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千円札の骨董商

奈良を拠点に全国を駆け回る若手骨董商、
中上修作によるビギナーのための骨董案内。
ただし買いつけ予算は◯千円。
札束をふりかざすことなく
毎夜の伴侶を射止める秘訣、
滋味深き酒器の愉しみを綴ります。

千円冊の骨董商03 / TEXT+PHOTO:中上修作 ILLUST:元永彩子 / 2014.11.25 東京都文京区「Gallery ULALA」

1万円以下の酒器に的を絞り骨董屋を訪ねるという本連載もいよいよ3店目。「骨董屋は入りにくい」というイメージを少しは払拭できただろうか。冬が深まるこの季節、この文章を読みながら熱燗が恋しくなった方は酒屋へでかける前に近所の骨董屋で「◯千円で買える酒器はありますか?」と尋ねてみるがいい。酒好きの店主ならば話に花が咲き、貴方好みの一品を用意してくれることだろう。
昔のものは費用対効果なんて考えずつくられているので、数千円で買えるものでもクオリティが高い。しかも骨董には「時間が醸した味わい」という代え難いバリュー感がある。コートのポケットに盃を忍ばせて酒屋に向かうのはうれしいもの。さぁ、今すぐ骨董屋へ繰り出してみよう!

 今回、千円札の雨が降るのは東京の下町、谷根千界隈。東京芸大のほど近く、寿司屋御用達の高級魚をひさぐ店や、ひとつからオーダーできる飴細工店などもあり、人の匂いが濃厚に漂う街である。団子坂を上がりきると、アンティーク・グラスや雑貨が品よく並べられた店が目に入ることだろう。今回のターゲットはGallery ULALA(ギャラリー・ウララ)さん。さっそくお邪魔します!

中上 こんにちはー。
岸野 おー、お久しぶり。元気でした?
中上 はい、お陰さまで。今日はよろしくお願いします。
岸野 こちらこそ! まずはコーヒー淹れるね。ちょっと待ってて。

 今回のホストは「Gallery ULALA」の岸野誠(きしのまこと)さん。岸野さんは私と同じく、他業種から骨董屋になった人。決して広い店ではないが、センスよく並べられた食器や酒器、またオブジェになりそうな宗教美術など、岸野さんの目利きが光る居心地のよいお店だ。岸野さんのイタリアンな伊達男ぶりとバイタリティあふれるお人柄には老若男女問わずファンが多い。まずは岸野さんが骨董屋になる前はどのような暮らしをしていたのか、そのあたりから聞いてみよう。

中上 以前どこかで聞いた覚えがあるんですが、岸野さんって骨董屋になる前は庭師をされてたんですよね?
岸野 そうなんです。僕、庭師をしてました。僕はもともとデザインの道に進みたくて。いろいろな可能性を模索してはいたんですが。
中上 それは学生の頃ですか?
岸野 そうです。うちの父が法律関係の仕事をしてたんですが、私は小さい頃からお父さんの跡継ぎにする、みたいなことを周りからいわれたりしてましたし、大学は法学部に所属だったものですから当初は「まぁ、大学卒業後はそのまま跡を継ぐんだろうな」みたいな感じだった。
中上 子どもの頃からなんとなくレールが敷かれてあったと。
岸野 そう。でも、大学で法律を学びながら「なんか違うなー」という気持ちはもってました。いよいよ卒業が先に見えてきた頃、その方面(法律関係の仕事)へ進むのは嫌だなと決定的に感じたのでいろんな人に相談してたら、ある人から「近くにとてもいい庭師さんがいるよ」といわれて。それでその庭師さんに会いにいったの。
中上 庭師の経験もないまま、ですか!
岸野 そう(笑)。でも、まだその時点では庭師になるということは考えてなかった。庭師に同道しながら、ゆくゆくは「庭」をテーマに論文でも書ければ、という程度に考えていたんです。

 庭師の経験を論文として残す。大学で法律を学んでいた岸野さんらしいアカデミックな発想だな、と思う。しかし、その経験がその後の岸野さんの人生を大きく方向づけることになる。

岸野 それでさっそく庭師さんを紹介していただいて。師匠はその頃70~80歳くらいだったんだけど、物腰や人当たりがものすごく柔らかい人で「じゃ、明日からそのつもりでいらっしゃい」といわれまして。次の日、その場で足袋と半纏を渡されちゃって。
中上 (笑)。いきなり意表を突かれた?
岸野 「え、ちょっと話が違う」って(笑)。でも、せっかくの機会だしと思って飛び込んでみたら、仕事のおもしろさにハマってしまって。
中上 なるほど~。
岸野 僕の師匠は茶庭専門なんですが、お寺とか旅館、料理屋、あとはお茶の先生の御宅とか、毎日まいにち違う現場に連れていってもらいましたね。
中上 日本文化の大学のようなところばかりですね。
岸野 ええ。ですからレポートどころか、毎日石を扱ったり土を運んだり、そういう世界で生きることがおもしろくなっちゃって。のめり込んでしまいましたね。

 自分の想像を超えた世界で無我夢中に、しかし楽しみながら遊泳しているような感覚だろうか。庭師としての仕事を語るうち、岸野さんの胸には幼少時の想い出が去来したようだ。

中上 岸野さんのお生まれはどちら?
岸野 東京です。ただ私の父の家系が九州、佐賀なんです。曾祖父の代までは日本酒の造り酒屋でした。そのせいか、祖父や父は酒器に凝る人で「この酒には、この徳利!」とか聞かされながら育ちました。でも僕はまだ子どもですから、それを「ダサいなー」なんて感じながら。
中上 今でも造り酒屋は続いているんですか?
岸野 いえ、実は曾祖父が二期連続で麹を腐らせてしまって。二期連続で麹を腐らせる、ということは酒を造ることができないので、結局廃業です。僕の祖父はそういう曾祖父の姿をみて、職人の世界を選ばず役所に勤めました。ただ土木関係の部署だったので父は父で「泥臭い」と感じたのか、紹介を受けて東京の法律関係の事務所に入ったそうです。

 それぞれの世代で反面教師があるのは当然のことと思う。しかし、進むべき道を信じて切磋琢磨できる才能、そして人の縁をたぐり寄せることができる強運ぶりは岸野家の財産なのかもしれない。

中上 庭師として3年間働いていると、それなりに仕事はできるようになりますよね?
岸野 庭師として一人前、とまではいかないけれども自信はついてきましたね。ちょうどその頃にイタリア人の友人ができたんです。その女性は東京でイタリア語の教師をしてたんですが、その方の従兄弟がイタリアで大きな庭の会社を経営していて。彼女曰く「彼(従兄弟)は日本の庭園にすごく興味があるのよ。今、自分の家に茶庭を造りたいって」というんです。「あ、これはもう俺が行くしかないな」と(笑)。
中上 ものすごい御縁をいただきましたね(笑)。
岸野 そんなことがあって、庭の師匠は「いい話じゃないか。俺たちは外国語がわからないから、事務所に籍を置いてイタリアで仕事してこい」と理解してくださって。それでさっそくイタリアに旅立ちました。
中上 いいお師匠さんですね。
岸野 そうなんですよ。並な度胸では決断できないと思います。
中上 イタリアのどちらで仕事されたんですか?
岸野 アドリア海に面したマルケ州のペザロという、作曲家ロッシーニが生まれ育った街ですね。綺麗な街でしたよ。そこに住み込みしながら盆栽の手入れとか茶庭造りをしてました。検疫の関係で日本から材料や資材を調達することができないから、欧州のあちこちで材料を探しました。そもそも気候風土が違いますから、そこがいちばん苦労しましたね。
中上 そのままイタリアに住み続ける、という選択肢はありましたか?
岸野 迷っていましたね。でもその頃、現在の妻となる女性とつきあい始めてましたし、やっぱり日本に帰ろうかなと。
中上 岸野さんの奥さまはフランス人ですよね?
岸野 そうです。彼女とは日本で出会ったんですが、フランスの大学で日本文学を先攻してた関係で日本の言葉や文化にも理解が深くて。それなら東京に住んだほうがいいのかな、と。彼女は日本の敬語についても勉強熱心で「家庭の中ではなるべく敬語で話してください」と言われたりして(笑)。まるで小津映画みたいですよ。
中上 さしずめ岸野さんは笠智衆でしょうか(笑)。
岸野 「今日はお彼岸だねぇ」「そうですねぇ」とか言って(笑)。

 よき伴侶を得てふたたび日本で暮らし始めた岸野さん。今度はプライベートでも日本文化にどっぷりと浸かってしまった模様。イタリア経由の庭師、その後はどのような人生を歩んだのだろうか。

岸野 茶庭のお施主さんは、みなさん文化的なレベルの高い方ばかりで、仕事が終わってからも食事に招いてくださったりお茶会に呼んでくださったりいろんな話をしてくれるんですよね。そこで数々の調度品や掛け軸なんかを拝見していると、自然とそっち(道具)に興味が湧いてきて。子供の頃「ダサいな~」と考えていた酒器だとか茶器が、俄然輝いて見えてきた。以前からインテリアの仕事にも興味があって、道具を紹介しながらコーディネートするような仕事にも憧れていたんです。庭師として「茶」を巡る世界で逍遥しながら自然と骨董屋になってしまった、という感じでしたね。
中上 骨董屋を始める際、奥さまからは反対されませんでした?
岸野 僕も妻も骨董市や蚤の市で買い物することが好きなので、反対されることはなかったですね。彼女は裂や着物が大好きで、あちこちで着物を買いつけてはフランスのお客さまに紹介してますし。
中上 おふたりとも道具好きなんですね。
岸野 それは本当にそうですね。
中上 開業して今年で6年目だそうですが、ずっとこの場所で?
岸野 はい。僕ね、谷根千の雰囲気が大好きなんです。店をやるならこの界隈でやりたいという気持ちがありましたし、できれば人通りの多い道ではなく路地裏を希望してたんです。この店の裏手には森鴎外さんの旧居跡(現在の森鴎外記念館の場所)があるんですが、2階の書斎から海が見えたことから自宅を「観潮楼(かんちょうろう)」と呼んでいたらしくて、そんなストーリーも素敵だなと思ってここに決めました。
中上 最初はどのような品揃えを?
岸野 最初は妻の着物とジャンク(*1)が中心です。店を運営していくうちに好きなものが増えたり、眼も変わったりして徐々に今のような品揃えになっていきました。

(*1)ジャンク 本来、道具ではないものや用途のないもの、たとえば錆びたベッドのスプリングや川で拾い上げた木片などを美的感覚の優れたオブジェとして見立てる、アンティーク界の新ジャンル。

 センスよく値ごろのよい品を提供する店ということで、Gallery ULALAはフランスのみならず地元のお客さまから絶大な支持を受けている。彼は造り酒屋だった曾祖父の血を受け継ぐ、いわば左党のサラブレッドだ。当然、酒器には一家言あり、店内には「美味しそうな」道具が並んでいる。

中上 最近、酒器は売れますか?
岸野 中高年の方には売れますが、若い方はあまり買わないですね。お酒離れもあるんだろうけど、「ちょっとした道具に凝る」ということがなくなっているのかもしれない。
中上 ナルホド~。音楽はデータ中心、写真も紙に現像しなくてもよい時代になった。確かに「モノ」から少し距離を置く時代なのかも。
岸野 でもね、興味を持っている方は確実に増えています。そのような方の背中を押すのは、僕らの使命ですね。
中上 本当にそうですよね。この連載、使命感絶大ですね(笑)。ではさっそく何か見せてくださいますか?
岸野 ちょっと待っててくださいよ。(奥から数々の包みを出してきて)いくつかあるとしたらこのへんかな~。

中上 あ、白山陶器(*2)ですね。これはおもしろい。
岸野 白磁の徳利が2本と猪口が5つ、ツマミを乗せる小皿までついたセットなんですが、これは割合古いんですよ。巷では「ペンギン徳利(写真上手前の2本)」と呼ばれているものですね。……あとはコレかな。大正から昭和初期の向付(むこうづけ)です(写真上中央)。
中上 ……これ、吞めますかね?
岸野 (笑)。瀬戸だと思うんだけど、白磁で星形なのが気に入ってね。口縁に鉄釉で口紅が挿してあるのもポイント。これは五客組。
中上 大きさもほどよい感じ、無理すりゃ吞めるかな。でも牛みたいに口角から酒が漏れそう(笑)。ちなみに五客組でお幾らですか?
岸野 う~ん、9,999円!
中上 (笑)。お察しします。これは骨董屋の意気ですよ。
岸野 原価割れですから…。ご理解ください。
中上 そこにまだありますね(と手をのばす)。あ、田舎椀(*4)だ。
岸野 これは蓋物(ふたもの)なんだけど、蓋で吞めるでしょ。身の椀には煮浸しなんか盛って。
中上 確かに。身も蓋も見込(*5)が浅いのがいいですね。古い田舎椀って浅いのが多いんですよ。なんでだろう。
岸野 深いと材料を厚く取らなくてはいけないし、コストも高くなるから。あと、田舎の漆塗り職人って忙しすぎて漆塗りながらご飯を食べたらしくて、片手で蓋と身を持てないといけなかったみたいなの。だから浅くて小さな形が都合よかったんじゃない?
中上 ナルホド、浅いのには理由があるんですね。これは朱漆の色も冴えてるし濁り酒や梅酒のお湯割りなんか注ぐと綺麗でしょうねぇ。う~ん、でも白山のペンギン徳利もかわいいなー。でも徳利2本あってもしょうがないか(笑)。星形の瀬戸白磁も洒落てるけど、値段がなー。
岸野 なんになさいますか、ご主人さま(笑)。
中上 今回も悩ましい! でも、最後の田舎椀は惹かれるな。この連載、初回はガラス杯で2回目が白磁の瑠璃杯なんですよ。まだ漆ものがないし、これからの季節にぴったりなんで田舎椀にしてみようかな。ちなみに田舎椀はお幾らですか?
岸野 (ちょっとモジモジしながら)これは……8,000円。
中上 うーん、もう一声!
岸野 …7,000円!
中上 ありがとうございます(笑)。
岸野 しかし漆はいいですね。まだまだ使えるんで、大事にしてやってください。
中上 今回もいいものゲットできました。ありがとうございました!

(*2)白山陶器(はくさんとうき) 1779年創業の長崎は波佐見の陶磁器メーカー。器づくりの基本を「使う人にとって使いやすいもの、生活になじむもの」に置いており、日本人の生活シーンをイメージしながら、飽きのこないデザインを追求し続けている。これまでに100点以上のグッドデザイン賞、ロングライフ賞を受賞。
(*3)銘(めい) 器物に入れる名前(サイン)のこと。特に名作、名窯の器に入れられることが多い。銘を入れることにより作品の価値を高めることに繋がる。
(*4)田舎椀(いなかわん) 漆塗りの椀の中でも田舎でつくられた下手物(げてもの)作品のことをこう呼ぶ。南部地方(現在の東北)などでつくられた、豪華な献上品の椀と区別する意味合いもある。
(*5)見込(みこみ) 碗や皿の内側にある底部のあたりを指す名称。茶を淹れるときに覗き込むことから「鏡(かがみ)」ともいう。

晩酌にて

 今回は自宅で晩酌です。店と違ってなんか緊張しますね(笑)。でも、もうすぐ自宅を引っ越すので、メモリアル的な意味合いもこめて。ちょうどお客さまから頂戴したお手製の梅酒がとても美味しく、それを冬らしくお湯割りにしてみましょう。アテはほうれん草の白和えがいいかな。
 さっそくお湯割りをいただいてみます。…うん、手取りが軽くてよい感じ。温度の高い液体を注いでも熱く感じられず、ほっこりと温かみが伝わってくるのも漆椀の魅力ですね。ムラになった漆の塗りが目に優しくて、酩酊(めいてい)の邪魔にならないのもいい。漆椀、寒い時期はとくにオススメします。蓋と身は入れ子になるので旅に持ち出しても楽しいでしょう。今回もよい器に出会えました。ありがとう、岸野さん!

Gallery ULALA 東京都文京区千駄木1-23-6 グリ-ンヒル汐見103
03-5834-7382
営業時間 : 12:30~18:30
定休日:月・火曜日
http://www.mitatejapon.jp/

中上修作Shusaku Nakagami
1973年奈良生まれ。京都造形芸術大学 環境デザイン学科卒業。東京での職を経て2011年に古物のオンラインショップ、Bon Antiques(ボン・アンティークス)を開業。オンライン販売を礎としながらも、折々に企画展を全国各地で展開。2013年11月には実店舗、古美術中上を奈良国立博物館前に開店。現代の生活に適した調度品を提案している。また、大の音楽好きであり、古物商と併行しながらラジオの選曲やライナーノーツの執筆なども手がけている。
古美術 中上:nara-nakagami.com

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