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メンターについてゆく

カレーにラーメン、蕎麦やスウィーツ
それぞれのメンター(師匠)たち。
その深い愛情と探究心ゆえ、あらゆる名店を
食べ歩き、ついには偏愛の書までを上梓する
彼らの「もっとも熱いヒトサラ」とは?
頭もお腹も満たされる、いいとこどりの贅沢時間です。

メンターについてゆく02 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:藤田めぐみ / 2014.07.16 渡辺俊美さんと渋谷区渋谷「なるきよ」の「特製弁当」

「4年前の冬、息子の登生(とうい)が高校受験に失敗してしまった。振り返ってみると、前年には僕と前妻が離婚しているので、家族の間に大きな変化があった時期──」
かつてこんな書き出しで始まる食の本があっただろうか。TOKYO No.1 SOUL SETやTHE ZOOT16、そして紅白にも出演した猪苗代湖ズなどで活動するミュージシャン=渡辺俊美さんが上梓した、『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』は、文字通り、思春期ならではの葛藤/再受験ののち進学を決めた息子へと、父が持たせた高校生活3年ぶんの弁当の記録。父子の成長の物語としても読み進めることのできるエッセイ集であり、これまでにない清冽な感動が詰まった名著である。
そんな「弁当のメンター」こと俊美さんが紹介してくれたのは、渋谷宮益坂上ほど近くの立ち飲み屋、「なるきよ」。
慌ただしい開店前にお邪魔したにもかかわらず、店主・吉田成清さんが用意してくれていたものとは──。

暖簾の奥の、美味しい予感。ここは「隠れ家的雰囲気の…」と片づけるにはあまりにも個性的な店内との「結界」である。

461個の弁当。果たしてこれは、ロックか否か

『461個の弁当~』より。めまぐるしく進化していく弁当写真の数々、温かなエッセイのほか、調味料や料理道具、インスピレーションをもらったという池波正太郎や伊丹十三の書籍なども紹介されている。

 本の評判はすごくよくて、自分でもびっくりしてるところ。決して奇をてらったものでないから、みんな素直に楽しんでくれてる気がするね。弁当というのはすごくミニマムな世界だし、みんなの記憶にあるものだしね。……自分は子育ての本というのは出せなかったと思うんだ。自分にできるのは弁当ぐらいだったというのが正直なところだし、登生は顔には出さないけれど、これまで我慢ばっかりだったと思うからね。

 人生は決断の連続。『461個の弁当~』のまえがきにも、読み手の背筋をピンとさせる、父子の大きな分岐点が登場する。「決めたからには3年間、休まず通って卒業する」と宣言した息子に対し、父は、自分もいっしょに頑張れる目標/約束を交わしたいと奮起し、「お金を渡すから自分で好きなものを買うか。それともパパがお弁当をつくるか。どっちがいい?」という選択を投げかける。そこからすべてのドラマが始まる。

 自分自身、好きなことだけをやってきた人間だから、もし登生が高校へ行きたくないというのであれば、その意思を尊重したいと思ったし、やりたいことが見つかるようにサポートしてやろうと思っていた。でも登生は進学を選んでくれたし、自分の弁当を選んでくれた。そこにはきちんと応えなくちゃいけないよね。やっぱり何事も選択。自分で決断するってことが大事だと思うんだよ。子どもは親を選べないし、学校だって選べない。そもそもすごく不自由な存在だよね。とてつもなく大きな好奇心があるにも関わらず、選択肢は少なすぎるという状態というのが、長く続く。だからこそ、義務教育が終わったときには、自分で選択させてやりたいと思ったし、親から何かを押しつけることはしたくなかった。あの年頃から自分で決めることを習慣づければ、社会に出てからも、会社とか上司のせいにしなくなるだろうしね。もちろん内心は不安だったよ。でも結局は無事に高校を卒業して、大学生になることも自分から選んでくれた。やっぱり偉いのは自分なんかじゃなく登生なんだなってってことはいつも思うね。

身体に馴染んだカウンターでリラックスする渡辺俊美さん(右)。なるきよ店主・吉田成清さん(左)。
その日のお品書きを書く成清さん。店内の壁にメニューはない。 6月某日「なるきよ」のメニューその1)熊本産長茄子の冷製。じっくりと火を通され、トロリとなった旬の滋味。素材の甘みをここぞと引き立てる出汁の奥深さにも興奮させられる。 6月某日「なるきよ」のメニューその2)ごま鯖の刺身。お品書きには「ごま鯖」とあったが、福岡の郷土料理「胡麻鯖」をなるきよ流に洗練させたものともいえるヒトサラ。手前に添えられた柚子胡椒や生姜の存在を忘れてしまう、「まずはそのまま」の濃厚な旨味。 6月某日「なるきよ」のメニューその3)この時期まるまると太った鰯。丸のまま添えられた梅をつまみながら、身も骨も味わう。

 とはいえ多忙で不規則なミュージシャンの身。ツアー先から始発の新幹線で自宅へと急ぎ、まな板へと向かう苦労、なによりそれを継続するというのは、決して簡単なことではなかったはず。

 でも、この本が話題になったのは自分がシングルファーザーのミュージシャンだからだよね。やっぱり「お母さんってすげえな」って思うもん。俺なんか3年間だったけど、小中高と子どもの弁当をつくり続けて、そのあともお父さんの弁当をつくり続けるお母さんだっているわけじゃん。そういう人には謙虚な気持ちになるよね。ただ、渡辺家のことに限っていえば、確かにこの弁当は自分を成長させてくれたと思う。俺なんかもう成長しなくてもいいし、「俺はこういう人間なんだ!」って断言しちゃってもいい歳だと思うんだけど、そういう頑固な部分を壊してくれたことに関してはよかったと思ってる。……まぁ、そのへんはロックではないけどね(笑)。私生活がまるごと本になってるわけで、ミュージシャンとしてはもうちょっと謎のベールに包まれていたほうがいい気もするし……。

 しかし「シンガーソングライター」である俊美さんはこうも続ける。

 要は、なにをやりたいのかってことだよね。自分は嘘を歌いたくないし、夢物語を曲にするのも苦手だし、日々の生活をそのまま表現するという意味では、この本だってそれほど突飛な活動ではないのかもしれない。実際、料理しているときって無心になれるし、いろんなアイデアやメロディが浮かぶんだよ。指先から伝わる素材の感触とか、匂いとか。五感がまとめて刺激されるんだろうね。

上京後、物欲爆発。そこで料理に目覚めた

 ギターであり、ジャズであり、ファッションであり、好きになるととことんまでに突き詰めてしまう俊美さん。音楽活動は言わずもがな、ファッションに関しては人気ブランド=DOARATの創設者であり、つまりは自他ともに認める趣味人にして、元来の凝り性。しかし料理に関しては、「必要に迫られて」。むしろ、遊びや趣味を「維持するためのもの」であったという。

 小さな頃はお姉ちゃんが弁当をつくってくれてたんだけど、とにかく「野菜はいらない! 肉が入っていればいいから!」って、かなりジャンクなものばかり食べてた記憶があるね。揚げ物があればオッケーだったし、むしろ揚げ物は「ソースをたっぷり染み込ませられるもの」だった(笑)。東京に出てきてからもしばらくはそんな感じだったんだけど、クラブには遊びにいきたいし、クラブに遊びにいくからにはお洒落もしたいし、洋服と同じぐらいレコードだって欲しいし、みたいな感じで、遊びたい欲と物欲が同時に爆発して、じゃあなにを切り詰めようかというときに、やっぱりそれは食費なわけだよね。ただ、自分は「食べない」という方向にはいかなかった。しっかりとお腹はすくから、なるべくスーパーでよい素材を見つけては自炊するようになって。そこからだんだんと料理にも興味が出てきたのかな。「お金がないからコンビニ」っていう発想はまったくなかったな。逆に高いというのも知っていたからね。
 当時は若かったから、「食」より遊びが大事だったわけだけど、それは、たぶんどこかで「まともに遊んでいない人がつくるものはつまらない」というのをわかっていたからだと思うんだ。それは音楽でも洋服でも、もちろん料理でもね。

 遊び上手=料理上手。すぐには結びつかないイコールではあるが、やはり俊美さんの言葉には「実践第一」を貫き通してきた人ならではの説得力がある。

 食べるっていうのはとても身近なことだし、毎日のことじゃない? そこを疎かにしている人というのはあんまり共感できないかもしれない。だって美味しいものって幸せじゃん。舌はとても正直なものだと思うし、そういう意味ではいいセックスとかといっしょだと思う。セックスも「食」みたいなものじゃない? 美味しかったら達成感あるし(笑)。なんかね、自分は昔から目で恋するというよりも(下唇をグイッとひっぱって)このへんで恋してる感じがするんだよね。やっぱ性欲強いんだろうな~(笑)。
 それはともかく、将来的に家庭の食卓を預かることになる女の人こそ、うまく時間をつくって遊んでほしいというのはあるよね。自宅に篭ってレシピを一生懸命再現するのもいいけど、「ここの味を再現したい!」と思えるような居酒屋を見つけて、なるべくプロの味に触れたほうが、確実に料理は上達すると思うんだ。自分の場合は、なにか美味しいものに出会ったとき、まずは自己流でそれに近いものをつくってみる。そこで、なんか違うなって思ったら、またその店に食べにいって、どんどん本物の味に近づけるように研究する。それが楽しい。同じ店に何度も通うのはそういう目的もあるんだよ。お店の人からは「よく飽きないねぇ」なんて目で見られたりもするけどね(笑)。

白く凍った竹筒で提供された宮寒梅の夏酒「ミスターサマータイム」。オーダーを背中で聞いていた店主から、すぐさま「♪サマ~」の鼻歌が聴こえる。(注:ジャニス・ジョプリン「サマータイム」)

弁当にも通じる、「おまかせ」の愉しみ

 そんな俊美さん推薦の居酒屋が、渋谷「なるきよ」。ロックやソウルのポスターや、俊美さんの「セックス=食」という言葉を裏づけるかのような情熱のオブジェに囲まれながら、「今日はこれがいちばん旨い!」という信念にあふれた旬の逸品をとことんまでに楽しめる。

 ここはなにを食べても美味しいし、味はもちろん、成清の人柄も最高。おすすめのヒトサラ? いや、俺、ここでなにかをオーダーしたことってないんだよ。「魚が食べたい」みたいにリクエストしたことはあるけど、メニューを見たことはないと思う。おまかせでも本当に美味しいものばかりが出てくる。それって弁当にも通じるところがあるよね。お客さんの顔を見て「この人を喜ばせてやろう」と思う気持ちにしてもそうだし、食べるほうは食べるほうで、ふたを開けるまではなにが出てくるかわからないドキドキ感があるというのもそう。
 俺だって、もし自分だけのためにつくるなら、彩りなんてほとんどない、腹を満たすだけの弁当になると思うよ。そういえば、学生の頃、剣道をやってて、とにかく腹が減るもんだから、クラスの女子たちの弁当を勝手に開けて、少し食べては(表面を)慣らしてってことをやってたんだけど(笑)、ある時期から、みんなの弁当が急に華やかになってね。食べていたのがバレたみたいで、そこからみんながいっせいに見栄を張りだした(笑)。やっぱり「顔」っていうのは人に見られることでキレイになっていくんだよね。

大きく開けた厨房を、あたかもライヴを観るかのように眺めながらの立ち飲みスペースと、座敷、個室に分かれた店内。BGMはジャズやサルサ、はたまた渥美清。そこに降るような包丁のリズムが心地よい。刺身にせよ、揚げ物にせよ、「待て」が長いと腹が鳴る、罪な造りである。

 ここでサプライズ。店主・成清さんが「俊美さんの弁当をカバーしてみました」と差し出してくれたのは、美しいお重に入った3段重ねの幕の内弁当。そのモデルとなったのは、『461個の弁当~』の最後を飾る「461個目の弁当」であり、それは俊美さんが3年間の集大成として、登生くんの好きなおかずばかりで埋め尽くしたもの。つまりは俊美さんの好みを知り尽くした店主による、最上のもてなしであった。

「俊美さんへの敬意を込めてつくりました。……でも、俊美さんの弁当は初期のものも瑞々しくていいんですよね。まるでブルーハーツのデビュー・アルバムみたいで(笑)」と成清さん。

(カメラマンに向かって)撮影終わった? もう食べていい? こうやって待たされると子どもの気持ちがわかる気がするなぁ(笑)……うわ! う巻きまで入ってるよ! この卵焼きもホント優しい味。明太子が入っているのになんでこんな味になるんだろう。全体の彩りもさすが。(シミジミと)超おいしい……。
(しばらく食べ進めて)……やっぱりこういう具だくさんの弁当って、ごはんをどう減らしていくかが難しいし、楽しいんだよね。登生に好きな女の子ができて、「少しダイエットしたいからごはんを減らしてくれ」って頼まれたことがあるんだけど、そもそもあの年頃は「ライスおかわり自由」のほうがいいわけじゃん。俺も肉巻きに使う人参の割合を多くするとかいろいろ調整してあげたけど、それでも相当に辛かったんじゃないかな……でも、恋ってすごいんだなって思ったね。好きな人にモテようとする力ってすごいんだなって。

 親子ひとつ屋根の下に暮らすからには、俊美さん登生くんも同じものを食べる。栄養のバランスを考えるうちに、無類の大酒飲みであった俊美さんの体調も心なしか改善されていったという。

6月某日「なるきよ」のメニューその4)大鍋でじっくりと仕込まれた豚バラ肉に、別の鍋からの芋をあわせた肉じゃが。酒は蕎麦焼酎「帰山」の樽熟成。クラッシュ・アイスに注ぐのが「なるきよ」流だ。

 ちょうど自分も身体にガタがくる歳なんだろうね。膵炎は3回もやってるし。でも確かに弁当のお陰で朝はきっちり起きるようになったし、ちょっとは健康になったんじゃないかな。もちろん今でもお酒は大好き。ときには登生といっしょにいきつけの居酒屋──祐天寺のモツ焼き屋「ばん」とか「忠弥」とかね──にいって、烏龍茶とレモンサワーで乾杯したりもするしね。やっぱりああいう老舗に連れていくっていうのも大事なんだよ。いろんな大人、ああはなりたくないって人も含めたいろんな大人たち(笑)に囲まれることが、心の栄養になる。やっぱり「食」っていうのは身体に入る栄養素だけで考えちゃいけないと思うんだ。

 なにより大切な、心の栄養。ゆえに「弁当は愛情」と言い切る俊美さんだが、だからこそ、震災以降の料理には精神を擦り減らした。故郷・福島を襲った原発事故は、食に対する意識を大きく変えたという。

 食材を選ぶということには本当に神経を遣った。自分は意識して西の野菜を使ったこともあれば、検査を受けた福島の野菜を使ったこともあるんだけど、福島の農家だって、国が改訂する前の(放射能)基準値を自主的に守り続けて出荷しているところだってたくさんあるんだよ。ただ、そういう情報というのは自分から見つけていかなきゃいけないし、なにを信じるかというのは自分で決めなくちゃいけない。これからの自分たちは「答えなんてないってところの答え」を求めていかなきゃいけないわけだけど、そういうときに重要なのは、「大丈夫ですよ。心配ありませんよ」って笑っている人の意見よりも、「不安で不安でしかたがない」という人の声を聞いて、「なにが不安なのかな」という声に向き合って、いっしょに不安を解消していこうとする姿勢だと思うんだ。「大丈夫ですよ」っていうのはいちばん危険な言葉だと思うし、優しそうに見えて、実は誰ひとり救ってくれないからね。

渡辺俊美著『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』。そして成清さんの特製弁当に添えられていた一筆、「祝 男の弁当 俊美殿」。

 今回の本ではそういう苦労のことはすべてカットしているけど、それは、お金を払ってこの本を買った人が、誰かひとりでも傷ついたりするのは嫌だなって思ったから。こういう取材であれば、むしろ積極的に訴えていきたいと思っていたんだ。
 ……でも「セックス=食」の部分も絶対書いておいてね。あれだって本当のことだからね(笑)。

なるきよ 東京都渋谷区渋谷2-7-14 中村ビルB1
03-5485-2223
営業時間:18:00~24:30
定休日:不定休

渡辺俊美Toshimi Watanabe
1966年12月6日生まれ。福島県出身。TOKYO No.1 SOULSET/THE ZOOT16/猪苗代湖ズ。2011年3月、猪苗代湖ズとして福島県復興支援チャリティー・ソング「I love you & I need you ふくしま」を発表。同曲で第62回NHK紅白歌合戦に出場。お弁当エッセイ本『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』(マガジンハウス刊)が発売後1ヶ月半で3万5千部を突破し大ヒット中。

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