシンガーに、カエターノ・ヴェローゾっているでしょ? その息子のモレーノ(・ヴェローゾ)が来日したときに、うちのキビをいたく気に入って、2日連続で通ってくれたんですよ。ベジタリアン・マッツァはジャズ・シンガーのホセ・ジェイムズも気に入ってくれたね。(彼のことは)連れてきた人に教えてもらうまで存在すら知らなかったんだけど、そのあと偶然タワレコでコーナーがあるのを見つけて、「ブルーノートでやってるし、大物だったんだ……」って(笑)。彼には「ニューヨークに出店してくれませんか?」って聞かれたけど、「出資してくれるなら、ぜひ~」っていう感じだよね(笑)。

うれしい太鼓判=「日本で初めて本物を食べたよ」

 また、常連さんを中心に不動の人気なのが、チュニジア生まれの「ブリック」。半熟卵、ツナ、チーズ、マッシュポテトを皮で包み、高温でカリッと揚げたヒトサラだ。ナイフを使って皮をザクッと切ると、中の卵がトロッと流れ出し、視覚からも食欲が刺激される。

ブリック。サクっとした外側の食感と、とろける卵黄のハーモニーがおもしろい。「ナブール焼き」というチュニジアの食器も目に楽しい。
この日はビールを頼んだが、ヴァン・ナチュール(自然派ワイン)も充実。カルヴァドスやラム酒も。

 本来のブリックは、街中の屋台でも食べられるファーストフード。卵の黄身で皿をベタベタにして、行儀悪いくらいで食べるものだから、ワインのセレクトでお世話になってるフランス人のお客さんにも「上品にまとめていないところがいいね。日本で初めて本物を食べたよ」と太鼓判を押してもらえたね。うちはワインも美味しいと思うよ。彼がスパイスの効いた料理の旨味を引き出すものをセレクトしてくれるので、通のお客さんにも評判がいいね。ランチではひとり2杯まで、夜はたくさん飲んでくれるとありがたいね(笑)。

「アフリカはもちろん、クレオール(中南米やカリブ海、ジャマイカの移民文化)の混ざった音楽が好きだね」という大将ならではのデコレーション。

 人気のメニューはまだまだある。この日の最後にオーダーしたのは、鶏肉をレモンと白ワインで煮込んだカメルーンの定番料理「プーレヤッサ」。スパイスが効いた鶏肉はライスやクスクスといった炭水化物と相性がよく、「〆にも最適」と真弓さん。

 映画やライヴ終わりに飲みたい人にも、しっかり食べたい人にも、ベジタリアンの人もそうでない人にも便利な店でありたいので、メニューはだんだんと増えていきますね。来年あたりは「カーボヴベルデ」や「アンティーユ」などといった、日本にあまり紹介されていないアフリカ料理を食べにパリに行ければと思ってます。でもわたしは貧乏性なので、なかなかお店を休むことができないんですよね。いつのまにか「奥渋谷」と言われるようになったこのあたりは、雑誌に頻繁に取り上げられるビストロやワイン・バーも多いし、美味しいもの好き、新しいもの好きにはたまらない場所だと思うんです。そんな激戦区で、あえてうちを選んでくれるお客さまのためにも、毎日ここで頑張りたいとも思いますしね。

ランチでも人気のメニュー「プーレヤッサ」。ボリュームがあるものの、レモン風味で女性でもペロリと完食できてしまう。

恋愛不向きの狭小空間!?

「うちを選んでくれるお客さま」の目当ては、味だけではない。オープンから4年、まるで夫婦漫才を見ているかのようなおふたりのやりとり、その温かな人柄に魅了され足を運ぶファンも多い。

 狭い空間ですからね。どうしてもわたしたちの人柄というか、キャラクターが漏れ出てしまいまうので、これからしっぽりと恋愛したいというカップルには不向きかもしれません(笑)。

 言うなれば、「公称3.5坪の上川劇場」。

 たぶんもっと狭いですよね(笑)。最初にこの物件を見たときはスケルトンの状態で、まったく店舗のイメージができなかったんですが、渋谷駅から10分の距離にしては驚くほど家賃も安かったし、即決したんです。設計も昔からの音楽仲間が安価で請け負ってくれて、「調理場をどんなに狭くしたにしてもテーブル席を置くことは不可能だから、カウンターだけにしてしまおう」と、今のような形になったんですね。常連さんからは「こんなスペースで、よく夫婦喧嘩せずにやっていけるね」って言われますけど、もう結婚して20年ですから。精神的にも肉体的にもお互いに干渉しないのがいちばん(笑)。ふだんだって豪邸に住んでいるわけではないし、狭いスペースでぶつからないようにする術なら身につけていますよ(笑)。

ロス・バルバドス 東京都渋谷区宇田川町41-26 パピエビル104
03-3496-7157
営業時間:12:00~15:00、18:00~23:00
定休日:日曜日

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